Lo.St. –encounter– 孤独を語る者達の異世界一会
スバルバチ
第一章 ー遭逢ー
一話 三十路で終わった男の九天直下−Thirty ED.Fallen−
ジリジリジリジリジリジリジリジリ‼︎
鳴り響く騒音の中、苛立ちを乗せた手をその元凶に向けて思い切り叩きつける。
ジッ!…
衝撃でレトロな形の何処にでも売っていそうなthe目覚まし時計がガシャンと音を立てて床に落ちた。
ピタリと鳴り止んだ目覚まし時計は近づくと鳴きだす寿命間近の蝉を思わせる危うさを窺わせている。
あと5分もすれば奴は再び発狂し甲高い音を立てて息を吹き返してくるだろう。
この暖かな温もりにいつまでも包まれていたいが、それだけは何としても阻止せねばならない。
徐にベッドから床に手を伸ばし目覚まし時計に手を伸ばす。
ひんやりと冷え切った床に指先が触れ、外の冷え込みが身体に染み入る…
繰返し機能のボタンをオフにして、時間は
「5時か…さ、さむっっ…」
2月28日AM5:16 23、24、25…
ザー…
「曇り…雪?いや雨か…」
白い吐息を吐きながら窓の方に目を向けると空はまだ暗く、分厚い雲に覆われた空が広がっていた。
ブラウン管テレビから流れるノイズにも似たガラスを叩く雨音が朧げな意識を掻き毟る様に揺さぶり起こしていく。
目覚めてすぐに「早く仕事終わんねぇかな」などと考えてしまう俺はダメ人間なんだろうか…
多分ダメ人間なんだろう……
布団に包まったまま顔だけを出して、開ききらない瞼を擦り辺りを見渡す。
脱ぎ捨てられたままの服、散らかったテーブル、灰皿に突き刺さる煙草の吸い殻の山。
8畳1DKの広くもなく狭くもない物が散乱した部虚しい部屋で一人暮らし。
何処にでもいる様な人生を送っている俺の名は天知 健。
何の変哲もない只のサラリーマンだ。
外は雨の勢いが更に増してきている…
暖かな温もりに名残惜しさを感じながらも意を決っして布団から飛び出した。
そそくさとコーヒーメーカーに粉を入れ、水を注いでいく。
体を左右に揺らし震える身体を擦りながら滴るドリップを眺めていた。
急いで淹れた珈琲を手に取り、まだ仄かに暖かさを残す毛布を引き抜いて肩に羽織りカップに口をつける。
震える片手で煙草を器用に引き出し、口に咥えて火を付けた。
「ふぅーー…今日も孤独で報われない、虚しい我が人生を頑張って消化していきますか…と。」
白い煙と共に大きな溜息をつき、いつも通りの朝の支度を済ませ誰もいない部屋に背を向け扉を開きながら虚しさを紛らわせる様に独り呟く。
「いってきまーす……。」
返ってくる言葉など無い事はわかりきっている。
薄暗い部屋に密やかに響くその声は、これからの人生を物語る様に静かに密やかに床に沈み込んで掻き消えていった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「天知君は独身だったんだったっけ?」
昼休みに会社の喫煙ルームで一服していると部長とばったり遭遇し、軽い世間話で間をもたせていた。
「いや、結婚は…」
「いい歳なんだからそろそろ結婚とか考えないのか?」
「そうではなく、してはいたんですがね。」
「ああ。もしかして別れちゃったか。」
「ハハ…」
この歳になると歳上の同僚や上司は話す会話が無くなると大体この手の話を始めてくる。
察しのいい相手ならば此処ら辺で茶を濁してくれるのだが、この部長は、というかこの会社の人達はそういう事に無頓着なのかズケズケと話を続けてくる。
「なに、浮気がバレたのか?」
「いや、浮気というか何というか…」
「子供は?慰謝料とか養育費とか大変だったんじゃないの?」
「まぁ…その…大変ですよね。」
「浮気はダメだよ。バレない様にしないと。天知君はそういう所、仕事でも結構不器用なんだからさ、もっと要領良く…」
これは駄目だ。言葉を濁してもグイグイ聞いてきやがる。しまいには説教まで始めやがったぞ。
「いや、俺は浮気なんてしてないですよ」
「ああ、そうなんだ。まぁどちらにしても災難だな。」
ここまで言わないと分からないのか。
事あるごとに「気付きが重要だ」と説教を垂れている張本人がこれでは目も当てられない。
まぁ、これでこの無駄話も流れてくれるだろう。
「子供はいなかったのか?子供が居たら離婚なんて事もそう簡単には出来ないだろう。」
まだ続けるのか…
これ以上は不毛な会話だ。というより気分が更に悪くなる。
適当に相槌を打ちながら質問に答えて部長の話を聞き流していた。
結局いつ頃別れたの?とか休みの日に会っているの?等等聞かなくても分かるだろうという事や話したくもない内容を根掘り葉掘り問い質された。
きっとこの会話も何処かの酒の席で肴にされるのだろうなと溜息を吐いた。
「天知君は親御さんも早くに亡くしていたんだったか。葬儀に結婚、出産に子育て、離婚に失業、転職までしてとなると二十代でやる事全部やりきっちゃったって感じだな。」
「そうかもですねー…ハハハ。」
「よく死んだ魚の目みたいな目をしてるもんな!まぁ悪い事があった後はいい事が必ずあるんだ。元気出して真面目に仕事してたらいい事もあるさ。」
「ハハハ…善処します。」
やっと終わったか。
滅入る気を推して溜息をつきながらデスクに戻り、再び仕事を始めていく。
「全部やりきっちゃった」か。
気分は悪いが部長に言われたその言葉が頭に残っていた。
確かに大きな節目でみれば大抵の事は既に経験してる。
仕事も独立とまではいかないが一年半程フリーランスで仕事をしていたので、ある意味では独立に近い事をやっていた。
その頃は収入の上下が激しく仕事がある時はいいが、仕事が少ない時は本当にしんどかった。
人によっては会社を立ち上げることもなく、正社員にも就いていない男は失業者と同じ枠組みだと思っている人もいるから失業も経験してる事になるのか?
一時仕事が雀の涙程しか無かった頃は自分でもそう思ってしまったので、失業者だと言われても反論できなかった時は虚しかったな。
結局安定した収入を求めて今の会社に再就職を果たした訳だが…因みにこの会社での出世には全く興味がない。
他に経験していない事と言えば定年退職と…後は死ぬ事くらいか。
三十路前に人生の節目の多くを終わらせた男。
三十路を迎えた俺の先に待つのは長い孤独と衰退のみ…悲しすぎて逆に笑えるな。
定時前に仕事を早々に片付けて「残業する事が当然」な雰囲気を常に漂わせている古臭いオフィスから足早に退社した。
いつも通りの帰り道。
しかし今日は朝から激しく降る雨の所為か見慣れた街並みがいつも以上に忙しない景色に染まっていた。
両端の歩道路を埋め尽くす様々な色の傘が立ち並ぶカラフルな風景はいつもの道を華やかに魅せているが、傘の下から覗く人々の顔は憂鬱に塗れている。
降り注ぐ大粒の雨がビニールを激しく叩き、頭上から「急いで歩けよ」と脅す様に音を立てて急かしてくる。
傘の雨音に情緒を感じるという言葉を何処かで聞いた記憶があるが、蟻の行列の様に黙々と駅に雪崩れ込む日常が当たり前の現代社会人の中で雨音に情緒を感じて愉しめる様な余裕を持つ人間が果たしてどれだけ存在するのか?
この中にそんな人間が居たならば、其奴はさぞ裕福で心の余裕がある頭の中お花畑な奴等なんだろうな。
羨ましすぎて吐き気がする。
そんな不毛な事を考えながらスーツの裾を濡らして駅の改札口の行列に紛れ込んでいった。
いつからか重く感じるようになった足は雨水でずぶ濡れになった裾の所為で更に重くなり、水を滴らせながらホームに向かう階段を降っていく。
グショグショになった靴下の感触が気持ち悪い。
明日もまた仕事かと考える度に気分が沈んでいき、それに呼応して視線が徐々に足元に落ちていく。
落ちかける瞼が光を遮り、視界から入る光と混じり合って視界をぼやけさせていった。
恐らく今の自分は部長の言った死んだ魚の様な目をしているのだろう。
しかし周りも対して変わらない。
無表情でスマホを弄りながら駅のホームに向かう人達。
スマホの中ばかりに興味を注ぎ、周りの流れに身を任せて押し流される様に歩く様は魂の抜け落ちたゾンビや野驢の集団が行軍しているのかと錯覚してしまいそうだ。
かく云う俺も社会のルールが生み出した集合的無意識の重圧に押しつぶされ、黙々と進む周囲の流れに只只流されていく独りに過ぎない。
死んでいる様に生きる、とはこう云う事を言うのかも知れないな。
一歩一歩、駅のホームに続く長い階段を降っていく。
ザッザッザッ…
周りの足音が耳障りだ。
ザッ…
「?」
足を伸ばした先にある筈の階段が、無い
既に踏み出した右足は着地点を失い身体が前に傾く。
前に倒れてる?
崩れた?
抜け落ちている?
いや落ちてる。
身体の力が、抜け、た?
床の支えを無くした身体は突然の出来事に反応すらできず全身の力が緩んだ。
宙に浮いたのかと錯覚した。
直後に腰砕けになって地面に崩れ去る様な錯覚に襲われていく。
不快に感じていた行列の足音は、まるで霧が晴れたかのようにいつの間にか掻き消えていた。
「へっ?」
突然の出来事に思考は完全に停止し、時間が止まったかのような感覚に陥りながら真っ逆さまに突き落とされていく。
目をしっかりと見開き、足元に視界を向けたその先には真黒が広がっていた。
「あぁーーーっ!!!?うぶっっ!!?」
急降下により三半規管が大きく揺さぶられて、胃が下から上に押し潰されて咽吐きそうになりなる。
状況を必死に理解しようと必死に考えようとするが余りにも突然で想像を遥かに超えた事態に頭が全く追いつかない。
遥か上に脳味噌だけを置き去りにしてしまったかと思った。
無意識に上を向き手を伸ばした。
思考すらままならない俺は只々ひたすらに真黒の中を落下し続けていく…
「………。」
底が見える気配がまるでない…
「………。」
いつ地面に激突するのかという恐怖に襲われ心臓が激しく鼓動しているが、恐る恐る下を除いても先は全く見えてこない。
垂直に落ちていた筈の身体はいつの間にか横になって両手両足を広げていた。と思う。
平衡感覚が既に狂っている所為で上と前のどちらが天井なのか判別がつけづらい。
其れでもひたすら落下していき、時間が経つにつれ少しずつだが平静を取り戻していった。
どうして俺はこんな暗闇の中、一体何処まで落ち続けているんだ?
此処は何処だ?何が起きている?
いつになったら地面に到達するのか?このまま着地したら即死だな…
助かる方法は…無理…だろ…これは…
考えれば考える程に助かる術が無いことを自覚していく。
俺は何処にでもいる一般人で、そうでなくともこんな状況で助かる人間がいるとは到底思えない。
むしろこんな絶望的状況で助かる奴は人間ではない。
ゲームや漫画に出てくる様な超人や怪物じゃないんだ俺は。
などと考えているが一向に終わり…底が見える気配はない。
「このままだと終わりイコール墜落死な訳なんだが…」
終わる事のない落下の中、次第に周りの状況を把握するほどの余裕が生まれ始め幾つかの違和感がある事に気付いた。
それは落下しているにも関わらず、空気抵抗を全く感じないという事。
落下の直後こそ胃が圧迫される様な感覚があったが、落下の際に本来なら身体に受ける筈の風の抵抗を全く感じない。
今自分が落下しているのか、それとも暗闇の中で停滞しているのか視覚だけでは全く判別出来ない状態だ。
下からの風圧は感じないが、上から乗しかかられる様な、もしくは下から身体を引っ張られる様な不可解な力を身体に感じていた。
今は微かに感じる程度ではあるが、この感覚が今現在俺が落下しているのだと感覚的に理解させている。
しかも恐ろしい事に時間が経つにつれて上から何かが乗っかってくる様な重みが次第に強くなっている。
背中からの重圧が重くなる度に不安と恐怖が倍々に積み重なっていく。
「途轍も無く嫌な予感がしてならないんだが…」
ひたすらに落ちていく暗闇の中で上からの力が更に増し、やがて痛みを伴い始めて間もなく、大きな異変が生じた。
「おぐっっ!!!?あがっ!ぁぁ………あぁっ………」
乗しかかってくる力が全身に纏わり付き、捻り切る様に身体中を締め付ける力に変わっていった。
雑巾を絞る様に身体がっ…捻られていく…
肺の中の空気が強引に吐き出され、激しい目眩を感じながら果ての無い暗闇の中でのたうち回る。
「っっ!?はぁっっっ!…んぐっ…」
締め付ける力はかなり不安定なのか急に強まったり力が緩んだりと緩急を繰り返し、捻り切る力の方向も目紛しく変わっていく。
力が弱まる瞬間に必死に空気を取り込もうと激しく息を吸いこむが、心臓は激しく高鳴り、貧血を起こすように視界が薄らんで歪んでいく…
これまで味わった事の無い痛みで頭の中は再び混乱状況になり、口から大量に血を吐きながらいつ終わるかも分からない激痛に悶え苦しむ。
「ごぇぶっっ!!?あがぁぁぁぁぁあっっっ!!!?」
鼻の中は鉄臭さに塗れ、鼻腔が喉から吐血した血に塞がれて溺れる様な息苦しさに襲われた。
身体中に激痛が走り痙攣を起こしている中、胸に何かが突き刺さり内側から引き裂かれる様な激痛が走った。
肺が圧迫されいるのか息を吸い込もうとする度に抉られる様な痛みが身体中を駆け巡る。
辛うじて吸い込んだ息は食道から込み上げる吐瀉物と大量の血に混ざりながら、喉元で暴れ回り一気に押し出すように吐き出されていく。
吐瀉物と血の入り混じった口元には赤黒い泡が立ち、捻り切る力が肺を圧迫して空気の侵入を阻む。
も……もう…無 ゴチュッ
…薄らぐ意識の中で視界にボンヤリと何がが映った。
それは捻じ切れ、反り返りながら、左右の端がゆっくりと上がっていった。
「あぁっっ!!!?あぁぁぁ………あぁっ………」
腕だった。
赤く染まった視界に映る開封済みのストローの袋にも似たグシャグシャの物体の片端から滴る様に液体を垂れ流している。
もう一方の端には五本のひしゃげた指がゆっくりと捻り回っていっている。
その腕は紙を捻り包む様に捻り回り、血を吹き出しながら球体の肉塊へと変貌していった。
視界が…霞む…
再び意識が戻ってきた。
「あ…あぁっ………あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
次に視界に映った光景は上に聳え立つように反り返った…歪な造形が…
胴体と…足…
「あぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁ!!!!ぁぁぅあ………。ぁあ……あっ」
その身体が自分の身体だと認識した瞬間、顔中から激しく捻じ切られるような痛みに悲鳴をあげた。
「あぁ…うぶっ……ぶぐっ……」
絶叫は呻き声へと変わり、ブツリという音と共に視界と意識が途絶えた。
次に気が付いた時には…何も見えないが背筋の凍る様な異様な音が頭蓋の奥底に鳴り響く。
グチュ……ミチュっミチミチッ…バキン…ブチブチッ……グチャグチュっ……
「があぁぁぁ…ぁぁぅあ………。ぁあ……あっ」
メキメキと身体中の肉や骨が砕かれていくような音が痛みとは別の悍しい恐怖を刻みつけ再び意識が暗闇へと引き摺り込まれる。
「ひぃっっ………ぉぐがぁ………っっ………」
繰り返される悪夢
「ごぶっっ!?ごがぁぁぁっっ!?………」
絶え間ない激痛
グチュ…グチュ…バキュッブチャッ…ビチャ……
鳴り止まない不協和音
「ナにが起き…タっ!?な…何が起キテい る? チん だ?
死ヌのがっ???シンっっで?ルぐがっ!? ヲ 俺っ!?アがぁ…グジュ…じぃぃっ……っ。い、いっ痛ぁぁ……息……っ……むっ……理ぃ……ジぃ…にヌぅぅ……。」
上げる腕は泥に塗れて流れ落ち、覗く足は骨から泡が噴き、潰れた目玉が幾つも地面に散乱し、やがて泥へと変質していっていた。
目の前に揺蕩う泥が無数の糸になる様に解れ、視界に映る醜い全てを取り込みながらまた視界を遮っていく。
何度も浮かんでは消えていく意識。
痛みと恐怖が続く中で、ほんの些細な、しかし救いにも思えた変化が訪れた。
唇に雫が弾けた。
その冷たい雫は口の中に入り込み、舌を伝って喉奥へと緩やかに流れていく。
それは絶望に塗り潰された意識の中で、染み渡るような優しさと、熱を冷ますような心地よさを僅かに与えてくれる。
再び意識が途切れる間際、ブサイクに笑う顔が頭に浮かんだ。
抱きつく事が大好きだっだ。
手を繋ぐ時間が何より幸せだっだ。
泣きつく涙を拭うと心が震えた。
アイツの為に在る事だけが唯一の生き甲斐だったんだ…
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