首吊り人形の戀

朝霧

首吊り人形

 首吊り死体がそこにあった。

 それは、髪の長い綺麗な女の死体だ。

 それは、自分が見慣れた女の死体だ。

 満開の桜の木の枝に結び付けられたその死体は、なんだか人形じみていた。

 死体が風に吹かれて、ゆらゆらと揺れる。

 花弁が風に吹かれて、バラバラと解ける。

 死体の足元に、何かが落ちていることに気付いた。

 それは夕暮れ色の革が貼られた手帳だった。

 おそらくこれはこの死体のもの。

 ならば、とそれを拾い上げ懐にしまい込んだ。

 次に桜と死体を繋ぐ無骨な荒縄をナイフで切った。

 女の死体が熟れ切ってぼとりと落ちた果実のように地面に叩きつけられる前に抱き止める。

 まだ死んでから其れ程経っていないのだろう。

 女の死体は、ぬるくてまだ柔らかかった。

 女の死体を抱え込んだまま、自宅に引き返した。


 自分でも殺風景だと思う自室の真ん中で、物言わぬ女の死体を抱えながら手帳を開く。

 ただの手帳だと思っていたが、それはどうも日記帳であるようだった。

 初めから目を通そうと思ったけれど、薄紅色の栞が挟んであったのでその頁を開く。

 そこには――やはり遺書のようなものが残されていた。



 ここから先はおそらく遺書というものになるのだと思います。

 といっても、残すべき言葉は私にはほぼないのですが。

 それでも首吊りという方法で死ぬのだから、遺書のひとつくらいは残しておくべきだろうと判断して筆をとりました。

 まず、この手帳の近くにあったであろう髪の長い女の首吊り死体は、自殺により死にました。

 他殺ではありません、ごくごくありふれた、事件性など何ひとつない自殺でございます。

 その首吊り死体を殺したのは私本人です、いもしない犯人探しなどは、どうかなさらぬように。

 さてと、私の死体の処分に関して、もしも誰かが困っているようであるのならひとつお願いがあります。

 といっても、大したお願いではございません。

 ただ、死体をできるだけ金を掛けずに処分してほしいだけなのです。

 そういったことには疎いので、どのような方法が最も安く済むのかはわかりませんが……手間暇金を掛けずにどうにかしてくれると幸いです。

 それから、私の部屋のものは全て処分してくれると幸いです、大したものもございませんし、重要、貴重なものなど何ひとつ持ち合わせておりませんので、一思いに捨てください。

 どなたが私の死体とこの日記帳を発見したのかは存じませんが、最終的にはきっと警察経由で私の身内に届けられると思っています。

 なので、手前勝手ではありますが、どうかよろしくお願いいたします。

 

 追伸

 私の自殺に原因は自分自身への失望が主な原因です。

 私以外に悪い人は誰一人いませんでした。



 遺書はそれで終わっていた。

 念のため最後まで頁を捲ってみたが、真っ白だった。

 咄嗟に腕に抱えている女の死体の顔を殴ろうかと思ってしまった。

 悪人がいなかった――わけがない。

 自分やあの男を筆頭に、女の死因になりそうな存在はいくつもいる。

 自分は女をいたぶったし、痛めつけたし、辱しめた。

 あの男だって、そうしていた。

 あの男はともかく、自分はこれを愛していた。

 つがいとして、一生縛り付けておこうとすら思っていた。

 子がなせないならもう不要だと放置されていた女を、食い荒らすように辱しめ一方的に慈しんだ。

 自分のものだと跡を付け、他者の残り香を消すために唾を塗りつけた。

 褒められるような方法ではないと知っていた、一方的な獣欲であったことも理解している。

 だからこそ不可解で不愉快だった。

 何故、この遺書には自分への罵倒が少しも書かれていないのだろうか?

 罵倒とまではいかずとも、一言すらないとはどういうことだ。

 この女にとってはあ、の男も自分も取るに足らないどうでもいい存在だったというのか?

 それはそれで不愉快だった。

 そういえばこれは日記帳だ、遺書が書かれているよりも前の頁に何か書かれていないだろうか?

 そう思って、頁を捲る。

 1ページ目を見て、すぐに他の頁に。

 そこから遺書の手前までパラパラと捲るが、内容は全て同じ。

 黒。

 全ての頁が真っ黒に塗り潰されていた。

 文字の凹凸などでなんとか読み解けないかとも思ったが、真っ黒に塗り潰されている上に鋭い何かでぐちゃぐちゃに線が刻まれている、解読はどう考えても困難だった。

 結局、彼女は自分にもあの男にも、それ以外の有象無象にも、なんの罵倒も恨み言も残さずその命を絶ったのだ。

 そこまで理解して、湧き上がった感情は怒りだったのか、嘆きだったのか、後悔だったのかはよくわからない。

 何故勝手に死んだ、死なせてしまった、こんなことができないように完全に自由を奪っていれば。

 そんなことを思っても、何もかもが手遅れだ。

 死体は蘇らない、ぬるい身体のその温度は、それを抱きしめる自分自身の体温が移っただけのものだ。

 何をしてもこれはもう何の反応も返さない。

 あとはもう、腐っていくのを待つだけの肉と骨の塊だ。

 いつまでも抱きしめているわけには、いかないのだろう。

 じきにこの愛らしい女の死体は腐る。

 腐臭を放ち、肉はどろどろと腐り、蛆に食まれる。

 その様を想像して、吐き気と同時にこう思った。

 腐って蛆に喰われるくらいなら、自分が骨の髄まで喰らってやる。

 燃やして灰にしても、土に埋めても、水に沈めても、自分以外の何かがこの女の死体の形を変える。

 それが許せなかった、だから喰らい尽くしてしまおうと思う。

 この女には最後まで正体を知られることはなかったが、自分は元々人間も喰らう化物だ。

 だから、化物らしく全て喰い尽くしてやる。

 そうすれば、この女の全てが自分のものとなる。

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首吊り人形の戀 朝霧 @asagiri

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