第4話 意志の強さ
「……か、井岡」
「えっ」
早川の声に、はっとして振り返る。
「どうした井岡。上の空で外の景色なんか見て。いつも熱心に聞いてるお前が珍しいな。部活で疲れてるのか?」
「いや、大丈夫です。すいません」
「そうか。それならいいけど、具合が悪いようなら、すぐに言うんだぞ」
「あ、はい」
一応、そう答えた誠だったが、結局最後まで、授業には集中できなかった。
憂鬱な気分のまま帰り支度をしている所へ、亮平が声を掛けてきた。
「井岡、ちょっとコンビニ寄ってこうぜ」
誠と亮平は、塾があるビルの隣にあるコンビニでアイスを買い、それを店先で食べることにした。
「お前さ、今日ずーっと、ぼけっとしてたけど、どうしたんだよ?」
店先の地べたに座り込んでアイスを齧りながら、亮平が尋ねる。
「いや……、ちょっと考え事しててさ」
誠も、ビルの壁に背中を預けながら、そう答えた。
「東商に行こうか、どうしようかって?」
「うん……」
「そういや、お前ん家って、親父さんが結構厳しいんだっけ?」
「うん。まぁ、教師なんかやってるぐらいだから。俺が野球続けるの、反対なんだよ」
「それで、野球部無いとこが第一志望なんだ。なるほどねぇ」
「阿部だったら、どうする?」
「んー、わかんねぇな。まぁ、俺は東商からスカウトされるほどの野球の実力も、進学校に合格できそうなほどの成績も無いからさ。俺からすりゃ、贅沢な悩みにも思えるけど、でもさ……」
そこまで言って亮平は、食べ終わったアイスの棒を加えたまま、俯いて口をつぐんだ。
誠は、その横顔を、無言で見つめた。
そういえば、亮平の家は父子家庭だという事を、以前聞いたことがあった。
母親は、幼少の頃に亡くなったのだという。
さっきは塾へ来る理由を、家で一人じゃつまらないから、などと冗談交じりに言っていたが、実はそれは亮平の本音で、もしかしたら、こう見えて案外寂しがりなのかもしれない。
「……あのよ、俺や翔太がいたのチームの三コ上の先輩でピッチャーやってた人でさ、って言っても、翔太が入ってくる前の年に卒業しちゃったから、あいつとは面識ないんだけど。で、その人も野球推薦で長浜実業に行ったんだよ。木田君って人なんだけど」
「長実か。名門じゃん」
長浜実業は、甲子園出場回数で言えば、東商よりやや少ないが、二十年ほど前に春の甲子園で準優勝した事が一度ある。
輩出したプロ野球選手の人数も、東商より多い。
「その人の親父も長実の元エースでさ、ガキの頃から親父さんにしごかれまくってて、その分上手かったよ。とにかくコントロールが良くてさ。フォアボールなんかほとんど出さなかったし。でも親父さんほんとに厳しかったみたいで、本人は、もう勘弁してって感じだったみたいなんだよね。本人的には、野球自体は嫌いじゃないけど、あくまで楽しむレベルでやりたかった的な感じで。だから長実行くのも、あんまり乗り気じゃなかったんだって。で、嫌々行かされた長実ですぐに肘壊して、1年の途中で結局転校しちゃったんだよ。でも高校の転校って、結構難しいらしくてさ、結局通信制のとこしか入れなかったみたい」
他人事とは、思えなかった。
父の身勝手で、自分の進路が決まってしまった時、どれほど悔しかっただろう。
どれほど自分を情けないと思っただろう。
「でさ、こないだ久しぶりに木田君に偶然会って、色々しゃべったりしたんだけどさ、昔はいつも優しくて、誰かの悪口なんか絶対言わないような人だったのに、親父さんのこととか、今の学校のこと愚痴ってばっかで、なんか見ててかわいそうになっちゃってさ。だから、その……、おせっかいかも知れないんだけど、お前にも同じような事で後悔して欲しくないんだよ。お前も後悔したくなかったら、ほんとに東商で野球したかったら、絶対諦めんなよ。最後はお前の意志の強さ次第だぜ」
そう言って亮平は、誠の目を真っ直ぐに見た。
誠も、その視線を正面から受け止めた。
それでも二人の視線が重なっていたのは、ほんの一、二秒だった。
亮平のほうが、照れくさくなって視線を外してしまったのだ。
「悪ィ、なんか熱く語っちゃってさ。ほんとに大きなお世話だよな、お前だって、自分なりに悩んでるんだろうし」
「そんな事無いよ。聞いてよかった。ありがとな、阿部」
普段はお調子者で、ふざけてばかりいる亮平の、不器用な優しさが嬉しかった。
「そんなら、いいんだけどさ」
コンビニで亮平と別れ、一人家に向かう帰り道、誠は自転車を漕ぎながら、亮平が話した木田という男の話を、思い返した。
野球推薦で進学したいという自分に、一般受験で進学しろと言う自分の父。
一般受験をしたいと言う木田に、野球推薦で進学しろと言った木田の父。
亮平の言う通り、誠とは逆の形だったが、父の意思で、望まぬ道を歩まざるをえなかったのは同じだ。
木田の気持ちは、痛いほど良くわかる。
自分も木田のように、東商野球部のレベルの高さについていけないかもしれないという不安が、ないわけではない。
だけど、自分の意思で進んだ道なら、挫折を味わう事になったとしても、納得できるはずだ。
少なくとも、結果を全て自分で受け止める事は出来ると思う。
でも、仮にもし、自分が東商行きを諦め、学業優先の学校選びをした結果、野球への未練を引きずる続けたまま過ごすことになったとしたら、どれほど惨めだろう。
今まで、自分の将来について、これほど真剣に考えた事はなかった。
自分の将来進む道を、自分の意思で決める。
当たり前の事だけれど、それが決して簡単ではないという事を、義務教育を終えるこの歳になって初めて知った。
だけど、それが出来ないようでは、いつまで経っても、親から自立する事はできない。
まだ、胸を張って自分が大人だと言い切れるような年ではないかもしれないけれど、自分の力で何も出来ないほど、子供でもないはずだ。
木田と同じ道は辿りたくない。
その為には、父を説得しなければならない。
家に着いて玄関の扉を開くと、やはり美奈子が出迎えに来た。
「お帰り、疲れたでしょう?」
「うん……、父さんは?」
誠は、靴を脱ぎながら、母に尋ねた。
「今日は遅くなるみたい。他の先生達と飲みに行くって、電話あったから」
「あ……、そうなんだ」
「ご飯、出来てるけど、すぐ食べる?」
「うん」
肩透かしを食らった気分だった。
父と、進路についてもう一度話をしたいとは、ずっと思っていた。
思ってはいたけれど、なかなか決心がつかずにいたのだ。
だが、今日は、その決心がついていた。
学校では佑介や翔太と、塾では亮平と、自分たちの進路について話をして、改めて、自分は東商で野球をしたいと思った。
その想いを、自分以外の誰かの意思で、断ち切られたくない。
だからこそ決心できた。
それなのに、そんな日に限って、父は酒を飲んで帰ってくるという。
義秀は、家ではあまり酒を飲まないが、外で飲んで来る時は、かなり酔って帰ってくることが多い。
そんな状態の父に、今の気持ちを伝える気にはなれなかった。
タイミング悪いなぁ、と思いつつも、自分の父親に、自分の気持ちを伝える、たったそれだけの事に、これだけ大きな決心が必要な自分の脆弱さが、情けなくもあった。
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