群青の夏

@NAWOTOITO

第1話 自分の進路

 市立東尾中学校のグラウンドで行われている野球部の紅白戦は、最終回を迎えていた。


 三対二と紅組の一点リードで迎えた後攻白組の攻撃は、ツーアウトながらランナー二・三塁。一打サヨナラの好機に、打球が三遊間を襲った。


 レフト前へ抜けようかというその打球はしかし、間一髪の所でショートを守る井岡誠のグラブに拾い上げられた。

 

 誠は、元は鮮やかな黄色だったが使い込んで黒ずんだ愛用のグラブから素早くボールを右手に持ち替え、ノーステップで一塁へ送球した。

 

 ショートバウンドになった送球が、ファーストを守る小川佑介のミットに掬い上げられるのとほぼ同時に、バッターランナーが一塁塁上を駆け抜ける。


 アウトともセーフとも取れる際どいタイミングだったが、主審を務める野球部顧問青木健二はアウトの判定を下し、試合は紅組の勝利で終わった。


 紅白戦終了後、グラウンドの整備の為に、誠がバックネットの裏側にある倉庫へ整備用のトンボを取りに向かうと、菊池翔太が声を掛けてきた。


「最後の守備凄かったっスね、絶対抜けると思ったのに。やっぱこないだスカウトされちゃったから気合入ってんスか?」


 翔太は誠より一年後輩で、誠と二遊間コンビを組むセカンドのレギュラーだ。

 

 体格は小柄だが、二年生部員の中では抜群のセンスを持っている。

 

 そしてスカウトというのは、県立東尾商業高校野球部からの勧誘の事である。


 東尾商業、通称「東商(とうしょう)」の野球部は、近年はやや低迷しているものの、過去に春五回、夏四回の甲子園出場の実績を誇る名門校だ。

 

 青木の母校でもあり、今年就任した西崎俊男監督は当時の青木の同期生でもある。


 その縁から、東尾中の練習を見学に訪れた西崎に、三人の部員が勧誘を受けた。


 エース投手で三番を打つ宮田英治、四番ファーストでキャプテンの小川佑介、そして一番ショート井岡誠。

 

 東尾中野球部員にとって、この上ない名誉な事だったが、誠には、今はその話題には触れられたくない事情があった為、わざとそっけなく答えた。


「あの状況でそんな事考えらんないよ。必死で捕りに行っただけ。それに、今日は東商の監督来てないじゃん」


「でもいいプレーしたら、青木先生から報告して貰えるかも知んないじゃないスか」


「俺達はお前みたいに、雑念だらけでプレーしたりしねえんだよ」


 なおも食い下がる翔太の質問を遮るように、後ろから声を掛けたのは佑介だった。


 佑介は、誠とは小学生時代からの幼馴染であり、少年野球チーム時代からのチームメイトでもある。

 

 団子鼻でまん丸な顔には、まだいくらか子供らしさが残っているが、縦にも横にも大きな身体は、とても中学生には見えない。


「お前こないだもバレバレの隠し球狙って、先生に怒られたばっかだろ。もうちょっと真面目にやれよな。日曜試合なんだぞ。出たくても出れない奴らだっているんだから、レギュラーに選ばれてる以上、例え野球部同士の紅白戦でも、チャラチャラした態度見せんなよ」


 ちょっと仕切りたがりなところはあるが、チームのために言うべきことをきちんと言えるのは、やはりキャプテンとしての責任をきっちりと自覚しているからなのだろう。


 そのキャプテンのお叱りを受けた翔太は、ぺろりと舌を出したおどけた表情で「はーい、すんません」と言いながら、ズルズルとトンボを引きずってグラウンド整備に向かっていった。

 

 翔太とある程度距離ができたところで、佑介が口を開いた。


「やっぱり、おじさん許してくれそうにないの?」


「……うん」


「そっか。まぁ、東商は偏差値あんまり高くないし、ヤンキーとかも結構いるからな。親としては嫌かも知んないよな。せっかく成績良いのにもったいないもんな」


 佑介が言うように、東商は、高校野球の強豪としては県内でも名高いが、学校そのものの評判は決してよくなかった。

 

 事実、野球部からの誘いを受けながら、「東商はガラが悪いから」という理由で、他校へ進学する者も少なくないという話も、ちらほら耳にする。


 だが、誠の場合はそれ以前の問題だった。

 

 父義秀から、高校入学以降は野球をやめ学業に専念するようにと、以前から言いつけられていたのだ。

 

 野球に対する未練は、ずっとあった。

 

 だが、それを父に訴えたところで聞き入れてくれるとは到底思えなかった。


 父は、いつだって自分の言うことは正しく、理に適っていると信じて疑わず、一度言いだしたことは何があっても取り下げない性格だった。


 何を言っても、結局最後は理屈で丸め込まれて、捻じ伏せられてしまうのだ。息子の考えている将来の事なんて、全て子供の絵空事でしかないと思っているようさえ思える。


 誠にとって父親とは、そういう存在だった。


 東商からの誘いを受けた時も、誠の頭の中に真っ先に思い浮かんだのは、名門校で野球をする自分の姿ではなく、父にそれをあっさりと却下され、失望する自分の姿だった。


 どうせ、父さんは俺の気持ちなんてわかってくれない。拒絶されて傷つけられるとわかっていて相談するなんて、馬鹿みたいじゃないか。


 そう思って、初めから半ば諦めていた。


 それでも、日を追うごとに東商で野球をしたいという気持ちは強くなり、抑えきれなくなった。


 そして誠は、もしかしたら、という微かな期待を胸に、父に想いを打ち明けた。

 だが、やはり父は全く取り合ってくれなかった。

 

 誠なりに、悩み、苦しみ、勇気を出して伝えた気持ちだった。


 それをバッサリと切り捨てられた。予想通りだったとは言え、やはりショックは大きかった。


 それでも諦めることはできなかった。


 諦めきれないが、どうすればいいか分からず、もどかしい日々を過ごしているのだった。


「でも、まだ完全に諦めたってわけじゃないよ。やっぱり自分の進路なんだから、自分の意志で決めないと。東商で野球やるにしても、ほかの高校行くにしてもさ」


 佑介よりも、自分自身に言い聞かせるような口調になっているのが、自分でもわかった。

 

 佑介は、そんな誠の気持ちを、知ってか知らずか「そうだよな。俺たち、せっかく小学校からずっと一緒にやって来たんだからさ、高校でも一緒にやろうぜ」と言って、誠の背中を、大きな手の平でぽんと叩いた。


 誠も、「うん」と努めて明るい声を出したが、作り笑いが引きつっているのが自分でもわかってしまうほど、不自然な笑顔になってしまった。


 佑介は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、誠の気持ちを察したのか、それ以上この話題に触れる事はせず、既に丁寧にならしてある土に、軽くトンボを掛け直すと


「よし、こんなもんでいいだろ。トンボ倉庫にしまって帰ろうぜ」と言ってトンボを肩に担いで、倉庫の方へ歩き出した。

 その佑介の声色も、不自然に明るかった。


後片付けを済ませた後、誠は、佑介と翔太と三人並んで歩いて帰った。

 いつもは英治も一緒なのだが、英治は、今日は体調が悪いそうで、午後の練習を休んでいた。


「井岡先輩、東商行くってもう返事したんスか?」


「ん、いや、まだ、ちょっと……」


「えっ、じゃ、東商行かないんスか?」


「いや、まだ行かないって決めたっていうわけじゃないんだけど……、ほら、東商って、あんまり偏差値とかは良くないから……」 


 歯切れの悪い返答をして、その話題には触れてくれるなという事を暗に示してみたが、翔太はそういう事に気が回るタイプではない。


「絶対行った方がいいっスよ。いくら成績良くたって、ガリ勉より名門野球部のほうが絶対モテますよ。オレなら迷わず東商行くけどなぁ」


「さっきからゴチャゴチャうるせぇなぁ。何が迷わずだよ。お前には最初っから迷えるほどの選択肢なんかねぇだろ。人の進路より、自分の心配しろよ。人の事心配できる立場か? お前の成績じゃどこの高校も引っかかんねぇだろ」


「ちょっと小川先輩、いくらなんでもひどくないスか? オレがバカなのは認めるけど、井岡先輩はともかく、小川先輩は言うほど頭良くないでしょ」


 翔太の言うように、佑介も翔太程ではないが、成績の方はあまり芳しくない。


「あー、お前先輩に向かってそういうこと言っていいの?」


 佑介の太い腕が、翔太の首をがっちりとロックした。翔太が、大げさに顔を歪めながら佑介の腕を手で叩き、ギブアップのゼスチャーをする。


 佑介が少し力を緩めると、翔太はするりとその腕をすり抜けた。


「ったくもう、すぐ暴力にうったえるんだから。こんな人と一緒になんて帰ってらんないっスよ。オレ、今日はもうこの辺で失礼しますから」


 そういって翔太は、帰り道とは違う方向へ歩き出した。


「どこ行くんだよ。お前ん家、そっちじゃないだろ」


 誠が尋ねると、翔太は当然のように言い放った。


「オレ、今日寝坊して遅刻しそうになったから、チャリで来たんスよ。そんで公民館にチャリ置いて来たんで。んじゃ、おつかれーっス」


「あのバカ。そんなことして学校にバレたらただじゃすまねえぞ」


 そう言って翔太は、公民館の方へ小走りに消えていった。


「佑介は……、もう親とかにも東商行くって言ってあるの?」


「えっ? あ、うん。翔太ほどじゃねぇけどさ、俺も一般受験して行けるとこなんてたかが知れてるからな。だったら、好きなことやりたいじゃん」


「そっか……」


 それからは、どうにもよそよそしい雰囲気になってしまった。お互いに、その気まずさを紛らわすように言葉を搾り出すのだが、会話が続かず間が持たない。

 

 やがてお互いに黙り込んでしまい、お互いの家の分岐点までは、共に下校しているというより、ただ一緒に歩いてるだけ、という状態だった。


「じゃあ、俺こっちだから。また明日な」


「うん」

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