わすれられないデートをしましょう

といろ

わすれられないデートをしましょう

良く晴れた日曜日、朝八時五十分。

体の不調なんて一切なくベッドの上で目が覚めた。こんな気持ちいい朝は何年ぶりだろう。これまでの毎朝やっていた癖で軽く伸びをして、飛び跳ねる気持ちでベッドを降りる。


今日は彼とのデートの日だ。

何か月かぶりにお互いの休みが揃って、ようやくじっくり顔を見て話せる機会を得た。彼も私も学校やバイトで忙しい毎日を過ごしていたから、こんな機会は貴重なのだ。神様にだって邪魔されたくない。


たくさん歩く予定だから、履きなれたオレンジ色のスニーカーを履くと決めていた。スエード生地のそれを思い浮かべながら靴箱を探す。買ったのは三年前くらいかなあ。問題なく履けそうでよかった。

デニムスカートと白ブラウスを合わせれば、ほら、やっぱりとってもかわいい。


時計を見れば九時を過ぎたところだった。まだ待ち合わせの時間には余裕があるから、ゆっくり準備ができる。あ、その前に彼に連絡をしておこう。何もなくても来てくれるとは思うけど、一応ね。

打ち込むメッセージを考える。いいのが思い浮かばなくて、スタンプに頼った。

「今日一日デートしようよ」

これは少女漫画のワンシーンを切り取ったスタンプ。たしか何かのキャンペーンで無料でダウンロードできたやつだ。今日以外にいつ使うんだってくらい、今の状況にぴったりだった。


既読つくかなあ。ちょっと心配になりながらメイクをする。自然に口角が上がっていたから、チークがとても塗りやすかった。

髪を巻いて、最後にリップティントで色を付けて、間違いなく私史上一番かわいい私の完成だ。

ちらりと横目で見たトーク画面には既読がついていた。返信はなかったけど。



ちょっと早めに待ち合わせ場所へ向かうと、彼がすでにそこに立っていた。

「まぁーーーくーーーーーん!」

大声を上げて腕を肩から振る。彼がこちらを見て目を見開いた。人の間を縫って彼のもとへ駆け寄る。

彼の目線は右下と左下を交互にさまよっている。目が合わせてくれないから、下から覗き込んだ。

ぎょっとしたような顔をしてから、彼は言う。

「え、っと……。声がでかいよ、美鈴」

「大丈夫だって。ね、デートしよ。行こ! 私ずっと楽しみにしてたんだから」

「うん……。そうだね、俺も楽しみにしてたよ」

彼はそこでようやく笑ってくれて、私の後をついてきた。


「どこ行く? 私、この前言ってた観覧車に乗りたい」

「いきなり観覧車?」

「ううん、それもそうか。じゃあ先にご飯食べに行こ」

「あー……、え、食べれるの?」

「失礼な! ちゃんと朝ご飯抜いてきた!」

「ちゃんとって言わねえんだよなあそれ」

振り返って彼を見ると「そういうことじゃない」とでも言いたげな顔をしていた。

「じゃああのイタリアン行こ! 大きいパスタ出てくるとこ」

「はいはい。仕方ねえなあ」

めんどうそうに言うのは彼の癖だ。本当は嫌がってないこと、ちゃんと知っている。


そんなやり取りがあって入ったチェーンのイタリアンレストランでは、大皿のエビ入りジェノベーゼを一つ頼んだ。大皿にしたのは二人で分けて食べるためだったけれど、案の定私は食べられなくて、彼がほとんど食べつくしていた。せっかく私の好きなメニューにしてもらったのになあ。ごめんねって言ったら「別に」って言われた。今日の彼はなんだか口数が少ない気がする。ちょっとかわいいな。




「観覧車、乗るんだろ」

「うん!」

レストランを出て、彼は迷わず右の道を進んだ。

お互い遊園地が好きじゃないから、一緒にアトラクションに乗ったことはない。でも、商業施設の屋上あたりに堂々と設置された観覧車を見てから、ずっと乗ってみたかった。

だからこの前、彼に提案しておいたのだ。場所まで覚えていてくれたようでうれしい。

「ちょっと、先歩いて」

私より先に歩き出したかと思えば、そんなことを言う。

「やっぱ場所覚えてなかったの?」

「いいから」

誤魔化すような彼の口調が愛おしいななんて思った。


「うわあ高い」

「そりゃあ、登ってるからな」

「まーくんって高いところ怖い?」

「いや別に。美鈴こそ、登りきってから怖いって言いだすなよ」

軽口をたたき合っている間、彼の表情は微妙に曇っていた。

「できるなら地に足つけてたい」

「そりゃ殊勝な心掛けだな。観覧車乗りながらいうことではないけど」

「でも、ここから見える景色は綺麗だね」

「そうだな。今日来れてよかった」

生意気で意固地なところのある彼が、そんなことを言うのは意外だった。もちろんうれしいけど、なんだか落ち着かない。……うれしいけど。

頂上に到達したときには、午後二時の明るい光がまっすぐにこの小さな空間を照らしていて、眩しくて目をつむっていた。一番遠くまで見えた瞬間だろうに、ちょっともったいなかった気もする。

観覧車に乗り込んでから二百七十度分くらい回って、ようやく日光が建物にさえぎられた。

「また地上に降りたら、デートの続きしてね」

彼は泣きそうな顔をして、頷いた。何その顔。初めてみたぞ。





「そろそろ帰ろっか」

観覧車から降りてからは、服が買いたいという彼の要望に応えて付き添って、茶々を入れながら買い物をした。もう夕方と呼べる時間になっていて、明日も彼は学校だし、早々に帰路につく。


「送っていく」

「わ、やったあ。どこまで?」

「……お前の家?」

「ええ、今たぶんお母さんいるよ。なんだコイツって思われない?」

「……。じゃあどこがいいんだよ」

「そうだなあ……」


どこが一番いいのだろう。うんうんと悩みながら、道を区切る花壇の上を歩く。細い段差を歩くのってちょっと楽しいよね。小さい頃好きだったなあ。彼には「何歳だよ」と突っ込まれた。いいじゃんね、せっかくなんだし。

「おま、危ない!」

彼が叫ぶのでぴたりと足を止める。道端に生えている木の枝が、私の目の前にはみ出していた。確かに、当たったら痛そうだけど、

「大げさじゃない?」

「心配なの。前見て。できたらそこから降りて歩いて」

やけに真剣そうな顔をして言うので、こっちまで切なくなってしまう。はぁいと返事をして、花壇を降りて彼の隣を陣取る。


そこを、すーっと自転車が走っていった。


ああもう。彼が泣いちゃうじゃん、やめてよ。ここ歩道なんだけど。

彼は案の定、今にも泣きそうな顔をしていて、血管が見えるくらい手を握りしめていた。私のこと、心配してくれてるんだろうなあ、優しいなあ。こんなに思ってもらえて、私って幸せ者だよなあ。


もし、こんなに優しくて私のことを愛してくれる彼が突然いなくなったら、私は死んでしまうんじゃないだろうか。なんて、馬鹿なことを考える。馬鹿げた話だけど、たぶん事実だ。

まあ、もう死んでるんだけど。


電柱のそばに、新しい献花が置いてあった。一昨日のことを思い出しそうになったけど、気分のいいものではないのでやめておく。

これ以上一緒にいると本格的に彼が泣いてしまいそうだから、私は信号で足を止めるついでに言う。


「ね、送ってくれてありがと。ここまででいいよ」

「お前ここ……。はぁ……、本当に趣味悪い」

「たまたまじゃん、ひどーい」

わざとらしく明るく言う。彼は何にも言わないまま。そんなんじゃ私、登っていけないじゃない。


「また地上に降りてきたら、その時はデートの続きしてくれる?」

そう言ったら、彼はやっぱり泣き出しそうな顔で頷いた。それだけで、十分だった。

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