第9話 いきなり呼び捨ては鳥肌もの

▼1-5 第一話.探偵と象⑤


「なに……どういう意味?」

 疑わしげに聞き返したのは雪音ゆきねだった。俺はと言えば、バッグを提げたまま立ち尽くしているのもバカみたいなのでひとまず席に戻る。

「──まずは話を整理しようか」

 言いながら雨恵あまえは立ち上がり、自分の机の上に乗って腰を下ろした。目の前でスカートがひるがえって、思わずのけぞってガタッと椅子を鳴らしてしまう。さすがに気を付けたのか、中身が見えたりはしなかったが。

 なんにしても無防備すぎる……妹が口うるさくなるのも当たり前だ。その雪音は、もうあきらめているのか、机の上に座るという姉の無作法にはなにも言わなかった。

 雨恵はいつの間にかまた靴下を脱いでいた脚を無造作に組み、妹へ目を向ける。

「雪、問題の女たちの特徴を書き出してみて……あー、ほら、そこの黒板に」

 教室の後方、つまり教卓の反対側の壁にも黒板がある。連絡事項を書き込んだり行事のプリントが貼られたりする場所だが、今はプリントが何件かマグネット留めしてあるだけでほとんどのスペースが空いていた。

 雪音は不満げに口を尖らせた。

「なんでわたしが?」

「字、上手いじゃん。頼むよ」

 屈託ない笑顔でゴマを擂る姉に、妹はこれ見よがしに嘆息して立ち上がった。チョークを手にして黒板へ向かう。「雨恵」の名の通り、甘え上手な姉のようだ。

「えっと……」

 と、雪音に視線で求められて、俺は改めて調査対象の女性たちの特徴を語った。それを委員長が優等生らしい端麗な筆致で板書していく。幸い、ほとんどの生徒はとっとと帰るなり部活動に向かうなりしているので、黒板を使ってもそう目立たない。


1.傘の女 証言者、初芝はつしばさん

 名前、不明。写真あり。背丈は糸口いとぐち先輩と同程度。派手に染めた長髪、モデル体型。

 雨の日、先輩のバイト先まで傘を持って現れ、いっしょに帰った。当時は泣いていて、先輩にしがみついていた。


2.朝帰りの女 証言者、琴ノことのはしさん

 名前、不明。背丈は先輩と同程度、髪は黒くてショートカット、ジーパンなど体にぴったりした格好。遠目であったため他のことは不明。

 先輩が一人で留守番をしていた夜に泊まっていったと見られる。先輩はその事実を琴ノ橋さんに隠していた。


3.ランジェリーショップの女 証言者、糸口先輩の友達

 名字は橋本はしもと、以下不明。先輩より明らかに背が低い。髪は黒の短髪、ルーズな服を着ていた。

 先輩と二人で街に出て、ランジェリーショップへ案内された。二人で歩く姿は親密そうだった。


──つい昼休みに話したばかりだったので、簡潔にまとめられた。それでも書き出すのは一苦労だったのだろう、黒板へ書き終えた雪音はふぅ……と肩で息を吐いて席へ戻ってきた。制服を着ていても呼吸で上下する胸が見て取れるあたり、肩こりが激しいのかもしれない。

 俺は黒板で几帳面に踊る白い文字を眺めて、腕を組んだ。

「……改めて見ると、みんな特徴がかぶってたり違ってたりするんだな」

「なんとも節操なしですね。……で、これがどうかしたの?」

 雪音が目を向けると、雨恵は机の上でぶらぶら足を振りながら黒板を指さし、びしっと告げる。

「まず、この三人は同一人物だと考えてみよう」

 だとしたら問題は一気に縮小する。だが、

「さっき別人だって言ったのは山田さんじゃないか」

 橋本さんは人相が確かでないので「朝帰りの女」と同一人物かもしれない、とした雪音の説を雨恵は否定した。背丈に関する証言が合わないし、先輩の背を比較対象にしたシンプルな基準なので見間違える可能性は低い。

 俺の指摘に、雨恵はむっとした顔になった。指摘に気を悪くしたのかと思ったが、

「山田さんは同じ顔のが二人います」

 などと言い出した。無駄に丁寧語なのは妹のまねだろうか。視界の端で、雪音がイラッと片眉を上げるのが見えた。

「じゃあ……姉の方」

「それはなにか、人格を否定された感じで腑に落ちません」

 今度は「妹の方」からのダメ出しだ。双子だからといってセットで扱われるのが嫌だというのは、まぁ解らないでもない。

 先生たちは「山田雨恵さん」「山田の姉」などと呼び分けているが、同級生の俺にはピンとこない呼び方だ。琴ノ橋さんなんかは「雨恵」と呼び捨てにしていた覚えがあるけど……

「なら山田雨恵さん……?」

「んっ? なぁに、照れてんの?」

 雨恵は執拗だった。伸ばした足の爪先で俺の膝小僧をぐりぐりとこね回しながら、挑発するような目でのぞき込んでくる。制服のズボン越しに感じる足指の感触に心臓までこね回されてる自分が情けない。

「仲よくしようよ、お隣なんだから」

 ──どうせ反撃されないと解っていて、雨恵は明らかに面白がっている。

 さっきからなんなんだ……何人もいるはずの浮気相手が一人だなんて思わせぶりなこと言って、机の上から踏ん付けてきて……よく解らないやつだと思ってたけど、これじゃまるでチンピラだ。

 元はと言えば俺が琴ノ橋さんの頼みを断れなかったのが悪いんだとしても、ここまでからかわれる筋合いはないはずだ。

 ……このままじゃダメだ、と思う。これじゃ中学までの、クラスの女子にはいいように使われ、姉さんたちのケンカを止められなかった情けない僕のままだ。そんなことだから琴ノ橋さんたちにもナメられるんだ。

 俺はなかばヤケクソになって顔を上げ、まっすぐに雨恵を見つめる。そうして、ことさら乱暴に口を利いた。

「雨恵が、別人だって言ったんだろ。なんで同一人物になるんだ?」

やや強引にでも話を浮気相手の件に戻したのは、今の呼び方についての反応を見たくないからだったが。

 そういうわけにもいかなかった。雨恵はなにか空気の塊を呑み込むような顔になってちょっと黙って、それから口だけで深呼吸して、俺の頭越しに妹へ言葉を投げた。

「やばいよ雪。よく知らない男子に呼び捨てにされるの、戸村くんみたいなのでもちょっとぞくっとする。鳥肌立ったかもっ」

 俺みたいなのでも、ってなんだ。やっぱりバカにされてた……

「雨はいきなり距離感近すぎ……戸村くんだって困ってるでしょ」

 妹の方はさすがに常識的だ。……その言葉はもっと早く言ってやってほしかったが。一応、確認した。

「そっちは……山田さん、て呼べばいい?」

 雪音と目が合って、一拍置いて目をそらされた。彼女はそのままぽつりと答えた。

「好きにしてください」


閑話休題。

「……今度こそ話を戻すぞ。三人が同一人物だって根拠はなんだ?」

「うん」

 俺の言葉にうなずいて、雨恵は机の上に立ち上がった。俺たちの視線が付いてきているのを確認して、顔の前で人差し指を立てる。

「そもそも、写真があるのは一人だけなんだから、同じ人の可能性があるってのは当然、当たり前だよね」

「いやでも、傘の人とか、髪の色も長さも違うぞ」

 黒板を見ながら口にした疑問に、雨恵はあっさりと答えた。

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