第12話 如月探偵事務所。
ゲート開放を試す当日。
和泉はビル3階の自分の部屋で朝を迎えていた。
既に和葉はサライと砕牙と共に睦月邸に避難させ、和葉の専属執事の玲二にも事情を話して避難させた。あとは事務所で和馬達を待つだけだ。
砕牙から預かったペンダントを横目にブラックコーヒーを少し口に含み、気を引き締める。
外から聞こえる子供達の声で日常はいつも通りだと噛み締めつつ、これから起こるかもしれない非日常の出来事に不安と期待を抱く。
「……。」
正直言えば、不安の方が強い。
魔法という言葉が小説やゲームの中で片付けられる世界で──召喚術の事象は稀に起きたが──突然として異世界という異なる概念が発生した。この時点だけで既に和泉の不安は高い。
そもそも異世界というのは本来、現代社会を生きる自分たちには証明さえ出来ない。
機械と科学の発展が目まぐるしいこの世界では、魔法という言葉はファンタジーに属するものであり架空のもの。存在することはなかった。
だが、今日。もうすぐ。自分の持っていたその概念を崩される時がやってくる。
自分の仕事場であるこの事務所で、自分の家でもあるこの場所で、異世界へのゲートを開くというのだから。
──もう一口、コーヒーを口に付ける。苦味が口の中で広がり、自分を現実に引き戻す。
「……遅いな、アイツら」
時間は既に10時を指している。9時に集合しようと連絡を取りあっていたはずなのに、何かあったのだろうかと心配になってきた。
そこでスマホを取り出してみると、猫助から連絡が入っていた。
『アルムが寝坊しちゃったんでもうちょっと待っててね!』
可愛らしい猫のイラストを付け、ごめんねとこれまた可愛らしく謝っていた。何事も起きていないようで、ひとまずホッとする。
そして異世界の住人であるアルムの寝坊と聞いて、例え世界が違ったとしても人間は人間なのだと再認識させられた。
「……世界は、広い……か」
その言葉は従来ならば、ひとつの世界にある国々に対して言うものだ。
だが、彼が口にしたその言葉は、多々ある世界の中を指している。
この世界だけでも十分に広いというのに、異世界の存在を知ってからは数多の世界の中で自分がいかに小さな存在なのかと再度認識する。
そうやってぼうっと考えていると、和馬達がやってきた。
アルムが寝坊し慌てていたのもあってか、彼女の髪の毛は寝癖がついているのが伺えた。
「ご、ごめんなさい。帰る方法があるんだと思ったら、あんまり寝付けなかったんです」
「修学旅行の学生か? まあ、多少の誤差は覚悟してたけどよ」
喉の奥で少しだけ笑い、彼らに麦茶を出した。それを皆それぞれが飲み干し、ソファに座る。
アルムと和馬は座りつつもペンダントを探しているようで、キョロキョロしている。
「ペンダントは預かってんのか?」
「ここに。触りすぎると何か起きそうだったから、そのまま置いてある」
和泉が指さした先には、確かにペンダントがあった。太陽光を十分に浴びた石は、艶やかに光を跳ね返している。
他の皆は『綺麗だ』『美しい』という感想を述べるというのに……和泉にはどこか、その光に妖しさが秘められているように思えている様子。
ペンダントを手にとった優夜は、今一度傷を見てみる。観察眼の高い彼は、その傷は大切な人へ宛てた名前が書かれているように思えて仕方がないようだ。
「僕、これは誰かが砕牙君に対してお守りにあげたって感じがするんだよね」
「誰かがお守りに、か……」
「そうじゃなかったら、名前を掘っておくのはあんまり無いと思うんだよね。元の世界の砕牙君がナルシストで、俺様の名前を~みたいな感じだったら何とも言えないんだけど」
「アイツが元の世界でナルシストだったら、今みたいに俳優業の傍らに誌を作ったりしないと思う」
「だよねぇ」
砕牙の以前がどのような人物であろうとも、現在の砕牙の人物像があまりにもアレなためにまともな人物像が思い浮かばない6人であった。
──そろそろ、と言った感じでペンダントをテーブルの前に置いた。煌めきは未だに無くなることは無い。
だがテーブルに置いただけではゲートは発動しない。
朔と蓮の時には何をしてゲートが開いたのかさえわからないので、各々で意見を出し合うことに。
「どうやったら開くと思う?」
「普通に考えたら、呪文を唱えるとかやねぇ。お父ちゃんと蓮おじちゃんのことを考えたら、幼かった頃やったしそこまで長い呪文やないと思う」
「にゃ、僕もそう思う。短い単語で、なおかつ普通の会話でも出てきそうな言葉が反応するんじゃないかな」
「ん……いや、だがそれだとあんまりにも簡単すぎないか? 砕牙も口にしてると思うし」
「という事は何かしらの動作が必要になるのかな? 例えば、そう、魔法陣を作ったりとか」
「でも、朔おじさんも蓮おじさんもそんな話してねぇじゃん? 魔法陣は無いと思うんだよな、俺」
「俺もカズ君と同意見。その頃のお父ちゃん達はオカルト系列には興味持ってへんやろし」
「うーん、そっか。確かに和馬の言う通りだよねぇ……」
和馬の的確な考えに、響も優夜も納得した。
実際に作ったまではいかないが、もしそのようなものを見かけていればあの2人なら必ず覚えているだろうし、覚えていなくとも何かしらの痕跡ぐらいはあったと伝えてくるだろう、と。
その言葉に和泉も猫助も遼も納得しかけたその時、アルムが別側面での考えを口にする。
「あ、あの、複雑な構造じゃなければ、もしかしたらあるかと思います。置いてあった何かが偶然置いてあって魔法陣になっていた、とか」
「あ、そうか。アルムの言う通り、モノを散らかしまくって気づいたら魔法陣、とかあるのか」
「確かに、星型だけでも立派な魔法陣にはなるから発動はする、か……」
「でもそうなると、組み合わせ方が無限に拡がっちゃう……」
「あ……。じゃああたしの考えは違うのかなぁ……」
そこで彼らの会話が頓挫してしまった。どのように発動するのか、というのを事前に考えていなかった彼らの敗北である。
頭をひねる者、目をつぶり考える者、こめかみを押して唸る者。
それぞれが浮かんだ思考を口にするものの、どれも発動するようには思えなかった。
ただただ、時間だけが過ぎていく。和馬達が来た時には太陽が窓から見えていたというのに、既に真上に昇りきっていた。
「……ダメだ、思いつかねえ」
「んあー、和泉ぃ、ちょっと昼飯にしねぇ? 腹減ってきたし、頭回んねぇよぉ」
遼のその言葉に反応するように、壁掛け時計が12時を知らせる音を鳴らした。
もうそんな時間か、と呟いた和泉はキッチンへと向かう。
冷凍庫から冷凍うどんを人数分、冷蔵庫から昨日姉から貰った唐揚げを取り出し、出汁を入れて煮込み始めた。
「昼は唐揚げうどんでいいな」
「また凛さんから貰ったのかい?」
「姉貴が押し付けてきたとも言う」
「唐揚げ……」
「ん? もしかしてアルム、食べれないとか?」
「あ、いえ。あたしの従姉妹のお姉さんも唐揚げ好きだったなぁと思って。1日に食べる量凄いんですよね」
「うちの姉貴並に食う奴がいるなら会ってみてぇわ」
手際よくうどんを温め、人数分の器に盛り付ける。数個ずつの唐揚げを乗せて、軽くブラックペッパーをまぶして完成。
麦茶とコップを準備して、それぞれが食べ始めた。
「あ、美味しい」
「アルムちゃんって王女様やし、こないな食べもんとは無縁やったりする?」
「いえ、そんなことはないですよ。そんな毎日豪華な料理だったら胃と精神が死にます」
「パワーワード飛んできたな。胃と精神が死ぬって」
「事実、昔は豪華な料理ばかりだったんですよ。でもアルお兄ちゃんとあたしがギブアップしたんで、今では庶民的な料理を食べてるんです」
「豪華な料理だと、テーブルマナーとか大変そうだよねぇ」
うどんを食べ終えた7人は、満腹の様子で再びソファに座り考察を開始する。
しかし、ほとんどの考えを出し切った故に会話が少なくなっているのがよくわかった。
──遼に至っては、満腹になった影響でとても眠そうな顔をしているが……。
そんな中で来客を知らせるチャイムが鳴る。休業中の札をかけている以上、探偵仕事の依頼人ではないようだ。
誰なのかと扉を開けずに声をかけてみると、反対側から『レイだよ』の声が聞こえてきた。
だが、この事務所でその名を名乗ると若干の面倒事があるのが難点だ。
「れい……えーと、零せんせ? それともこないだ会ったレイさん??」
そう、『れい』という人物はアルム以外の6人の知り合いだと、もう1人該当者がいる。
この事務所ビルの4階に心療内科を構える人物の名前で、和泉達も時折世話になっている。
この事情を知らない扉の向こうの相手は、レイ・ウォールだと名乗ったため、扉が開かれた。先生の方では開かないつもりでいたらしい。
「やあ。ごめんね、突然訪問して」
「いえ、いいんです。零せんせーだったら危ないんで入れるつもりはなかったんですが」
「でも、ゲートは開けず、でしょう?」
「っ!? 何故……」
「いやぁ、ゲートが開いてるなら僕は探知出来るからねぇ」
お邪魔します、とレイは事務所内へと入る。ぐるりと周囲を見渡しては、様々な内装を気にかけている様子。
事務所内部はそこまで広くはない。
というのも今までの報酬として渡された品々が数多く事務所内に点在しており、片付けるのも難しい物が多数並んでいる。
事務所に似つかわしくない、一際目立つ装飾が施された大きな鏡もあるのがこの如月探偵事務所という場所だ。
「あの、そういえば気になっていたんですけど……あの鏡は?」
「あれか? あれはデカい案件を終わらせた時に、報酬代金分として貰ったやつだ。それが?」
「あ、いえ。なんだか惹き込まれるなぁと思って。綺麗な装飾ですね」
「そうかぁ? 邪魔だし、事務所に置いとくのもなんだかなぁって思ってるぞ」
麦茶をレイにも渡して、ソファに座る。人数が多くなってきたので、和馬と遼は立ち、ほかは全員座ったままに。
それで、とレイの用件を問いかける。
レイはどうやらアルムが来た時の状況を詳しく聞きたかったらしい。
最初は睦月邸に向かったのだが、召喚者である遼がこちらにいることを聞いて如月探偵事務所にやってきたのだという。
「あー、そういやあの時アンタに話してなかったからな」
「そうなんだよねぇ。僕もすっかり忘れてたんだ」
「で、どんな話を聞きたいんだ? 詳しくはこっちの遼に聞けばいい」
「おい和泉、俺だってもうあんまり覚えてねぇぞ。雑誌が手元に無いし、詳しくされると厳しい」
「……雑誌?」
「せやねん。りょーくんと俺の毎月の購読雑誌、オカルトマニアックス。それに載ってた召喚術を試したら、アルムちゃんを呼んだんやて」
「……。その雑誌、ここにもあるかい?」
「ねぇよ。オカルトは全て滅せよ」
「おぉっとオカルト嫌いの探偵さんだったか、こりゃ失礼」
小さく謝罪を述べたレイの顔は、少しだけ笑っている。
仕事でもオカルトは舞い込んでくるだろうに、こんなにもオカルト嫌いな探偵がいたんだなという、未知を見かけた時のような、そんな顔だ。
しかし、彼のそんな顔はテーブルの上のペンダントが目に入るとすぐに変化した。
まるで、何故これがここに置いてあるのかと問いたげに強ばってしまう。
「……これを、どこで?」
「にゃ? 僕達の友人の俳優さんが持ってるやつだよー。今日は借りたんだぁ」
「えっと、このペンダントが何か?」
「何か、どころじゃないよ。これはとある世界で採掘されている石を加工したゲートキーと呼ばれるもので、ある手順を踏むとゲートを開く代物だ。この世界では40年前に使われて無くなったはずなのに……」
「40年前……」
「ん? キミたち、巻き込まれた人を知ってるのかい?」
「そりゃあ、まあ……息子だし」
「えっ」
朔と蓮の巻き込まれ事象はレイも知っているようだ。だがその双子に子供がいることまでは全く知らなかったようで、遼と響を見つめている。
レイはそのまま遼と響の全身をくまなく見た後に、『体のどこかに痣はないか?』と尋ねてきた。
会ったばかりの人間が、なぜそのことを知っているのかと驚く遼と響。
実は2人ともいつ付いたのかわからない痣が肩にあり、遼は左肩、響は右肩にあるのだという。
その言葉を聞いてレイがうん、と軽く頷いたのが見えた。
「どうやら、その石を使わなくても大丈夫そうだ」
「どういうこっちゃ? 石がなかったら、ここの土地のゲート開けんのちゃうん?」
「確かにゲートキーは必要だけど、それは一般の人が使う場合。痣を持つキミたち2人がいるなら、必要ないってことなのさ」
「ふにゃー、じゃありょーとひびきんがいたら僕らでも一緒にゲート通れるの?」
「そうだね。定着も彼らがいれば問題なさそうだし……」
ちらりとレイの目線が装飾の豪華な大きな鏡へと移される。
鏡は特別何も起こっている様子はなく、全員の姿を映し出しているだけ。
レイの視線が気になったのか、和泉と和馬がそれとなく問い尋ねてみる。
「……あの鏡が気になりますか?」
「ん? ああ、いやね。ゲートの定着が起こるのなら、きっとあの鏡じゃないかなと思って」
「定着するのに物品が必要なのか?」
「必ずしも、というわけではないよ。ただ、物品に定着したほうが暴走は起きにくいってだけでね。実際に鏡をゲートとして使う世界も、いくつかはあるんだ」
「なるほどね。……この土地のゲートがあの鏡に定着している、と考えれば……」
そう呟いた和泉はゆっくりと立ち上がり、鏡の前へと立ってみる。
鏡はただ和泉の姿を映し出すのみで、特別気にかけるようなものは映ってはいない。
レイもまた隣に立ってみるが、やはり何も問題はない。
「うーん、何もないね。今のところは」
「そうか。……アルムを帰す方法、ここで使えると思ったんだが」
「すぐに帰したいというのであれば、ゲートキーを使うことをオススメするよ。でも彼女が来てしまった原因を探るのが先だと思うな、僕は」
魔法もなく、魔力の流れもない。そんな世界でゲートキーなしにどうやって開かれ、アルムをこの世界に呼び込んでしまったのか。
レイはそこから調べることを優先しなければ、また同じことの繰り返しになるだろうと7人に告げた。
もちろん、アルムをこのまま帰しても問題はないだろうとも告げる。
しかしアルムはまた別のことで悩んでいた。首をかしげたり、顎に手を当てたりして悩みに悩んでいる様子が伺える。
「うぅん……あたしが帰ったところで、また同じような事件が起こるかもしれないのなら……あたしの知識も必要になるかもしれないし、まだ帰らない方がいいのかも……?」
「えっ? そりゃあ僕たちの知識じゃアルムさんの世界のことはわからないし、願ってもないことだけど……」
「でも、ええんか? 多分レイはんがおる今が帰るチャンスやと思うんやけど」
「それに、次帰るチャンスがいつ来るかわからにゃいんだよ?」
「……うぅん」
彼らへの情報提供者となるか、帰って王女として国民を安心させるか。
アルムはおてんばな部分が強かったためか、情報提供者になることを選びかけていた。
が、和泉が再度彼女に対して『後悔しないか』と問いかける。
「あたしは、この世界が気に入っちゃったんです。機械文明で成り立つ世界に。だから、アクシデントで異分子である自分が入っちゃった以上、その原因を取り除くのもあたしの役割なのかな、って思ってます」
「前のような煌びやかな生活が待ってるわけでもないし、質素な生活だ。王女としてそれは耐え切れるのか?」
「あ、それにはご心配なく。機械文明で少しは便利でしたが、普段通りの生活と変わりませんでしたし!」
「えぇ……王女ぉ……??」
えっへん、とはっきり答えた王女、アルム・アルファード。
王女という概念が一瞬にして崩れ去った、如月和泉。
この2人の『仕事』は、これから大きな運命を辿ることになる。
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