81.Kolo Kolito
何年か前に栄えた道を歩いていたら、「コンドルは飛んでいく」が聞こえた。そっちに近づいてみると、ケーニャを吹き鳴らす髭の男性と、その足元に置かれたCDが見えた。よくある路上ライブである。
フォルクローレというジャンルを知らなくても、割とこの手の音楽は世間に広く知られている。「アゲハ蝶」とか「ランバダ」「灰色の瞳」あたりもそうである。
時間もあったのでぼんやり見ていたら、老婦人が声をかけてきた。お上品な身なりで、多分何かの習い事の帰りに見えた。
「これはなんて言う曲だったかしら」
「コンドルは飛んでいく、ですよ」
暇なのでそう答えると、老婦人は「それだわ」とか言って、そのまま曲に聞き入っていた。
すると今度はケーニャを吹いていた男性が、私に何かを言った。何か、というのは彼が外国籍だったからである。聞き返すと、彼は目の前にいる金髪の頭の中に日本語しか詰まってないことを悟ったか、至極簡単な英語で話し始めた。
「私は〜から来た」「そちらの方は貴方の母か」
そんな内容だったので、とりあえず否定だけ返す。男性は再び話し始めた。
「日本には〜前に来た」「誰も足を止めてくれない」「そちらの方はなぜ足を止めたのか聞いて欲しい」
なんで私がそんなことしなきゃいけないんだ、と思いつつも、ご婦人にそれを伝えた。
「昔よく聞いてたからね、懐かしかったの」
男性は老婦人が何か答えたことを確認すると、私を期待の目で見た。あ、これ訳さないと駄目なんだな、やっぱり。
昔……昔って何だ。なんちゃらアゴー? いいや、ロングタイムアゴーとかにしとこ。
彼女が聴いた……あれ、聴くってリッスンでいいんだっけ。まぁいいや、通じるだろ。リッスンの過去形知らんけど。
懐かしかった……懐かしかったは無理だな。諦めてフェイバリットにしよう。フェイバリットソング。誰も傷つかない嘘だから問題ないはずだ。
コンドルは飛んでいくはわかる。「El Condor Pasa」だ。これだけは自信がある。
そんな中学生でももう少しまともに話せるだろ、と思うような内容で相手に伝えた。「El Condor Pasa」だけ滅茶苦茶流暢に。
「El Condor Pasa?」
男性が驚いた顔をして、CDを指さす。中に入ってると言いたいんだろう。まぁ大抵のフォルクローレのCDには入ってる。アニソンベストヒットにおける、残酷な天使のテーゼとかタッチみたいなもんである。
「他の曲も知ってる?」
また質問が来た。知らないというのも可哀想だと思って、自分が知ってる曲を口にした。
「La Mariposa」
日本だと「アンデスの祭り」という名前で知られている曲だが、原曲名は「蝶々」である。でも何となく祭りの方があっている気がする。ラララララーイララーイララーイ。
男性は嬉しそうに出だしだけ吹いた。老婦人は喜んでいる。なんだこの構図は。
「CD買いますか?」
買わないと告げると、彼は老婦人にも同じことを尋ねる。当然英語なので、やっぱり訳してあげた。
「あら、いくらなの?」
買うのか。珍しい人だな。
そう思いながら、値段を確認したら千円だった。目の前で行われる取引。私は立会人である。この取引の行く末を見守っている。
老婦人が礼を言いながら去っていく。私も去ろうとしたら、男性に呼び止められた。なんだよ、買わないぞ。
「あなたの英語はとても上手だった」
いや、あの、多分底辺レベルな自覚はあるんで、そんなお世辞言わなくても大丈夫です。
しかし否定するほどの語彙力も気力もないので「HAHAHA、サンキュー」みたいなことを言って。その場を離れた。英語ができる人って凄いなぁ、と思いながら。
なんでそんなことを思い出したかと言うと、最近ちょっと日本語のコミュニケーションに自信がなくなっているからである。どんなに言葉を尽くしても三分の一も伝わらない日々が続いていて、自らの言語能力の限界なのではないかと危惧している。
試行錯誤しながら話すのもそろそろ疲れてきた。これが続いたら、最後には会社で話さなくなるかもしれない。そんな懸念まである。
今、作業しているパソコンからは、「Kolo Kolito」が流れている。好きなフォルクローレ曲の一つである。何であの時、この曲名を言わなかったかといえば、知名度と、あと使用する楽器が違ったからだ。私みたいな引きこもり気味陰キャだって、片言の英語しか話せなくたって、初対面の外国の方にだってそれくらいの配慮は持って接している。そうすればどうにか意思疎通は出来ると思っている。
だから、片言でも不完全でもいいから、コミュニケーションを成立させたい。そんなことを考える日々である。そのうち詳細が書けたら書く。
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