風の旅~バイクが綴る物語~(旧題:バイクに関するエトセトラ)

永遠こころ

オープニングストーリー:旅立ちの朝


 イグニションキーをONにする――。


 チョークレバーを三分の二ほど引き、右足でキックを上死点に合わせる。

 右手で僅かにスロットルを開けながら、体重を掛けて一気にキックを踏み込んだ!


 唸りを上げるエンジン音。XLR250Bajaが目を覚ます。

 二つのライトが灯りニュートラルランプが点灯する。

 チョークレーバーを少し戻し、アイドリングが安定する場所を探す。

 ヘルメットのシールドを下ろしクラッチを握りミッションを一速へと落とす。

 クラッチをゆっくりと離しながらスロットルを僅かにひねる。


「よし!」 


 そして、僕は旅に出る。



 ゴールデンウイークの明けた五月の二十日午前六時半……。

 夜明けと共に目覚めたばかりの街にはまだ人も車も少ない。通勤時間に差し掛かる八時までがツーリングのもっとも走りやすい時間帯だ。旅慣れたライダーならこの時間にしっかりと距離を稼ぐ。


 スロットルを開ければ、街の景色が風のように流れていく。

 いつもの見慣れた街並み。

 角に立つ薬局。

 学校に通うときに使っていた通学路。

 友人の家。

 その全てを置き去りにして僕は前へと進み出す。思い出を捨て去る様に、しがらみを断ち切る様に、僕を乗せたバイクは突き進む。


 首元を抜ける早朝の風が少し冷たく、そして心地よい。

 この道の先にある物を思い浮かべ胸が高鳴る。心の底からワクワクしているのだ。自分の知らない何かに出会えることに……。


 その気持ちに根拠がない事はすでに知っている。もう何度もソロでツーリングに行ったことだってある。だけど旅立ちはいつだってこうである。見えない何かが先に待っているのだ。


 気持ちの方が先に行く、それを追いかける様にバイクは加速する。

 そして、同時に過去を振り切る。昔の自分を置き去りにしていく。


 この先にもつらい事、大変な事はいっぱいあるだろう。だけどそんな事はどうだっていいのだ。今の自分ならそんなことだって楽しめる。


 期待だけがあればそれで良い……。


   それが、きっと旅をすると言う事なのだから。



 道は峠に差し掛かった。


「いけねっ!?」


 僕は急ブレーキを掛け、そのままガソリンスタンドへバイクを突っ込ませた。この先の山道にあるスタンドは午前中は中々店を開けてはいない、朝の内に距離を稼ぐためにはここで燃料を入れておかなくてはいけないのだ。


 給油機にバイクを横付けして、エンジンを止める。

 時折、遠出する時にだけ使うガソリンスタンドの何度か見たことのある店員のおじさんが近づいて来た。


「お! にーちゃん今日は荷物一杯乗せて、ツーリング行くんかい」

「ええ、ちょっと北海道まで行ってきます」

「おう、北海道か遠いの。気付けんさいよ」

「あ、はい」

 話をしながら僕は、キーをタンクに差し込み、給油口を開けた。

 ノズルがタンクへ差し込まれた……。



 僕は思い出す。

 まあ、これはあれだ、言わば失業失恋の傷心旅行と言う奴だ。


 三か月ほど前、僕は会社をクビになった。

 別に何かがあった訳ではない、仕事は真面目にがんばってもいたし、それなりに成果も挙げていた。ただ一つ、人との付き合いだけは苦手であった……。


 と言っても、社長や社員達とも、仕事終わりに一緒に飲みにも行くし、休日に引っ越しの手伝いなんかもした。だけど、何かがズレるのだ。決定的な何かが噛み合わない。いつもそれを感じていた。

 だからそれが態度にも出ていたと思う。その噛み合わない何かが時と共に次第に大きくずれていく。

 恐らくそんなところが、社長の気に障ったのだろう。ほとんど強制的に辞めさせられる形で、自主退社させられた。「お前は皆の輪を乱す……」そんな言い訳。


 自分が悪くないとは言いはしない、だけどどうしようもないのも事実だった。

 変えられない自分、変えようの無い根底にあるもの。それが自分と言うものの在り様を決めているのだから……。


 しかし、そんな僕に愛想を尽かした彼女は僕の元を去って行った。真面目に結婚を考えていた彼女には無職の彼氏は荷が重すぎた。

 仕事を辞めさせられたばかりの僕には、それを止めることが出来なかった。圧倒的に心が欠けていた。自信が無かった。だから、彼女と見るはずの未来も見ることが出来なくなってしまった……。


 諦めの心境。いや、自分でも驚くほどに未練は残った。それでも別れたと言う事実だけは、変わりはしない。

 あの時にああすれば……。あの時にこう言えば……。後悔だけが積み重なった。


 その後、僕は近所の町工場で短期のアルバイトをして小銭を稼ぎ旅の資金を蓄え、荷物を纏めて家を出た。

 あてがあった訳では無い、只々自分が知らない何かを求めて旅に出たのである。昔、雑誌で連載されていた小説の様に、只風を感じて走りたかった。不貞腐れた心を捨て去りたかった……。



 給油は終わった。

 僕はお金を支払い、お釣りとレシートを受け取り、再度キックを蹴り込んでエンジンを掛けた。


 〝さあ行こう、これから峠をいくつも越えて日本海へ〟


 冷たく澄んだ空気の中を引き裂くようにスロットルを開け放つ。

 重い荷物を引きずりながらもエンジンは吠えあがり加速する。



 峠の道が見えてきた。


 山々の芽吹いたばかりの鮮やかな新緑の緑。雲一つなく澄み渡る青空。

 黒いアスファルトの道が、その空へと続いている。

 僕とバイクはその空へと向けて駆け上がる。



 そんな、旅立ちの朝だった……。

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