第71話 君とスパーリング

「亮介君、一緒に昌子君の様子をみに行かないか?」リビングのソファに腰掛けてテレビを見ていたら綾が声をかけて来た。


「昌子・・・・・・ですか?たしか、プロレスの練習に行っているんですよね」なんだか、無理やりに通わされて毎晩疲れ切った顔をして帰ってくる。あまりの憔悴ぶりに最近は俺が食事の当番を代わってやっているほどである。いつも帰宅して、食事、風呂で寝てしまう。ほとんど俺は彼女と会話も交わせていない。


「うん、私の友達が代表なんだけどね。一度見に来いって連絡があったんだよ」綾はなぜかモジモジしている。


「そうですね。今日は美桜ちゃんの送迎も無いし、行きましょうか」結局あれからも美桜のラジオ放送の日は俺が送迎の係になっている。多分、ラジオ局のスタッフは俺の事をマネージャーかなにかと勘違いしているようで、最近は顔見知りになって俺の夜食用の弁当まで準備してくれるようになった。


「それじゃあ、私・・・・・・準備するから少し待っててね」なんだか女の子のような笑顔を見せてから綾は自分の部屋に嬉しそうにスキップでもするような感じで戻っていった。そんなに女子プロレスを見るのが楽しみなんだと感心した。きっと怒らせたらバックドロップでも喰らわせられるのであろうか。用心しておくことにしておこう。


「お待たせ・・・・・・」しばらく待っていると、綾が階段から降りてきた。少し短めのデニムのスカートに、裾を出した白く大きい目の襟が付いたシャツ。少し胸元が開いている。ピンクの唇が艶めかしい。


「あ、いいえ・・・・・・、行きましょうか」二人玄関を出て、昌子の練習するプロレス団体のスタジオに向かった。


「あの映画の話・・・・・・、進みそうなんですか?」俺は先日、神山監督から聞いた映画のストーリーを思い出しながら聞いた。数十年前ならとにかく、素人目に見ても今の人々に受けるとは思えないコアな内容であった。


「そう、それなんだが・・・・・・・、どうやら主題歌をMIONが歌うって話になってからスポンサーが我も々と手を挙げたらしい。君のすごい功績だよ」綾が嬉しそうに微笑む。さすがにこういう話をしている時の彼女は、小野寺社長の顔であった。それはそうと、やはりMIONの歌にはそれだけの価値があるのだと俺は再認識した。「あっ、ここだ!」綾が足を止めて看板を指さした。そこには『精神身体鍛錬場』という看板が掲げられていた。一瞬、本当にここが女子プロのスタジオかと疑ったほどであった。


「ごめんください!」綾は挨拶をしながら観音開きの扉をゆっくり開ける。少し重い様子で開けるのに手間取っていたので俺は補助する。


「あっ!うっす!小野寺さん、お久しぶりです!」なんだか小型の悪役レスラーみたいな奴が竹刀を持って選手をしごいている。


「おはようございます!」

「小野寺さんだ!」


 なんだか綾は顔なじみの様子で、みんな歓迎してくれているようである。


「綾ちゃーん!」綺麗な長身の美女が飛びつくように綾に抱き着いてきた。さっきから俺の存在が全く無視されているような錯覚にとらわれるのだが・・・・・・・。


「有紀ちゃん、久しぶり。今回は無理を聞いてもらってごめんね。うちの篠原はどこかな?」綾は辺りを見回した。なんだか一瞬、昌子の事を聞いた瞬間、この長身の美女の顔が険しくなったような気がした。


「あっ、昌子ちゃんね。彼女があそこ」有紀が指さした先には、ロープを張ったリングがあり、その上で華麗なステップを踏む昌子の姿があった。


「えっ、あれは・・・・・・、昌子なのか・・・・・・・」俺は目を見開いて驚いた。そこで練習をしている彼女が俺の知っている昌子ではなかった。その目は真剣なプロスポーツの選手、テレビで見る女性格闘技の選手と同じ雰囲気であった。


「ところで・・・・・・・、そちらは・・・・・・・」有紀が俺の方を見る。


「ああ、うちの新人タレントの瀧山亮介よ」綾のその紹介に合わせるように俺はお辞儀をした。


「ふーん、まあいいわ。もしよかったら椅子を用意するから見学して行ってね」有紀はそういうと練習に参加するように、着ていたジャージの上着を脱いだ。その美しいスタイルに俺は圧倒された。


「気にしないでね・・・・・・」綾が用意された席に移動しながら小さな声で囁いてくる。


「えっ!?」俺は何のことか解からなかった。


「有紀はね・・・・・・・。昔から男嫌いなのよ。一度もお付き合いしたことないから免疫もないの・・・・・・・」あっ、やっぱり俺って冷遇されていたのね。なんとなくは解かっていましたが・・・・・・。


「よっと!」有紀はロープの間を潜ると、昌子の元に歩いて行った。「昌子ちゃん!私とスパーリングしようか?」その瞬間、スタジオの中が凍り付いたように静かになった。


「えっ!?私と有紀さんが・・・・・・・ですか?」昌子は急な申し出で驚いている様子だ。


「うん、本気出していいよ!私は手加減してあげるから。ねっ!」有紀は言葉とは裏腹に可愛い笑顔を浮かべていた。


「お、おい・・・・・・、聞いたかよ。久保社長がスパーリングだってよ。私達だって相手してもらった事ないのに・・・・・・・」選手と思われる女性が聞こえるか聞こえないぐらいの小さな声で隣の選手に語り掛けた。まるでその声を合図にするかのようにスタジオの中が騒めき出した。


 その瞬間、有紀の顔が少し険しくなったような気がした。

 

バシッ!!

 

 いきなり竹刀を叩きつけるような音が響いた。


「てめえら!自分の練習をしやがれ!!」先ほどの悪役レスラーが大きな声で、皆を戒めるように叫んだ。その瞬間、またスタジオ内は静まり返った。


 その様子を見て、有紀は目を瞑り少しほほ笑んだように見えた。


「じゃあ始めようか。昌子ちゃん!」そして昌子以外の選手がリングから蜘蛛の子を散らすように慌てて逃げて行った。

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