第二章 ー忌双ー

六話 異世界漂流–drift–(ドリフト)

飛び込んだ亀裂の中は異様な光景が広がっていた。


周囲に壁や地面などは存在せず、螺旋状にも似た規則的なのか不規則なのか良くわからない網目の光が周囲に広がっている。


様々な網目の間が様々な色に変わっていったり、一色の光に包まれたりと目紛しく変わり続けている。


重力に引き寄せられて落下しているというよりは様々な方向から力を受けて押し流されていく様な感覚に酷い吐き気が込み上げてくる。


「ぐっ…きっ気持悪い…」


詳しく思い出す事は出来ないが、ごく最近これとよく似た状況に陥ったような覚えがある。


視覚と不規則な動きで三半規管を激しく揺さぶられ、堪らず目を閉じてウルを抱きしめた。


細目でウルを見ると胸に顔を埋めて擦り付けていた。


次第に周囲が強く光り輝き、視界が白んでいく。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


白けた視界が戻り辺りを見渡した。


夜空を見上げていた。


生い茂る草花、空に伸びる木々の数々。吸い込む空気は冷んやりとしていて息を吐き出すと薄っすらと白い息が漏れ出てくる。


俺の上には先程まで抱きついていたウルが上に乗っかっていた。ウルも気が付いたのか上目遣いで此方を見つめている。


「…大丈夫か?」


先程の正体不明の針との攻防で傷つき血に汚れたウルの頬に触れる。


よく見ると傷は既に塞がっているのか傷口は全く見当たらない。頬についた血を拭ってみるがやはり傷らしい傷は無い。


「んっ…」


何度も確かめる様に頬に触れていると、猫が戯れる様な素振りで頬を掻いて再び顔を胸に埋めてきた。


美少女に抱きつかれる等ご褒美でしか無いのでいつまでもこうしていたい気もするが、気を沈めなければ…気を沈めなければ…


「とっとりあえず…周囲を確認したいから起き上がってくれ。」


堪らずゆっくりと肩を持ち上げると名残惜しそうな顔をしながらもウルが立ち上がり、差し出された手を取って俺もその場に立ち上がろうとした。


「ん?」


地面についた手が沈み込む様な感覚を感じたが特に気にせず立ち上がり、自分の身体を眺めながら辺りを見渡す。


攻撃を受けた脇腹は服こそ破れていたが、特に傷や痣らしきものは無い。


最初は異物を捻り込まれる様な痛みを感じた筈だが、必死に逃げ惑う内に痛みも消えて無くなっていた。


「俺が元いた世界とは違うようだが草木がちゃんと生えている。どうやら生物がいる世界に来ることはできた様だ。」


木々や草花が生い茂った深い森の中にいた。


動物や昆虫の呻きや鳴き声が木霊し、植物の葉が擦り合う音が密やかに奏でられて密やかながら無数の生命の息吹を感じる。


地面に生える草花は広い範囲で押し潰される様に横に倒れていた。


横倒れになった草を見る限り、胸元位までの高さはある草叢だったのでは無いだろうか。


特に寒さは感じないが気温は低い様で吐く息が白んでいる。

煙の様に吐き出る息を見て無性に煙草を吸いたくなったが、今は我慢すべきだろう。


「寒いのか?これで少しはマシになれば良いんだが…。」


ウルに目を向けると余程寒いのか体を小刻みに震わせていたので手に縛っていた衣を解き、上から二重に重ねてウルに被せた。


背中を摩って温めているがまだ微かに震えている。


先程胸に顔を埋めてきたのは余りの寒さに身を寄せて身体を温めていたのかもしれない。


「先ずは休める場所を確保しよう。これからどうするかはそれからだ。」


周囲を見渡して歩き出そうと一歩を踏み出した。


!?


只歩き出そうとしただけだ。


しかし身体は予想を超えて跳ね上がり、宛ら月を歩く宇宙飛行士の様に長い対空時間を保ちながら地面に着地した。


ウルも同様に歩く度にフワリと浮いている様で着地のタイミングを外したのか大きく転倒していた。


大量の土煙が舞い上がり、寝静まっていた森の動物達が目を覚したのか様々な鳴き声が辺りに響いてくる。


「大丈夫か!?」


舞い散る土煙が徐々に収まり、鼻に土をつけたウルが土煙からひょっこりと姿を現す。


踏み込む力を抑えながらゆっくりウルに近づいていく。


特に怪我はない様だが土塗れになったウルを見て笑いながら土を払っていく。


「くしゅんっ!」


「ははっ。随分と汚れてしまったな。鼻先に砂が乗っかっているぞ。」


拍子抜けた表情から照れる様に微笑むウルを見ているとこちらも笑顔が綻んでしまう。


「怪我がないようだな。恐らく重力が軽い世界なんだろう。慣れるまでは気をつけて歩かないとまた転けてしまうぞ。」


鼻先を親指で拭ってウルの手を取って立つ様に促す。


「アリガトウ…」


聞き間違いかと思ったが、確かに今ウルの口から発された声が耳に届いた。


恥ずかそうに口にしたその一言は心に染み入る様な、えも言われぬ感動が心を染め上げる。


「よく言えたな。」


頭を撫でてウルを褒めた。


この調子でこれからもっと話が出来る様になれば、普通に会話する事も出来るのではないだろうか。


これからは指示や要求だけでなく、出来る限り会話を投げかける様心掛けていこう。


気を取り直して森の中に足を踏み入れていった。


しかしまだ探索を始めたばかりであるにも関わらず、驚く様な出来事が度々発生した。


先ず木を調べる為、登ろうと手を掛けて足を踏み込んだだけで木に穴が空き足が埋まってしまったり、転がっていた小石をウルが拾っただけでヒビ割れて砕けたりと何処かの世界の怪力無双になった様な現象が度々発生していた。


試しに身の丈の倍ほどの大きさの大岩を強く殴りつけると爆散して粉々になってしまった。


「あまり音を立てない方が良いかもしれないな。」


周囲が騒めき始める。


日が昇るまではあまり暴れ回る様な事は控えるべきか。こんな暗い森の中で凶暴な獣に襲われてはひとたまりも無い。


更に探索を続けると岩より硬い色違いの鉱石を幾つか見つけたが、其れでも強く力を入れるとヒビ割れたり、柔軟性の強い鉱石等は容易に引き伸ばす事が出来た。


「コレ…ノビル。」


「本当だ。ウルが怪力だからって訳でも無さそうだな。他にも何か気になった事があったらどんどん教えてくれ。」


「ワカツタ。」


ウルと一緒に気になった物を手当たり次第触れながら森を進んでいて分かった事だが、この世界の木や石、大地は殆どが柔らかく、脆く、軽いようだ。


其れが重力の影響かどうかは定かでは無いが、力を入れ過ぎると所々を破壊してしまう為、動き一つにしても気をつけて行動する必要がある。


食糧についてはウルが前の世界からちゃっかり持ってきていた玉が幾つか残っている。


「よく持ち込んでこれたな。いつの間にか落としていたと思ったが、これがあれば数日は保つだろう。」


「ズツトモツテタカラ。イラナイ?」


「いや、いる。寧ろファインプレーだ。良くやってくれたな。」


頭を突き出される度に撫でているのだが、これではかなり歳の離れた兄妹が妹を褒めている絵面になっている。


寧ろ親が小さな子供を褒めている様子の方が感覚的には近いかも知れない。


袋の様に縛ったジャケットを広げて周囲に生えていた巨大な葉っぱを捥ぎ取り、岩の上に積んだ玉を葉っぱの上に移し替えて包んでいく。


結ぶ際に力を入れ過ぎて何度か端を破いてしまったが、柔軟性が高い伸びる鉱石を使って口を無理矢理固定して風呂敷の様に包み込む。


「ウルは衣の下に此れを着ておくと良い。」


ウルにジャケットを手渡そうとするが、手を横に広げるばかりで受け取ろうとしない。


「何をしてるんだ?早く着たほうが暖かくなるぞ。」


「ヤツテ…」


やって?俺に着せろと言っているのか?パタパタと手を横に上げ下げしている。


「出来れば自分で着て欲しいんだが…まぁ仕方ないか。」


下にワイシャツを既に着せているので前みたいに目を瞑る必要は無いが、服を着るくらいは自分でやって欲しいものだ。


もう少し会話が流暢になったらそういう事も教えていく必要があるな。


震えるウルにジャケットを着せて再び探索を開始した。


「あれは…洞穴か?」


暫く森を歩き続けると岩の切れ目に空いた穴を見つけたので中を覗き込んでみると、特に先に続く道がある訳ではなく六畳一間程の空間だけがあった。


「動物が居たような痕跡も無い。今日は此処で休もう。」


洞穴の中に入り座り込むとウルも同様に座り込み、身体を預ける様に肩に身を寄せてきた。


「まだ身体が震えているな。具合が悪いのか?」


首を振ってはいるが表情は曇りぐったりと身体を此方に凭れ掛かけている。


「少し横になって寝ていたほうがいい。膝を貸すから此処に横になってくれ。」


肩に凭れ掛かるウルを膝に引き寄せて身体を摩り続けた。


「アツタカイ…」


そう言うとウルは身体を蹲らせながら目をゆっくりと閉じていき、暫くして静かな寝息を立て始めた。


これで少しは楽になってくれるといいのだが。


その日はその寝顔を眺めながら、いつの間にか俺も眠りに沈んでいった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


洞窟に陽の光が差し込み、その眩しさで目を覚ました。


ウルは今も膝の上で眠っている。


しかし具合が未だ悪いのか呻き声が微かに漏れていた。


「大丈夫か?」


寝返りをうったウルは魘される様な表情で額に多くの汗を浮かべ、気が付くと膝が汗でほんのりと濡れている事に気付いた。


眠る前までは寒そうにしていたのだが、よく見ると白んでいた息も今は出ていない。


気温もかなり暖かくなっている様だったので、一度ウルの身体に被せた衣を剥いでいった。


苦しそうにしていた表情が次第に緩んでいく。どうやら少し身体を暖めすぎてしまった様だ。


衣から覗くウルの身体は汗に濡れてシャツがほんのりと透き通り肌に貼り付いていた。


急いで衣を被せて隠したが、何やら気持良さそうな顔をしていたので手探りでジャケットを剥ぎとり、衣を旗めかせて風を送りながら様子を見ていた。


次第に汗が引き始め、表情も緩んだまま寝静まっている。


自然に起きるまではこのまま待っていよう。


暫くしてウルが起きた頃には既に日が登りきった昼時位の時間だっただろうか。


「おはよう。具合はどうだ?」


「………」


「かなり汗をかいていたからな。汗でベトベトだろう。」


「ベトベト?ダヨ?」


何故疑問系なのかは分からないが、近くで見ても具合が悪そうな様子は無いようだ。


「風呂…は無いか。せめて身体を洗える様な場所があればな。」


「モウ、イク?」


「ウルは動けるか?具合が悪いなら俺一人で周りを見てくるが…」


「イク。ヒトリハ、イヤ…」


ウルは服の裾を引っ張り悲しげな表情を浮かべていた。


「そうか。しかしあまり無理はするなよ。何かあったら言ってくれ。」


「ワカツタ」


それからは洞穴を出てひたすら森を探索し続けていた。


先ずは生き残る事を最優先する為、食糧と水を確保する為だ。


手持ちの食糧である玉の数を数えてみると玉は二十個あったがこれでは数日と保たないだろう。


新たな世界に移動した今、前の世界に戻れるかどうかも判らない。何よりあんな危険な世界には戻りたくない。


この玉がいくらこれまで口にした何よりも美味しい食べ物だったとしても生物すらいない孤独な世界で訳の分からない針に襲われ続けるなど御免被る。


ただこの玉は今後利用価値があるかも知れない。


あれ程に食欲を唆られる食べ物であれば今後何かしらの交渉材料になり得る可能性だってある。


可能な限り手を付けずに保管しておきたい。


そういう訳でこの世界に於いても食糧調達は優先事項としては非常に高い。


幸いこの森は森の幸が豊富な様で所々に見慣れない様々な果実が実っている。


「コレ、タベレル?」


「桃に似ているが俺の知る物より小さいな。とりあえず袋に詰めておこう。」


種類は分からないがキノコも幾つか発見しているし、桃や無花果に似た果実を慎重に捥ぎ取り、先程と同様に大きな葉と伸びる鉱石を組み合わせて作った簡易な袋に雑多に入れて持ち歩いている。


力を入れると障子を破る様に簡単に破れてしまうが物を入れる分にはそれなりの量を入れても破ける気配は無い。


道中、鹿や猪、兎に似た生物を発見したが、そのどれもが俺の知るそれとは些か異なる見た目であった。


鹿は耳が非常に小さく一本角が生えていたり、兎には角が生えて梟の様な丸い体型をしていたり。


ウルは角の生えた兎を気に入ったのか、いつの間にか肩に乗せてペットの様に可愛がっている。


といってもこの兎、木の枝や幹の高いところに留まる性質があるようで基本的にはウルの肩に梟の様に留まっているだけだ。


あまり力を入れて抱きつくと悲惨な姿になってしまうと念を押しているので時々優しく撫でている程度ではあるが。


動物を狩る事は基本的にはしていない。


平和な日常でスーパーに並んだ肉にしか馴染みのない現代社会人が肉の解体技能など持っている筈もない。


精々魚を捌ける程度の事はできるので、道すがらに見つけた川で釣りや手掴みで捕まえようと試みたりはした。


しかし力を調節しながら捕まえるというのは中々に難しく、釣りでは引き上げた瞬間に遥か彼方に飛んでいくわ、ウルはウルで手掴みで勢いよく魚を掴もうした際に水が爆散して水浸しになるわと散々であった。


「ビショビショに濡れちゃったな。」


「ビショビショ?」


お陰で二、三匹程度の魚を捕まえる事は出来たが、その日は日が暮れるまで川辺に留まり、そこで野宿する事となった。


「ずぶ濡れだった髪も少しは乾き始めてきたな。」


「ズブヌレ?ビショビショ?…」


俺達は今、上半身裸で川岸近くで枯木を集めて焚火をしてウルの髪を手櫛でといでいる。


幸い煙草で使っていたzippoのお陰で原始人宛ら摩擦で炎を焚く様な苦労はしていない。


今程、喫煙者で良かったと感じた瞬間は他に無い。


元の世界から離れてからはまだ一本も吸ってはいないが…。


ずぶ濡れになったウルを着ていた肌着で拭き取り、濡れたワイシャツを干しながら、捕まえた魚と道中集めたキノコを木で串刺しにして焼いている。


濡れたウルを着替えさせるのは大変だった。


ジャケットを着せる時と同様、手を広げて俺にやらせるよう訴えかけていた為、結局俺がワイシャツを脱がせて身体中を拭いていった。


葉っぱで目を隠して裸を見ない様にしていたが、段々と面倒臭くなり、最後の方は普通に背中を眺めながら身体を拭いていった。


最初こそ、その綺麗な裸体に欲情してしまいそうになったが、気にする素振りも無く手を広げ続けるウルの様子にそういった気は段々と失せていっていた。


二度言っておくが背中を拭く時以外はちゃんと葉っぱで目隠ししていた事は強調しておこう。


言葉を交わす際もどうやら俺が話した言葉を反芻して話しているようで、今では子供の世話をしながら物を教えているのと変わらない様に感じている。


「カワキはじメテきた?」


「ああ、「乾く」だな。ほら、こっちも乾き始めてきた。」


「カワク…かわク…乾く…」


干していたワイシャツを手渡してみると衣を羽織ったウルは自分の髪とワイシャツを見遣りながら小さな事で同じ言葉を呟いていた。


こんな感じで二日目の夜を過ごしている。


食事も終えてぐっすりと寝静まるウルの頭を膝に乗せて、焚火の炎を眺めながら今までの事やこれからやるべき事などを考えていた。


亀裂に入る直前、ウルは「大丈夫、感じる」と言っていた。


気が付いた直後は元の世界に戻れたと気が逸ったが、よく観察していくと夜空には満天に輝く星空に丸い月……


変な形の月が浮いていた。


あれは俺の知る月は菱形ではない。


しかもいくつかの菱形の星が球状を為すように不規則に自転している。どういう物理現象であんな動きをしているのかは不明だ。


ともかく此処は俺のいた世界とは大きく異なる世界の様だ。


森を探索する際、何度かウルに頼んで空から周辺状況の確認もした。


空から眺めると地形の高低差がかなりある様で山には雲や霧が掛かっていたり山々が複雑に入り組んでいたりとしていたため広域まで確認する事は出来なかった。


雨こそ降ってはいないが、森は薄らと霧がかっており天気もあまり良いとは言えない。


天気が晴れの日を狙って空からの探索をもっと行うべきだろう。其れ迄は可能な限り森を探索して食糧を調達しながらやり過ごしていこう。


しかしこのまま森を彷徨い続けるのも問題だ。せめて村や町を見つける事ができればいいのだが…。


「食糧は何とかなりそうだ。後は服をどうにかしたいな。情報を得る為にも人里を探さないといけないか…」


闇雲に動き回るのは危ないかもしれないが当面は人里の捜索をしていくしか無い。


そんな事を考えて二日目の夜を過ごしていった。

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