第15話

 今回の観察実験に参加する部員たちとは別に、家族で4人掛けの席に座った。妹は、窓から外の景色を珍しそうに眺めていた。


「うひゃああああ。わだす、こんな乗り物、初めてだ。お兄さん、すげースピードだ」


「そうかい? ずっと山の中にいたんだっけねー。つーか、前髪がずっと下がっているけど、それでよく前が見えるね」


「慣れだよ。変態なお兄さんと、一つ屋根の下で暮らす事に慣れるのと比べたら、こんなの簡単だー」


「ちょっと待ってくれ。僕を変態だというのは、一体、どういう根拠があってそう言ってるっ」


「だって、お兄さんのベッドの下には……」


「お、おおおおい、おおおおおい!」


 ペルの顔面は、一気に赤くなる。母はニヤニヤしながら身を乗り出し、妹に訊いた。


「なになに? ペルくんのベッドの下に、何があったの? お母さんにも、おせーて。おせーて」


「んだんだ。お兄さんのベッドの下にはな、それはそれは、変態な本があったんだ。その内容は……」


「分かった! もう、変態でいい! 変態ってことでいいから、それについては黙っていてくれ」


 とんでもないものを、見つけられたようだ。ペルはめっちゃ焦っている。あの本の内容を暴露されるくらいなら、変態と思われておいた方がまだ、ましだろう!


「うふふふ。お母さんは嬉しいわ。白面ちゃん、それはね、『変態』ではなく『健全』というのよ」


 母が妹に諭すように言った。表情は分からないが、妹はとても驚いている様子だ。


「け、健全なんか? あれが……どっしぇえええ。わだす、これまで勘違いしてただよ。お兄さん、申し訳ないだべ。健全なのに、ずっとお兄さんの事をど変態の鬼畜やろーだと勘違いしていただ。まさか、指だけじゃなく、腕一本まるごとを……」


「わあああああ。だめー。それから、先は言っちゃだめえええ!」


「白面ちゃん。それはね、健全なのっ」


「それも、健全なんだな! そして、そして、まさかカレーのような、あの茶色い物体をスプーンで体中に……」


「それも言っちゃ駄目ー。僕を陥れるような事を言うんじゃなーい」


「わ、わだす、そんなつもりはないんだ。お母さん、それも、健全なんだべな?」


「そうっ! 健全なのよ!」


「……いや、それは。たぶん健全じゃないと思うけど……」


 ペルの隣でお姉ちゃんがぼそりと呟いた。しかし、もはや誰にも聴こえていないようである。


 しばらくして、妹が苦しみ出した。この症状は『酔い』である。


「大丈夫かい? 白面ちゃん」


「お兄さん、何だか、気分が悪いだべ。一体、どうしてだべな」


「それは恐らく、電車酔いだね」


「で、電車酔い……それは、妖怪のしわざけー?」


「いいや、妖怪のしわざじゃないよ」


「うぅぅ……き、気持ちが悪い。脂汗が出てきただ」


「白面ちゃん、ハンカチ。あと、酔い止めの薬もあげるね」


「ありがとうございますだ」


 ペルは持ってきていた酔い止めの薬とハンカチを妹に渡した。妹は白色のお面を膝の上に置くと、ごしごしとハンカチで顔を拭き、薬をゴックン。そして、再びお面を装着した。


 ………………。


「おお。お兄さん、なんだか、気持ち悪さが軽減してきたような気がするだー。これも妖怪のしわざかー?」


「いや、妖怪のしわざじゃないよ。あえていうなら、薬のしわざ。さらには、そんなに即効性があるわけじゃないから、気分のしわざ、でもあるね」


「さすおにー。物知りだべー。にしても、こういう便利な乗り物や、すごい薬があっただなんて、山の中で暮らしていた頃は、まったく知らなかっただよ」


「白面ちゃんは山の中で一体、どんなふうに暮らしていたの?」


「アリばっか食ってただ」


「え?」


「ほら、オオアリクイっているだろー。あんな感じ」


「あんな感じって言われても……想像が出来ないよ」


 アリばかり食べていたって、どういう事だろう。


「あとは、クモとかカエルも食ってたなー」


「うげえええ。想像したら、気持ち悪くなってきた」


「なに言ってるんだ。わだすは生きるために必死だったんだべ。サバイバル時は昆虫食ってのは、基本中の基本だべ」


「ごめん、確かにそうだよね。重要なタンパク質だもんね」


「わだす、あの時の名残りがまだ残ってて、今でも昆虫さ見つけたらミンチにして、鍋やフライパンの中に放り込むんだー」


「ふーん………………っえ?」


「熱消毒してるから、安全だー。カサカサしてて、すばしっこいのもいるけどな。わだすは、久々にハンターになるんだべ。昆虫ハンターだ」


「あのー。それって、今も、なの? ってか、『今でも』って言ったよね」


「んだ。折角見つけたんだから、勿体無い。勿体無い。貴重なタンパク質だべ」


 妹が爆弾発言をした。


 ……血の気が引くのを感じた。


「白面ちゃんってさ、母さんの代わりに家事をやってくれる事が、ちょくちょくあるよね。母さんの帰りの遅い日は、白面ちゃんが夕食を作ってくれてるよね。いつも、ありがとうー」


「んだ」


「っで、本題だけど………………あ、姉さん。久々にはっきりと見える、ね」


「あれれ。どなたさまですか。はじめましてー」


 ペルの隣の席で、ずっと空気だったお姉ちゃんが、急に認識され始める。お姉ちゃんは怒ったり悲しんだりと、喜怒哀楽の感情が高まった時に、存在感が高まって見え易くなる。


 今回は『哀』だろうか。


「………………58回目」


 お姉ちゃんは力ない声で、そう言った。


 なお、妹には二度と昆虫食をやめるように、そして、食事を作る時には、余計なものを決して入れないように厳重注意しておいた。母は運よく眠っており、この話を聞いてはいなかったようだ。世の中には、知らぬが仏という事柄が悲しい事に、本当に存在するものなのだ。できれば知りたくなかった。しかし、今後のために知っておいてよかったと、そうも思えた。


 駅に到着すると、母と妹と一旦別れ、今回の部活動のメンバーたちと合流した。


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