その聴取、円滑につき


 真木がまず話を聞いたのはこのフロアの配膳係、富田泰葉と羽生田智樹の二人であった。二人とも真木の先輩にあたり、この広い船内でも面識はある方であった。羽生田はもともと何かのスポーツをやっていたらしく、制服のボタンが今にも弾けそうだ。一方の富田は線こそ細いが身長自体はものすごく低いわけでは無いのに今は富田と並ぶことでちんまりといった印象になっている。

「まきちゃんも大変なことになっているね」

 富田は「真木」を名前だと勘違いしている節がある。以前にも真木が指摘したが直す気はないらしい。

 死体発見日とその前日は、ともに富田が食事の配膳、羽生田が食後の片付けを担当したそうである。作業はマスクと手袋を着用して行われたそうだが食事の配膳、片付けともに特に問題もなく終わったそうだ。

「私は第一発見者だから疑われてるのかな」

 富田は存外神経が太いようで声から動揺は感じられない。

「発見したときは、瀬尾さんも一緒だったんだけどね」

 瀬尾というのは被害男性が宿泊していたフロアのチーフクルーである。年の頃は速水とほとんど変わらない。冬の新雪を思わせる白い肌で手足がずっと長く、顔立ちは夏の清流のような爽やかさである。それにも関わらずどこからか侮れない雰囲気を醸し出していてミステリアスなのだ。瀬尾目当ての宿泊客もおり、当然女性社員からの人気も高い。

「発見時の状況について教えてもらえますか」

「最初におかしいと思ったのは昼食の時ね。8時に出した朝食にまったく手をつけてなかったから」

富田はふっと目を伏せる。

「でも、そういうお客様は時々いらっしゃるしドアサインもあったから、お声をかけて、昼食を置くかわりに朝食を片付けるだけの対応にしておいたわ。そのあと羽生田くんから昼食も食べられていないって聞いて、瀬尾さんと相談して、お客様にお声がけをしたうえで客室に入ったらベッドの上で……」

「殺されていたんですね」

 富田が言い淀んだ言葉を真木が続けた。

「私はちゃんと見ていないんだけど、寝ているときに心臓を刺されたらしいわ」

 言い方からすると死亡を確認したのは瀬尾の方であろう。

「窓は空いてなかったですか?」

「瀬尾さんが窓の鍵は閉まっていたって言ってたわ。誰も触っていないから部屋を確認すれば分かるはずよ」

「凶器とかは無かったですか?」

「刃物だってことは分かったけど、残っていなかったわ」

 恐らく犯人が投げ捨てたのだろう。何せ四方は深い海でどうやろうとも探すことはできない。

 二人が押し黙っていると、羽生田がまそういえば」と語り始める。

「数日前は味噌汁や煮物の大根が全部残されていたんです。全て。徹底的に。几帳面だなぁって思ったくらいです。」

 真木は何のことかとポカンとする。

「羽生田くんまた言葉が足りない」

 羽生田は富田にすみませんと言うと補足を加える。

「死亡した前の日に出された焼き魚の大根おろしは全部なくなっていたんです」

 二人はまた言葉が足りないと呆れた。


 廊下のカメラ映像を確認しようとしていたところ、真木は船長の真栄田に呼び出された。真栄田は若い頃は自衛官だったということもあり、先程の羽生田に負けず劣らずの体格である。年齢を経て貫禄がある分、真木は羽生田よりも近づきがたい感じがしていた。

真木は驚いた。乗務員だけで1000人を超えるクイーンダイヤモンド号の中で真栄田が真木のことを知っていたからだ。恐らく速水に担当でも無いのに関わらず何度も呼び出されているからであろう。関わりのないスタッフからも嫉妬混じりの陰口を叩かれているぐらいである。当然、船内の責任者が最重要顧客についての情報を知らないはずはないだろう。いつまでも速水の相手をさせるのをやめさせて欲しいものだと真木は思った。

「速水様は、今回の件についてどうおっしゃってましたか」

 真栄田は思っていたより気の弱い男であったらしい、真木が回答に迷っている間ずっと組んだ指をもじもじとさせていた。

「私も速水様のことはよくわからないのですが、何だか楽しいそうでしたよ。人死んでるのに」

 真木はあえて突き放すように答える。親しくしているように答えて、これ以上速水の専属スタッフたちを刺激したくないからだ。

「そうですか。安心しました」

 真栄田はそういうって制服のネクタイを締め直した。

「事件の報告を受けた後、3日ほど遡って防犯カメラを確認しましたが特にあやしい人物はいませんでした」

 唐突に話題を変えるものだから、真木は一瞬何の話か考え、カメラ映像に関する話に入ったのだと気がついた。

「それを証明できる方はいますか」

 真木がそういうと真栄田のこめかみがピクリと動いた。真木は速水祥太郎から頼まれて、嫌々聞いているという表情に切り替える。

「フロアチーフの瀬尾さんや富田さんも一緒に見ていますから、後で確認をとっておいてください」

 後ほど富田に確認を取ると、確かに船長の言った通りであった。映像データもチェックしたが整備の時田が入ったのみで、食事も死体発見前日の夜までは食べられていた。つまり、怪しいところは何も見つけられなかった。


 唯一客室内に入った空調整備員の時田に話を聞けたのは午後になってからだった。時田は好好爺とった感じの風貌でふだんは青色のツナギがよく似合っているのだが、今回の最も疑いかかる人物のため自室待機となっており、ラフな格好である。

「私がお約束の3時ごろ部屋に行ったら、お客様は水風呂に入っていたところらしくて、しばらくしてから、部屋の中に入れたんですよね」

 確かにカメラで確認した際も時田は5分程度扉の前で待たされていた。

「電話で対応していたスタッフが1時間くらい怒鳴られたって言ってたから、私も内心戦々恐々として行ったんですが、普通に良い人でしたね」

 時田の言い方にはわざとらしさは感じられなかった。

「故障自体もスムーズに修理できましたし、滞在時間は30分といったところでしょう。もちろん私は殺していませんよ。誰にも証明は出来ませんがね」

 真木の帰り際、時田が思い出したかのように言葉を付け加えた。

「あの部屋お香を焚いていたらしく随分と変な匂いがしたんですよ」


 最後に話を聞いたのは横田正恒。被害男性の隣の客室の宿泊者である。彼はもともと妻と二人で乗船したのだが、妻の方は感染の疑いがあるため、横田だけが事件現場の隣に移動していたのだ。そういった事情もあり、やりとりはすべてドア越しになる。最初は真木も断られると踏んで話を持ちかけたが、予想外にも喜んで話をしてくれた。どうやら自室に一人篭りきりで寂しいらしい。

「死んだっていう日の前日は凄い怒鳴り声が聞こえましたね」

 ドア越しに伝えられた怒鳴り声とは恐らく件のクレームのことだろう。

「それ以外に何か物音とか聞こえましたか?」

 真木は扉の向こう側まで聞こえるように大きな声で話す。

「おかげさまで防音が結構しっかりしていて、あんまり音とかは聞こえてないですね。聞こえるのは窓とかドアの開け閉めくらいですよ」

 その後も取り止めの無い話を続けたがどうやら、手がかりは何もないことだけがわかった。


 業務後真木は事件のあった部屋の前にいた。現場保存のため本来なら立ち入り禁止だが速水の命令で仕方なくマスターキーを拝借してきたのだ。事件現場の702号室は角部屋の中等客室である。通常、通路を挟んで向かい側にも客室があるが、このエリアには設備の関係で部屋は置かれていない。

 真木は部屋の前でカードキーを持ったまま佇む。昨日までここに死体があったと考えると空気がどろりと粘り気を帯びたようになった。

「どうしても入らなきゃダメかなぁ」

 真木が逡巡していると、いつの間にかフロアチーフの瀬尾令が背後に立っていた。真木はこの世のものとは思えない叫び声を上げた。そのまま、腰抜かして倒れたそうになったところ瀬尾に腰を支えられた。ほのかに柑橘系の香りがした。

「すみません。驚かせるつもりは無かったんです」

 そう言って手を離した瀬尾の声は本当に申し訳ないといった感じであった。

「いえ、こちらこそありがとうございました。助かりました」

 真木はひょこっと頭を下げる。

「とっさのことでしたので、セクハラで訴えないでもらうと助かります」

 瀬尾は少し照れたような申し訳ないような笑い方をする。真木はその顔に可愛らしいを覚えた。

「真木さんは客室の確認に来たんですよね」

 見惚れていた真木は咄嗟の答えに詰まり速水に命令されて来たと答えてしまったため、「お客様なんだから、命令という言い方はあまりよろしくないね」と瀬尾に注意を受けてしまった。事実命令なのだから面白くない。

「僕はこのフロアの責任者だからね。入るなら警察には一緒に怒られてあげるよ」

 真木を慰めるような笑顔で瀬尾は話を切り替えた。

「瀬尾さんは、事件があってから入ったんですか?」

「僕は第一発見者でもあるからね。責任者でもあるし遺体の運び出しにも立ち会ったよ」

 マスク越しの瀬尾はどこか寂しそうな顔にみえる。真木が再び見惚れていると、瀬尾は彼女の手からカードキーをひょいと奪い取った。

「鍵を開けたのは僕だからね」

 瀬尾はそう言ってドアの開けると真木を部屋の中に誘った。室内は嗅いだことのないの腐敗臭がしており、真木はしばらくしてそれが血の匂いだと気がつき、自然と眉間に力が入る。瀬尾は指紋をつけないために懐中電灯を持って来ていたようだ。どこから確認したいかを聞かれた真木は窓の鍵を指定する。

 灯に照らされたクレセント錠は窓が開くことのないことを示している。真木は窓の前で腰を折りぐるりと鍵を確認するがこれといって怪しいものは見つからない。

「私は最初、隣の部屋の人が犯人だと思ったんですがこれでは無理ですね」

 そう言った真木の声が少し残念そうであった。

「やっぱり時田さんが犯人なのかなぁ?」

「真木さん、それだとその後も食事がとられていることに辻褄が合わない」

 真木は諦めて他の場所を確認することにした。

 次に確認をしたのはベッドである。

遺体があったためであろう布団の中心を避けて赤黒いシミができている。足側に半分に折り畳まれた羽毛布団にも血が付いている。

「遺体はどのような状態だったのですか?」

「真木さんの想像通り、布団に寝かされて布団がかけられていたよ。ただ、掛け布団には傷が無かったはずだから殺されたときは、布団を掛けていなかったんだろうね」

 よく見ると血痕は入り口側に引っ張られた様に伸びている。遺体搬送時についてしまったのだろう。

 その後も部屋を見て回るとおかしなことに気がついた。タオル類が一枚もないのである。

「返り血でも拭き取るために使って海に捨てたんじゃないかな」

 

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