第5話
雨はその後、勢いを増していつしか、どしゃ降りとなった。
ペルが窓から外を眺めていたところ、妹が話しかけた。
「お兄さん、窓の外なんか見つめて、どうしただー?」
「別に何もしないけどさ。すごく雨が降ってきたなーと思ってね」
「いやぁ、いやぁ。この家は雨漏りとかしないんだべなー。すげーテクノロジーだ。わだす、ぶったまげたよー」
「僕はその白面ちゃんの、髪とお面で隠れて見えないぶったまげた顔を、一度くらいは拝んでみたいものだけどね。おそらく世界広しといえど、一緒に暮らしている妹の顔を見たことのない兄ってのは、僕しかいないだろうから」
「お兄さんも、もの好きだべー。わだすの顔なんて見ても、なーんも、良い事なんて起きないだー。逆に悪い事が起きると知っていて見たいって言うんだから、好奇心旺盛だべー。さすがはお兄さん。さすおに、さすおにっ!」
「だから、それはいい加減にやめろっつーのっ!」
「うぅぅぅぅ………………」
「そして、泣くなああああああっ! 別に、怒ってねえええ。面倒くせえええな、君はっ!」
そんなこんなで、この日はいつも通り何事もなく終わった。妹はコーラを、ごきゅごきゅと飲むとすぐに機嫌を直した。
翌日、学校に登校し、鞄の中の教科書やらの荷物を机の中におさめていた時、桃子がゆらり、とペルの席の前に立っている事に気が付いた。
「うわああああっ。びっくりするなー。いつからいたんだよ、桃ちゃん!」
「クケケケケケケ。桃子、犯人を捕まえちゃったよ。つーかまえっちゃったーと。クケケケケケケ。クケケケケケケ。クケケケケケケ」
「なんか、怖いんですけどー。正義の味方というより、下っ端の悪役っていう印象。つーか、目の下のクマがすごいんだけど」
「だってさ、一晩中、寝ずの番をしてたからね。雨に打たれ続け……は、は、はははは、はっくしょおおおおい。ぶっはくしょおおおおおおい」
桃子は盛大にくしゃみをした。ペルの顔に向かって。
「うわあああ。くしゃみする時は、手で押さえろよ。僕の顔に鼻水やら唾を盛大にぶっかけやがって。そして、病原菌もっ」
「ドッペルゲンガーのペルくんって、本体の人間さんと連動してるんだから、本体さんが風邪ひかないと、ペルくんだって風邪ひかないんでしょー」
「どこで僕のそのマル秘情報を知ったー!」
「ふふーん。ネットでね。ウィキペ〇ィアさ」
「そういうの、ネットに載ってるの? ええええー。ショックっ。ただし、それは仮説であって、本当かどうかは不明だとも、伝えておくぞ。そもそも、僕の本体がどこでどうしてるのかすら知らないから、同じ時期に風邪をひいているかどうかは確認できない」
「ペルくんの秘密なんてどーでもいいの。桃子はね、ついに、犯人を捕まえたの。今は、それが大事」
「ふーん、で、犯人を捕まえて、どうしたの?」
「お話を聞いたよー。そして証拠の写真も撮っちゃったの」
「ふーん……」
桃子はポケットから写真を2枚取り出した。写真には何者かが自転車を盗む瞬間と、路上で土下座をしている様子がそれぞれ写っていた。しかし、顔の部分だけは、どちらもマジックで黒く塗りつぶされている。
「後悔しています。すっごく後悔しています。でも、仕方がなかったんですって、そう言っていたよ」
「どうして、仕方がなかったんだろう? あと、どうして顔が塗りつぶされているの?」
「そりゃあ。誰にだって事情っていうものがあるさ。きっと犯人には、マウンテンバイクを盗まなくちゃいけない、海よりも深い事情があったのさー。顔を黒く塗りつぶしたのは、私の温情。モザイクだと思ってよ。ふふーん。私は温情深い女なのよ」
桃子が胸を張ってそう言った時、ペルの耳元で声がする。
「嘘ばっかり。私は、その事情を知ってるわよ」
………………。
「うわ。な、なんだっ」
声がした方向を振り向くが、何も気付かない。しかし、じっと目を凝らしていると、段々と見えてくるものがある。そこにはお姉ちゃんがいた。
「ぬ、ぬらひょん姉さん。お……お久しぶりだね」
「お久しぶりって、それはないでしょう、自分の姉に向かって! 家で毎日顔を合わせているし、学校でも私、いつもペルくんの隣の席に座ってて無遅刻無欠席なんですよーだ。失礼な弟だなー」
「ね、姉さんは存在感が薄いから、目を凝らさないと、すぐに透明になっちゃうんだもん」
ペルがお姉ちゃんと会話していたところ、桃子が不思議そうな顔で訊いてきた。
「ペルくん、頭、大丈夫? ぶつぶつと突然独り言を呟き出して……てっ! あああっ。よーく見ると、そこにいるのは、留年先輩じゃないっすか。お久しぶりっすぅー」
桃子もお姉ちゃんに気付いた様子だ。
ぬらりひょんの妖怪であるお姉ちゃんは、あまりにも凄まじき存在感の薄さで、光にさえ気づかれない場合が多々ある。光にさえ気付かれない、という言い方は、おかしいかもしれないが実際にそうなのだ。一体、どういう物理的理論かはわからないが、全てとはいわずとも体をそのまま多くの光が直進する事が、これまでの実験で判明している。
一般的に物質や色を視覚として『見る』という行為は、様々な物体からの反射によって届く光の刺激を、網膜で受ける事で成り立つ生理現象だ。つまりは大部分の光を反射しないお姉ちゃんは透過率が高く、見えにくくなるという理屈。摩訶不思議な事に、身につけている衣類までも光が素通りするようになってしまう。
そんなお姉ちゃんの特殊能力は『存在感を消す』というもの。しかし、別に能力を使わなくても、そもそも通常時の状態からして存在感がない。この特徴は物理的現象だけでなく、非物理的現象の面でも発揮されており、皆の記憶からもお姉ちゃんの存在は頻繁に薄まるのだ。
お姉ちゃんは、元々ペルたちより1学年上だった。自身の健康に特に気を使う性分で、学校には1日も休まずに出席していた。それにも関わらず、去年は出席簿に出席を示す印を全く付けられず、出席日数不足により留年が決定。現在は朝のホームルームの途中で出席簿に自らで印をつけに行く事を日課としている。普通ならそんな事をすれば目立って仕方がないが、それすら教師や生徒の誰もが気付かないという、イレギュラー中のイレギュラーな存在。それがお姉ちゃんだ。
(1)お姉ちゃんを見ようと積極的に意識した場合。(2)お姉ちゃんの喜怒哀楽の感情が高まった場合。(3)お姉ちゃん自身が能力を使い、存在感を高めた場合。この3つの場合でのみ、お姉ちゃんがそこにいると、その姿を認識できるようになる。
「桃子さん。私を留年先輩って言わないでもらえるかなー。前にも言ったわよね。それに、桃子さんとも頻繁に顔を合わせているけど、本気で久し振りと思われているところが、私には底恐ろしいわ。ちなみに、私は昨日も部活動を行っているよ。6人で実験を行ったものね」
ペルは昨日の事を思い出す。
「6人? たしか昨日は僕、桃ちゃん、般若ちゃん、乙姫先生、一寸法子ちゃんの5人のはずだけど……」
「私はペルくんがやってくる少し前から部室にいたの。たしか、ペルくんは不法侵入の罪やらで捕まりたくないとか、そんな事も叫んでいたよね」
「そ、そうなんだ。あの時から、いたんだね。気が付かなかった。というか、注意して見ていないと、姉さんの事、たった今でも気を抜けば、見失ってしまいそうだ。なるほど、なるほどね。参加していたんだ……」
お姉ちゃんは、うんうんと、頷いた。
「観察実験は残念だったね。私、あれからも夜通し桃子さんに付き合って一緒に残っていたの。だから、実験の結末まで知ってるの」
「ぎ、ぎっくううううううう」
桃子は唐突に、顔を青ざめさせた。
どうしたのだろうか?
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