暗く冷たい牢屋
「ノレス、ここ頼めるかな」
「我を誰じゃと思っておる、朝飯前もいい所じゃ」
ノレスは鼻で笑うと、前へ出る。
背中と腰から生えた4本の羽が大きく広がり、その後ろ姿がいつもより大きく見えた。
「じゃあ、行ってくる!」
そう言ってアスタルテは地面を蹴り、屋根伝いにダンジョンへ走る。
(レニー…どうか無事でいて…!)
▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
「ここは…?」
暗く冷たい牢屋の中でレニーは目覚めた。
ズキッと痛む頭を抑えつつ起き上がる。
「そういえば、私なんでこんな所に…」
そこでレニーは気絶する前の出来事を思い出し、顔から血の気が引く。
(そうだ…町に魔物が押し寄せて来て…皆奴らに…)
「うぅ…」
隣から聞こえてくる唸り声に、レニーはビクッとする。
(この子は…町の子…?)
そこにいたのは、おそらく一緒に連れてこられた子だった。
薄暗さに目が慣れてきたレニーが周りをよく見ると、他にも10人ほどの女の子が檻の中で眠っていた。
(なんで私達は殺されずに運ばれたんだろう…)
レニーが考えていると、隣の子が起き上がる。
「ここ…どこ…?ママは…?パパは…?」
「えっと…」
レニーはなんて言えばいいのか分からず言葉に詰まる。
「怖いよ…ママァ…」
そう言って少女はめそめそと泣き出してしまった。
「だ、大丈夫…きっとパパとママが助けに来てくれるから…」
レニーは泣いている少女を優しく抱きしめるが、その手も微かに震えていた。
なぜなら、町の惨状を見てしまっていたからだ。
男性は容赦なく殺され、女性は弄ばれていた。
冒険者ですら物量に押されて太刀打ちできていなかった。
そんな状態で、とても助けが来るとは思えない。
来たところで、町を奪還してこのアジトのような所にたどり着くまでどれくらいかかるのだろうか…
そもそも、私達が攫われた事すら誰も知らないのではないだろうか…
考えれば考えるほど嫌な方向に向かっていく気がして、レニーは考えるのをやめようとする。
しかし、暗くて冷たいこの空間が、嫌でもそう考えさせてしまう。
「ったく、めそめそしてうるさいわね」
ふいに聞こえた声にレニーが振り向くと、そこにはレニーより少し年上くらいの女性がいた。
腰辺りまで伸びる髪の毛先を手で弄りながらこちらを睨んでいる。
「どうせ私達全員あいつらにおもちゃにされて殺されるのよ」
その言葉に、腕の中の少女がビクッと震えた。
「そういうことを言うのはやめてください、それに助けだってくるかもしれないじゃないですか」
少女をぎゅっと抱きしめ、レニーは睨み返す。
「助け?そんなもの、来る頃には私達全員あの世にいるでしょうね」
「そんなの、分からないじゃないですか」
大丈夫、助かる可能性はある。
自分に言い聞かせるようにしてレニーは言うが、それを女性は鼻で笑った。
「なにも分かってないからそんな事が言えるのよあんたは。この檻、最初は20人くらいいたのよ?」
「え…?」
女性の言葉にレニーは辺りを見渡す。
やはり、檻には10人ほどしかいなかった。
「その人たちはどこへ…?」
「連れていかれたに決まってるでしょ?って、やば!」
女性は急に慌てたかと思うと、床に倒れて寝たふりをする。
嫌な予感がしたレニーは、少女を抱いて一緒に床に寝そべった。
その時、奥から魔物が歩いてきた。
レニーと同じくらいの大きさの魔物、ゴブリンだ。
「ギギギ…」
ゴブリンはよだれを垂らしながら牢屋の中を見たかと思えば、歩いてどこかへ行ってしまった。
「チッ…余計なマネしてくれたわね」
女性が舌打ちをして起き上がる。
「……どういうことですか?」
「ふん、いずれは全員死ぬんだし教えてあげるわ。あいつは定期的に巡回して起きてる子を見つけたら連れてくのよ」
「起きている子を…?なぜ…」
「さあ?反応が無いと楽しくないんじゃないの?」
「ゴブリン達は一体何を…」
レニーの言葉を聞いた女性が声を上げて笑う。
「え?なに、あんた聞こえないの?耳澄ませて聞いてごらんよ」
訳がわからないと思いつつも、レニーは耳を澄ませて辺りの音を聞く。
すると奥の方から、女性の泣き声や悲鳴が聞こえてきた。
その声にレニーの顔から血の気が引く。
「これって…」
「ね?言ったとおりでしょ?どうせ私達はあいつらに殺されるのよ」
「で、でも、さっきみたいに寝たふりをしていればいいんじゃ…」
「あいつらがそんなに待っていられると思う?現にさっきも寝てる子が顔を殴って起こされて連れてかれてたわ」
その言葉に、レニーはある疑惑が生まれた。
最初に20人いたとしたら、10人ほどは連れて行かれたということになる。
ということはまさか…
「連れて行かれる子達…全員見殺しにしたということですか」
「そりゃそうするに決まってるじゃない、私が助ける理由なんてないし、その力も私にはないわ」
「でも、貴方はどのみち全員死ぬって…」
「そうね、普通に考えたら助けなんて来たとしても間に合わないわよ、でも…後回しにできるならそうするに決まってるでしょ?」
そう言って女性はニタリと笑った。
「……最低ですね」
レニーの言葉に女性の表情が変わる。
「はぁ?あんただって自分が死ぬかどうかの瀬戸際だったらそうするでしょ!?正義ぶってんじゃないわよ偽善者が!」
女性がドンっとレニーの肩を叩き、被っていたフードが脱げる。
「はっ、あんた獣人なのね」
そこにあったのは獣人の証でもある獣の耳だった。
「そうですが。それがなんですか?」
別に獣人なんて珍しいものでもなんでもない。
実際に人口の3分の1は獣人だ。
「獣人なんて魔物みたいなものなんだし、あんたが許しを乞えば助けてもらえるんじゃないのー?」
いくら私が気に食わないからって、獣人を馬鹿にするような発言にはカチンときた。
私は獣人だということに後ろめたさなんて感じたことはないし、むしろ誇りに思っている。
流石にこれは訂正させようと思って一歩踏み込んだその時、牢屋にガン!という音が響く。
ハッとして音の方向に恐る恐る首を回すと、そこにはさっき巡回で回ってきたのと同じであろうゴブリンがいた。
あれだけヒートアップして話していたのだ、近くはおろか遠くにいたって聞こえるだろう。
話していた女性も驚いていたが、やがてその顔が邪悪な笑みに変わる。
それは牢屋の入口から、より近いのが私だったからだ。
どうすれば…と思考を巡らせるが、良い答えは全く出てこなかった。
私だけならもしかしたら上手くかわして逃げることはできるかもしれない…
でも、皆を助けたいのは建前ではなく本心なのだ。
考えているうちに、気付けばゴブリンは目の前まで来ていた。
「ひっ…!」
恐怖に思考は飛び、身体が強張る。
思わずぎゅっと目を瞑ったが、いつまで経ってもゴブリンの手が伸びてこなかった。
代わりに聞こえてきたのは、先程の女性の声だった。
「は!?なんでこっちにくるのよ!あいつの方が先でしょ!?」
レニーが目を開けると、ゴブリンはレニーではなく女性の前にいた。
ゴブリンは手を伸ばして女性の手を掴もうとしている。
「ちょ、来るな!私に触れないで!ふざけんじゃないわよ!」
女性は抵抗し、ゴブリンに殴りかかるものの、当然その拳が届くことはなく、殴り返されてしまう。
そしてそのまま髪を掴まれズルズルと引きずられていく。
「やめ、離して、離せぇ!なんで私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!あいつの方が近かったでしょうが!殺るならあいつから殺れよぉ!!」
女性は必死に叫ぶものの、その言葉がゴブリンに通じるはずもなく牢屋から引きずり出される。
目の前で起こった突然の出来事にレニーが咄嗟に動けるはずもなく…
牢屋は再び施錠されてしまった。
連れ去られる最後の瞬間、女性と目が合う。
「お、おいお前!なんとかしろよ!私を見殺しにするのか!?偽善者じゃないっていうんなら私を助けろよぉ!!」
最後の最後までその態度なのか。
レニーは流石にその態度に嫌気が差した。
「本当に救いようがないですね。私には貴方を助ける理由もなければその力もありません」
冷ややかな目でピシャリと言い放ち、レニーは牢屋の奥へと戻る。
「く…くそっ、くそがああ!地獄で待ってるからな!地獄で殺してやるううう!」
その言葉を最後に、再び牢屋に静寂が訪れる。
奥から微かに聞こえてくる怒声が悲鳴に変わった事にレニーは気づかず、そのまま膝から崩れ落ちた。
「……助けたかったに決まってるじゃない」
小声で呟くと、その頬に涙が流れ、冷たい床に落ちる。
「本当は助けたかった…あんな酷い事、言いたくもなかった…」
やがて頬を伝う涙が大粒なものに変わり、呼吸も苦しくなる。
「私には無いよ……力も…勇気も…」
動けなかった。
ゴブリンが女性に手を伸ばしていたとき、後ろから襲えば結果は違ったかもしれない…
鍵が施錠される前に飛び出していれば、あの女性を助けられたかもしれない…
考えれば考えるほど胸の痛みは大きくなり、呼吸も苦しくなっていった。
強く握った拳から滲む血の痛みも感じなかった────
どれほど時間が経ったのだろう。
数時間かもしれないし、数十分かもしれない。
いつしか悲鳴も聞こえなくなっていた。
ゴブリンもあれを最後にやって来ない。
休憩中とかなのかな…
「アスタルテ…さん…」
レニーは想い人を思い浮かべていた。
少しお調子者で奥手だけどとんでもなく強くて、いざという時は普段の可愛いらしい姿からは想像ができないほど勇敢に立ち向かう、そんな人…
「レニー?」
アスタルテさんの事を考えていたからか、幻聴まで聞こえてきていた。
でも…幻聴でもいい。
最後にあの人の声が聞けたのなら…
「レニー!!」
今度はさらにハッキリと聞こえてきた。
まさか…
でも、そんなはずは…
期待しないようにと自分に言い聞かせながらも本心は期待してしまう。
この期待が幻だったら、心が砕けてしまうかもしれない…
そう思いつつ、レニーは振り返った。
そこにいたのは────
「アス…タルテ…さんっ…」
紛れもない、アスタルテ本人だった────
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