第28話 さよならは言わない
ロウンの領主官邸、魔力調査が行われた日の夜のこと。
魔力の調査を行ったのはいいものの、アルム1人では調査結果が出るには時間がかかるということで、今日はもう夕飯を食べて寝ようという話になった。
今日の夕飯は猫助特製のカルボナーラ。もともとはガルヴァスが作ろうとしていたらしいが、急な出張になったため材料のそばにメモが置かれていたのでありがたく材料を使わせてもらったという。
「ただ……あの、ごめんね。焦げちゃってて……」
そう、カルボナーラなのは良いのだが……ところどころ、焦げが発生している。
猫助曰くコンロの使い方が魔石を使う方法だった故に、使い方がわからなくて一気に高火力になってしまったのが原因だという。事前に魔石の使い方は伝えられていたのだが、高火力になった瞬間パニックになって止めるのが一歩遅れたと。
なので少し味も良いものとは言い難いよと注釈を入れた上で、みんなで食べ始めた。
とろりとしたソースはコクがあり、軽く振りかけられたブラックペッパーがぷちっと弾けてぴりりと口の中に刺激を与えるため相性が良い。さらにはソースがより多く絡まったパスタがもちもちと口の中で跳ねて、ソースをたくさん味わわせてくれている。
猫助のカルボナーラは普段とさほど変わりがないようだ。遼も和馬も、普通に食べ進めながら褒めていた。
「んー、まあいつもと変わらないんじゃね? むしろ俺はこの焦げた部分好き」
「これはこれで美味いよ、ネコ。……まあ炭はちょっと食べれねぇけどな?」
「にゃー、かじゅ、りょー、ありがとぉ~……」
しかし、優夜だけは少々様子が違っていた。
黙々とカルボナーラを食べ進めているのだが、普段よりも食べる量が少なく、しかもちょっと食べただけでフォークを置いてしまう始末。お腹いっぱい、と彼は言うのだが、彼は昼食も前日の食事もほとんど食べていないのでそれは無いはずなのだ。
和馬も遼も猫助も、これは流石におかしいだろうと優夜を問い詰めるのだが……それでも彼は、「なんでもないよ」と躱す。
「ごめん、ネコちゃん。ごちそうさま。僕、部屋に戻って寝るね」
「にゃ……うん。食べたくなったら、言ってね」
そのまま優夜は部屋に戻り、彼らの食事が終わるまで部屋から出てくる様子はなかった。
優夜を怒らせてしまったかとビクビクしている3人だったが、心当たりが無さすぎて逆に疑問にしかならなかった。
――最も、現在の彼らには優夜の身に起きている状況などわからないのだから、疑問にしかならないのは当然のことではある。
「かじゅ、またゆーや怒らせたの?」
「またって言うな、またって。今回は何もしてねえよ」
「でもさあ、あんなに調子悪いゆーや見たことにゃい」
「まぁ……確かにな。普段なら和馬の隣にいるのに、今日は珍しく離れてたし……」
優夜に対する違和感は、もちろん和馬達も掴んでいた。普段であれば和馬の隣から離れない優夜が和馬から離れているというのは、違和感しかないわけで。
どうしたものかとカルボナーラを食べていると、ベルディが戻って来たようだ。和馬達が食事していると知ると、土埃が多い衣服を纏っているためになるべく近づかないように声をかけてきた。
「おや、優夜さんは?」
「ああ、もう部屋に戻ってます。なんか調子悪いらしくて」
「ふむ……。異世界に来て、体調を崩されたのかもしれませんね。様子を見てきましょうか?」
「にゃー、ベル、ありがとぉ~……」
「頼む。……こっちに来て、何かに引っかかったかもしれないし」
小さくうなずいたベルディは、そのまま和馬達が借りている部屋の前へ。
……部屋の前にたどり着くまではなんともなかったというのに、扉に手をかけた途端、ベルディの背筋が凍る。
この扉を開けてはならないと、何かが囁いたかのように動きが止まる。この先にいる者が何かを知っていて、何をしなければならないかを知っているにも関わらず、だ。
「……優夜さん、入りますね?」
一言、声をかけて扉を開けるベルディ。窓が開いているのか、ざあ、とドアに向かって風が吹いてきた。
――何故、窓が開いている?
思わず目を閉じてしまったベルディだが、次に目を開けた時には……いるはずの男が、そこにいない事実を受け止めた。
窓が開いていること、そして優夜がいないという事実を重ね合わせれば、彼が逃げ出したことは一目瞭然。すぐさま探しに向かわなければ、彼は途方に暮れることは間違いないだろう。
だが……何故逃げ出したのだろうか。それだけが、ベルディの頭の中で引っかかりを作っていた。
「…………」
今は考えをまとめるのは後回しにして、ベルディはまずアルムへと連絡を入れた。直接彼らに話すよりかは、原因を探ってからのほうが良いだろうと判断してのことだ。
優夜脱走の話を聞いたアルムは、すぐに和馬達に事情を話すように説明。ベルディ単独で捜索を開始し、彼らには捜索を手伝わせない方向で決めた。
というのも、夜の真っ只中は闇の種族が活発になる時間帯。戦闘手段を持たない彼らを外に出しては、危険しかないためだ。
「となると、俺らは部屋の中をちょっと探る程度になる、か?」
「そうなるね……。ゆーや、多分慌てて逃げたと思うし……」
「腑抜けになったアイツのことだ、何か残してるだろ。……言葉で言い表せないこととか、な」
ふう、と大きく息を吐いた和馬はすぐさま部屋に戻り、調査を開始。遼と猫助も部屋の中や窓の直ぐ側の外周を調査したりなど、出来る限りのことを行った。
その間にも、ベルディは優夜を探し続けた。隠れるのに最適な森の中を手始めに探し、少しずつ捜索範囲を広げてロウンの国中を探し回った。
何処へ行ったのか検討もつかないまま、時間が経ってしまう。
一度戻って、アルムに報告をしようかと思った矢先……強烈な悪意が、ベルディの背に突き刺さる。もちろん、それがベルディに向けられたものではないとわかっている。わかっているからこそ……彼は、振り向いて悪意を向けた相手に赤い瞳を向けた。
「……優夜さん」
悪意を振りまいていた相手は、想像に難くない。文月優夜がベルディに向けて――というより、隠すことが出来ない悪意を振りまいて――いた。
そして優夜のその目には、黒く濁った涙が溢れている。ベルディはすぐさま彼が闇落ちの症状を発症していると判断し、
ここで優夜を取り逃してしまっては、ガルムレイという世界に、ひいては九重市にまで被害が及んでしまうかもしれない。そう考えてベルディは剣を用いて、実力行使で押さえつけるつもりだ。
優夜は……そんなベルディの様子に、歪な笑顔を浮かべていた。名を冠した優しさなど何処にもない、ただただ化け物に成り果てようとしている男の、歪んだ笑顔。それだけが2つの月を背後に、浮かび上がっていた。
「こんばんは、ベル君。……何か、用かな?」
「…………」
彼の歪な笑顔がなければ、挨拶に反応していたことだろう。
彼の歪んだ悪意がなければ、剣を向けることはなかっただろう。
彼が黒い涙を流してなければ、――――。
ベルディは彼の言葉に、たった1つだけ……問いかけた。
なんてことはない、簡単な質問だ。
「どこでそれを宿したのですか」
そんな彼に対し、優夜は彼の行為に、言葉に、答えを出すことはしなかった。
弁明も、否定も、肯定も、何も。
……むしろ、それどころか。
「――バレてるなら、仕方ないかァ」
歪な笑みを増長させる。
もはや、優しい夜とは形容しがたい悪意に染まりきっていた。
ベルディは……優夜に声をかけた。
それは情報を引きずり出すためか、あるいは……ベーゼを引きずり出そうとしているのか。いずれにせよ、ここで優夜を止めなければならないと騎士としての勘が働いていた。
「貴方がそれに選ばれたということは、適正があったのでしょう。ですが……それを宿すことが、正解とは言えません」
「ああ、うん。そうだねぇ、僕もその答えにたどり着いたさ」
「では、何故? 貴方は今や、この世界において危険な存在に成ろうとしている。それに成ってしまえば、元の世界に戻ることは叶わないのですよ?」
「それはどうだろうね? もし、僕がこの世界の人間の血を引いているとしたら……自由に行き来も可能なんじゃないかなぁ?」
「――……!!」
ベルディはようやく、気づいた。
優夜の言葉によって、彼が現在陥っている状況にある矛盾に気づいてしまった。
闇の種族はガルムレイの外の存在には取り憑けない。
基礎中の基礎のこと、特にベルディはレイからこの話をしっかりと聞かされていたというのに、優夜を止めなければならないという一心で記憶から抜けてしまっていたのだ。
こうなってしまった場合の対処を思い出そうとした時、優夜が声を上げた。
「僕のこの状態を治すには、ジャック・アルファード、フォンテ・アル・フェブル、ジャック・ノエル・ウィンターズのうちの誰かに、頼まなければならない」
ジャック・アルファードはイズミ・キサラギの本名。彼が知っているのは当然のことだ。
だが……フォンテ・アル・フェブルとジャック・ノエル・ウィンターズ。この2つは人物名だが、彼が何処で知ったのか……。
それを考える前に、ベルディの身体を優夜の手から作られた水の刃が通り過ぎる。優夜が魔術を使うのはこれが初めて故に、命中精度が高くなかったのが功を奏したようだ。
「くっ……!」
「あれ、失敗しちゃった。まあいいや、次は外さないよ」
今度は魔力の収束力を強めた優夜。それを弾くためにベルディは剣を前に構えていたのだが、水の刃が放たれる前に1人の男が優夜を止めた。
――睦月和馬。
今、優夜が1番会ってはならない男。
優夜がベルディに注視している隙を狙い、全力でタックルを仕掛けて体勢を崩した和馬。優夜の手から離れた水の刃で彼は頬を切り裂かれ、一文字の傷を赤く彩ってしまったが、そんなことはお構いなし。
感情が高ぶってしまっているのか、緋色に濡れた涙は優夜の頬を雨となって降り注ぎ……与えてはならない愛情を、与えてしまう。
どうしてこんなことをするんだと和馬が声を上げても、優夜は答えることはない。それどころか和馬からの愛情が、闇落ちの存在へと成った優夜を苦しめてしまっていた。
「和馬さん!!」
ベルディの声で和馬は我に返り、優夜が苦しんでいる事に気づきすぐさま彼から離れる。その瞬間、優夜は提案されたであろう黒い闇を周囲に振りまいて、姿を晦ませ……和馬とベルディの前から、姿を消した。
正直なところ、ここで逃してしまったのはベルディにとっては痛手ではある。だが和馬が出てきてしまったこと、そして彼が闇落ちに与えてはならない愛情を与えてしまっていたことから、止める必要があった。故に、この判断は間違っていないのだと、自分で自分に言い聞かせた。
和馬は和馬で、身体を地に預けた。切り裂かれた顔の傷をハンカチで抑え、天を仰いで自分の行いを振り返り……結局はダメだったと、嘆いた。
「……やっぱ、俺じゃあダメなのかねえ」
「…………」
そんなことはない、とベルディが声をかけようとした瞬間。
ベルディの隣にいつの間にかいた、海のような青い髪の男性がそっと和馬の頭を撫でた。
「大丈夫。彼にはきちんと、声が届いていたよ」
「……誰?」
顔をもう一度拭い、しっかりとその男を見据える和馬。
男は優夜に似ているが、髪の色や夕暮れのような瞳の色には少し恐れを抱くほど。彼のことを知っているベルディは、『アマベル』と名を呼んだ。
「アマベル……?」
「ええ。……アマベル・ライジュ。父と親しい方でして、えー……」
「優夜くん、だっけ? 彼を追いかけてた1人だよ」
「……アイツに、何が起こったのかも知ってるっていうんですか……」
か細くひねり出した和馬の声に、アマベルは無慈悲にも、うん、と答えた。当初は手出しする予定はなかったのだが、闇落ち状態になったまま優夜がガルムレイの外へと逃げたことから、早急に事態を解決しなければならないと動き出したという。
しかし、彼が何処へ逃げたかまでは見当がつかない。そこで睦月和馬という、優夜に最も愛情を与える者に心当たりを聞こうと思って顔を出したという。
「彼の行き先に、心当たりはあるかな?」
「――……アイツの今の状況を、詳しく教えてもらえれば話しますよ」
「おっと、手厳しいな。こちらは無条件で聞こうと思っていたんだけど」
「俺は、曲がりなりにも探偵だ。はいそうですかと簡単に情報を渡して帰るほど、落ちぶれちゃいねえんだよ」
ぼたぼたと、優夜につけられた傷から赤い血を流しながらもアマベルを睨みつける和馬。睨みつけるその目は、『優夜を助ける手は、俺たちが差し伸べる』と言わんばかりの目をしていた。
流石にこんな気概を持たれていては、アマベルの方が折れざるを得なかった。ベルディに対してアルム達にも事情を話すからと、領主官邸へ向かうことに。
「おっと、そうだった。エルにも連絡入れなきゃね」
「……え、待ってください。父はこっちにいるはず……」
「ん? エル、とっくの昔に九重市に行っちゃったよ? なんか、暑いからやだ~って」
「……んの野郎……」
和馬も聞いたことのないベルディの怒り声が、隣から聞こえてたとかなんとか……。
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