1-5 能利と親父の脅迫

———— Noli



 常に人がいる街。夜でも変わらずに人が出歩き、楽しげな雰囲気で栄える港町。木を隠すなら森の中。人を隠すなら人混みの中だ。


 能利は、港町として賑わう、ショーロの街を歩いていた。

 人と人の間を、常に肩がぶつかり合いながら歩く。それほど、ショーロの繁華街は人がひしめき合っている。


 右目の封印を施した男に追われ、助けられた先には、同じ封印を持つ、孤児院時代に弟のように可愛がっていた少年が、立っていた。


 能利の右目は、本来は霧亜に封印されるべき、彼の妹の体術の力だった。


 偶然にも手に入れられたこの力を、易々手放したくはない。


 能利はすぐに見つかってしまったライルの森での野宿を止め、人混みに紛れて隠れていた。ザンリは、移動が面倒な魚の獣化動物のため、いつも海や川で待たせている。


 ある飲食店に入った。

 中は木製のテーブルと椅子がごちゃ混ぜに置いてあり、恰幅のいい男から肌を大胆に露出させた女まで、酒を飲んで騒いでいた。


 奥のカウンターで食事を頼み、賃金を払って店の端に座る。

 唯一空いていたテーブル席だったが、能利の食事が来る頃には、髭面の筋肉質な男とその御一行五人との相席になっていた。


「よう、兄ちゃんは飲まないのか」

 早速、筋肉質な男が話しかけてくる。

「水でいい」

 御一行がどっと笑う。

「ここに来て水でいいなんて、お前相当金ないんだな! いいぜ、今日は金がある日だ。奢ってやるよ」

 能利の拒否の言葉には全く耳を貸さず、男は店員に酒樽を一つ注文する。


 店員は能利と御一行のテーブル近くに、子供一人分はある大きさの酒樽を転がしてきた。

 男が酒樽の蓋を拳で叩き割ると、木のコップを酒樽に漬けてすくい、能利に差し出してきた。


 ワインのような赤黒い酒が、びしゃびしゃと能利のマントにかかる。

 このマントが防水になっていなかったら、この男をクズネの毒で溶かしている所だった。

「面倒ね、殺す?」

 フードの中から、クズネが小さな声で呟いた。

「いい。大丈夫」

 ここで事を荒らげて、霧亜の父親に見つかりたくはない。


 あの霧亜との戦闘の後、ザンリに乗ってライルからかなり遠くのショーロまで来れた。が、あの霧亜の父親は必ず追ってくる。


 能利は、渋々男の酒を受け取る。

 酒は、嫌いではなかった。能利は既に去年成人している。


「ショーロに乾杯」

 男の声に、店内全員が笑い声とともに高らかに声を上げる。

 能利も合わせて酒をかかげた。

 なんとも、お気楽な住人たちだ。


 ちびりと酒をなめる。安酒ではあるが、嫌いな味ではなかった。

「あんた、飲みすぎないでよね」

 クズネは、能利が飲みすぎた時の酔いの酷さを知っている。クズネもザンリも、能利が初めて成人して酒を飲んだ時に一緒にいた。その時は、師匠に飲まされて大変なことになった。


「兄ちゃんあんま飲めないのか? 俺が飲めるようにしてやる、飲め飲め」

 男は能利の肩を組んで、コップをグイグイと口に持っていこうとする。


 面倒だ。


 能利は男から持たれるコップを奪い取り、テーブルの上に立ち上がる。

 辺りは一瞬騒然とするが、野次馬のように歓声があがった。

 いいぞ! いけ!

 その言葉に言われるがまま、能利はコップの酒をぐいと飲み干す。

 次々と他の客もテーブルに立ち上がり、酒樽がどんどんテーブルに転がっていく。


 途中、クズネのため息が首元から聞こえた気がした。



 店内の活気は最高潮になっている。

 酒を勧めてきた男も、もう能利のことは忘れているようだ。


 そろそろ立ち去ってもバレないか。と、能利が立ち上がろうとした時だった。いつの間にか、目の前に男が座っていた。

 ついさっきまでは、御一行の女が乳房を露に男と飲んでいたはずだったのに。


 能利は目を見開き、ザンリのいる海へ瞬間移動をしようと杖を出すため手を上げた。

 即座に、男にその手をテーブルに叩きつけられる。


 栗色の髪の男は、にやりと笑うとぺちぺちと能利の頬を叩いた。

「あんまり飲みすぎると体に障るぜ、坊主」


 能利は男を焼き殺す勢いの業火を、男の目の前で爆発させた。


 焼けたテーブルや椅子が吹き飛び、火傷を負う客たちが慌てて逃げ惑う。


 爆発の拍子に、能利は店を出て人混みをかき分けていった。


「飲んだくれてんのがいけないのよ、バカ!」

 クズネの小言が耳元で聞こえる。


 ゴロゴロと雨雲が近付いてくる音がする。雨雲は雷雲に変わり、一筋の雷鳴が辺りを真っ白に光らせた。


 次の瞬間、能利は道に空いた丸い穴に倒れていた。体から、焼け焦げた匂いがする。自分から煙が立っているのがわかった。

 一発の雷の音は、垂直に能利の脳天から足先まで襲い、動けなくなったのだ。

 この男、ライルの森で土の性質の魔術師だと思っていたが、まさか木まで使ってくるなんて。つまり、この男は火も使える。三つの性質を持ってるなんて。


「相変わらず逃げ足が早くて厄介だな」

 後ろから、ゆったりとした足取りで歩いてくる栗色の毛の男。


 全く体が動かず、意識が朦朧とする能利は、男に担がれ、どこかへ転移したのはわかった。




 目がさめると、そこは森だった。地面に転がされている。暖かい、パチパチとした音がする。目の前にたき火があった。肉の焼けるいい匂いがする。


 身体を起こすと、クズネが顔の前に飛びついてきた。

「能利! 死んじゃったかと思った!」


「だから言っただろ、殺すつもりはないって」


 慌てて飛び退く。

 能利が飛び退いた先には、ザンリがでっぷりと木の根元に寝そべっている。


 目の前には、能利を雷撃で黒こげにした張本人が、たき火に当たっていた。

「まあ、待て待て。問答無用で封印を解くことはしない。だから話を聞いてはくれないか」

 男は焼けた鳥の肉を、能利の後ろに放った。ザンリは男に放られた肉を大きな口を開けて迎え入れる。

 いつの間に服従したのだ、この獣化動物は。


 男は別の焼いている肉を一つ、能利に差し出してきた。能利が首を横に振ると、残念そうにその肉にむしゃぶりつく。


 能利は、この魔術師から逃げ果せることは不可能だと悟る。周りの景色に愕然とした。

 ここは雷が常に辺りに轟き、木々をなぎ倒すが如く風が吹き荒れている。が、そんな音は微塵も感じなかった。

 男の張るこの結界は、魔力の行使が不可能な結界になっていた。を捕獲する時と、同じような結界だ。

 それを、一人で、こんな高濃度の結界を張るなんて。もしかしたら、体術もままならないかもしれない。


「オレは、まあ知ってるだろうが、霧亜と智奈の父親だ。霈念という。よろしくな、能利くん」

 霈念と名乗った男は、手を差し出してくる。が、一度自分の油でてかてかの手を見直し、コートで拭いてから再び差し出した。


 能利は、恐る恐るその手をつかむ。


「能利くん、オレは君に間違えてかけてしまったその智奈の体術の封印を解いて、霧亜に移したいと考えている」

 再び肉にかぶりつきながら、霈念は話し始めた。


「だが、ちょっと事情があってだな。今オレの子供達はある試練に立ち向かっている」


 そこで、能利は霈念から四神の調停者の話を聞かされた。


 霧亜が、この世界の四神と呼ばれる神獣の元に行き、代替わりの儀式を担うというものだという。四神という伝説上の生き物が、本当に存在すること自体、信じられない話だったが、この森が一つの証拠にもなっていた。こんな、常に雷が落ち、風が吹き荒れる真っ青な森を見たことはない。


「そこで、四神の調停者を担った者には、礼として四神から願いを一つ叶えられると言われているんだ」


 またも、夢見物語のような話。


 能利が眉を顰めているのを見て、霈念は笑った。

「言い伝えなんだがな。でも、夢があるだろう。願いを叶えれば、君は混血として生きられる」

 霈念の蜜のような言葉は、ねっとりと能利の頭を侵食していった。

「オレの息子の手伝いを、してはくれないか」

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