最強との手合わせ

「そなたらはこの先にある町に向かうのであったな?」

 食後、お湯を沸かして入れた茶を飲みつつしろがね様が尋ねてきた。

 嫌味すら失せるほど優雅で様になっている。


「はい、『学術都市エコール』に行く予定です。そこで色々調べてみようかと思っています」

 空になった鍋、それを簡単に掃除しつつ答えた。

 とにかく不明確なことが山積みだったので、そこにある大図書館を頼る予定だ。


「ふむ……その名の通り、人が学ぶ街であるか。ところで封印の副作用に関して、余から一つ助言がある」


「助言、ですか?」

 一応、どのようにしろがね様が力を取り戻したか……食事中にそれは聞いている。

 というより、会話の結構な部分をそれが占めていたのだ。



 かいつまんで言うと、『己を心身ともに鍛え、多くを経験せよ』というところだ。


 様々な命と出会い、助け合い、解り合い、学び合い、時に争い、霊薬や薬草を求め西へ東へ……50年間、世界を旅し続けたという。

 それを続けていくうち、段々と副作用がなくなっていったというのだ。


『なにが明確に作用したのかはわからぬ。ただ旅を続け、様々な物を知り、関心を得る度に薄まっていった、とでもいうのが近い』というのは、しろがね様本人が言っていた。

 これに関しては厄介この上ない。

 なにせ明確に『何が』、『どういう』効果があったのかがわからないのだ。極端に言えば、旅云々関係なく、50年間の放浪暮らしで解けただけとみることもできる。


 聞いている途中から『副作用の解除』というか、『しろがね様の冒険譚』になっていったのは言うまでもない。

 そして自分も男の子、そんな冒険譚に心を躍らせて聞き入ってしまった。



 その話からも、とにかく自分たちも旅を続けよう。ということになると思うのだが……


「良き食事の礼もある。だが、一つ余の相手をして欲しい」

「しろがねよ、お主……何をするつもりじゃ?」

 同じようにお茶を飲んでいたフィルミナが眉をひそめている。

 こちらもまた様になっており、優雅な日傘や椅子が見えてきそうなほどだ。


 二人を見ると、本当にここは荒野のど真ん中なのか疑わしくなってくる。



「簡単よ。眷属セス・バールゼブルよ、余と手合わせせぬか?」








「セスよ、無理に受けずともよいのじゃぞ?」

「いや、やってみたいんだ」

 心配そうに聞くフィルミナに答える。


 先程までいた樹の根元ではなく、荒野でも砂礫だけの場所に移動する。相変わらず周囲に魔物やはぐれ龍の気配はなく、ここなら多少派手に戦おうが何も影響がないだろう。

 片した荷物はフィルミナに持ってもらった。


「正直、今のお主ではどうにもならん。儂が生きていた時代でも、あやつは最強の一角じゃったぞ」

「うん、勝てないと思うけど……勝つつもりでやるよ」

「なんじゃ、それは?」


 フィルミナの怪訝そうな顔、それに対して軽く笑って離れる。


 何をする時でも……初めの気持ちで負けていたら話にならない。

 たとえ負けるとわかっていても、『学ぶ』ための負け戦だとしても、勝つつもりで挑まなければ何の足しにもならないだろう。


 一歩近づくほどに、言いようのないプレッシャーの様なものが圧し掛かる。だがそれよりも、飲まれるような荘厳な雰囲気の方が強い。

 強さによる押し潰すような圧力、相手を飲み込んで包むような器量、どう転んでも自分に勝ちの目はないとわかる。


 相対するは、白と銀で彩られた『人』の姿を取ったしろがね様。



「引き受けてくれて感謝するぞ、眷属セスよ」

 さっきまでの会話とまるで変わらない、手合わせと言えど今から戦う相手に向けるとは思えない抑揚の声。


「自分にとっても、この先必要になることなので……」

「ふむ……ならば余も胸を貸そう。殺す気で来るがよい」


 そう、正面切って戦う。

 自分はその経験が圧倒的に足りていない。


 宿場町のはぐれ龍三匹は、他の冒険者たちが相手にしているところに乱入して倒した。グレンデルやアモルでの龍も同じようなものだ。

 全て自分が先手を取れてから戦い始めている。


 吸血鬼になったおかげで、五感や筋力は凄まじいものになっているのだろう。

 だが、互角以上にそれを持つ相手は?

 そんな相手を前にして不利な状況で始まったら?


 何より……獣ではなく理性と知性を持って、しっかりと戦術と戦略を駆使する相手だとしたら?


 現状それらに相対すると、自分の戦闘経験の少なさが足を引っ張ることはすぐにわかる。


 今相対している相手は、明らかに力も経験も知恵も自分より遥かに優れている。そして状況は向かい合っての五分、どう考えても今の自分は負けるしかない状況……



 大きく呼吸して酸素を肺一杯に取り入れ、ゆっくりと吐き出していく。


 操血術で武器を精製する。

 長い柄、正面だけではなく横にも対応した十字の穂先、突きにも薙ぎ払いにも対応できる形状。


 十文字槍……を模した棍を両手で構える。


 フィルミナから習った武術、たった三週間程度だが……今日までのそれを全部置いてくるつもりで挑む。

 そして、少しでも自分の弱さを実感し、経験を積む。


「いつでも来るがよい、眷属セスよ」


「……行きます」



 鬼の脚力、操血術……吸血鬼としての全力で踏み出す!

 地が爆ぜると同時、確かに穂先が白と銀の『人』を貫いたと思ったが……


 手応えがない!


「良い。鋭く速く、真っ直ぐ綺麗な突きよ」

 貫いたのは影、すでに穂先の内側に潜り込まれている!



 離れ、



 そう思った瞬間には、鈍い音と共に視界が吹っ飛んでいた。

 しろがね様に掌底で押された腹、そこに凄まじい衝撃が走る。

 『半減』しても足を浮かされた。


 衝撃を利用して距離を取った後、地に踏ん張り身体を押し留める。

 相手は視界から外さない!


「『龍』は地に巡っている力、『龍脈』の力を使う。これは単純にその力を身体能力に上乗せしているだけのものよ」

 先程の位置から動いていないしろがね様。

 軽く手を出した体勢、とてもそこから龍の突撃に匹敵するような衝撃を繰り出したとは思えない。


 正面から、単純に早さで獲るのは当然ながら無理。

 つまり自分以上の身体能力と五感を持っている格上の相手……それでこそ、挑んで経験できるものが多い!


「素晴らしい……瞳の奥にある闘志、それを尚も燃え上がらせるか」

 しろがね様が唇を吊り上げ、軽く笑う。


 呼吸を整え、構えなおす。


「存分に楽しみ、学び取るがいい。眷属セスよ、余の胸を貸そう」

 学ばせてくれるのは嬉しいけど、楽しめるかどうかはわからない。

 別に喧嘩や手合わせが好きなわけじゃない。


 今だってそうだ。

 フィルミナを守って、『呪い』のような副作用を解く。そのためだけに力を求めて手合わせに応じているだけだ。


 そうだ。

 鬼姫フィルミナ、彼女を守るため、独りぼっちにしないため、俺は強くなる。



 空いた距離、今度はそれを活かして攻める!

 手に持った棍、それの重心を変化させ投擲用に調整する。


 十文字棍を力の限り投げつける、と同時に自分自身も駆け出す!

 投げた棍に続くかのように駆ける。



 まだだ。


 棍がしろがね様に迫る。

 操血術で次の一手を用意する。

 片手持ちの剣と『もう一つ』。


 まだ!


 当たる寸前、しろがね様が軽く身を捻って棍を躱す。

 こちらから見て左。


 ここ!


 身を捻った方向――左――に回り込むようにし、少しでも死角を多く作る。また連続で同じ方向に逃げることも出来なくする。


そして『本命』を当てるため、右手の片手剣を下から上に振り抜こうとする。

あえてそれを『見せるように』……


 『それ』を放つ前、しろがね様の銀の瞳と自分の瞳が合う。





「良い。しっかりと操血術を理解し、それを活かして動いている」


 本命のそれ、『左手から伸びた赤黒い刃』。

 わざわざ武器の体勢も取らず、伸びている場所も前腕からという歪さ。ただ最短で的確に相手を刺すために用意していた『本命』。


 最低限の動きで、躱されてしまった。

 必死に考えておいた一手が掠りもしない。


「投げた棍で相手を動かし、退路側に回り込み、これ見よがしに剣を振るおうとする……それらはすべて、この必殺の一手のためか」

 完全に意表を突くために考えた一連の攻撃、それをすべて読み切られた。


 思わず表情が歪み、苦し紛れに右手の剣を振るうが……


 軽くいなされ、再び掌底で……今度は上から下に叩き潰すようにされる。

 先程よりも強い、『半減』しようと体の芯に響くかのようだ。


 衝撃を利用して地面を転がり、瞬時に起き上がる。

 適度な距離、即座にしろがね様に対して構えを取るが……こちらに目を向けるばかり、仕掛けようとしていない?


「左手の刃も剣も、どちらも刃をしっかりと潰している。細やかなコントロールも見事。何よりも素晴らしく頑丈な身体、今のはかなり強めだったのだが……」


「これでも見かけよりずっと丈夫です。遠慮なくどうぞ」



「ならば……」

 初めて、しろがね様が構える。

 軽く体幹をずらし、片手をこちらに向けるように、流麗な動作だった。


「その身で耐え、多くを学ぶがよい」

 相も変わらぬ抑揚、だが確かに背筋に痺れが走る声だった。



 相対した時よりもずっと強く、重く、威圧感が圧し掛かってくる。

 自分に武術の修練をつけてくれたフィルミナ、それだけで本来の彼女は遥かな高みにいるとわかった。

 果て無き反復と実戦により研鑽され、極められた武を治めているであろう『鬼姫』フィルミナ。彼女と同じ時代を生きた『龍帝』しろがね様。



 自分よりも圧倒的に強い、何よりも自分が到達しなくてはならない領域にいるであろう……それでいてこうして、痛みと苦痛を持って学べと理解してくれるお方。


 こんな幸運は、きっともうない。



 俺は強くならなきゃいけない。

 そのために……全力で勝ち目のない相手に、勝つつもりで、力の限り挑み続ける。

 この場で学び続けて、少しでも糧にしていく。


 じゃないと、その程度のことが出来ないで……「フィルミナの副作用、『呪い』を解く」、「この鬼の姫を守って孤独にしない」だなんて……そんなおこがましいことを願えるか!


 誰かを、彼女を助けようとすること。

 それは一つの命に向かい合って自分の命と秤にかけることに等しくなる。


 そうだ。

 グレンデルの時……力がなくて自分の人としての命は奪われた。

 鬼になった後も同じ、グレンデルの時も、ワイバーンの時も、宿場町の時も……自分の命を賭けて、誰かを助けるために相手の命を奪ってきたんだ。


 誰かを本気で救うということは、時には自分の命を差し出すということ。


 今更気付いたことだけど……その程度のことで戸惑うものか。

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