高城短編集

高城 真言

別れた女をなかなか吹っ切れない男

 冬の寒さは嫌いじゃない。


 ――――――――――――――――




「このたびは、ご成婚おめでとうござい――…………あー……。」

 たった一文。それすらも言葉に表すのは難しい。携帯を投げ捨て、硬いベッドに寄りかかると、煙草の臭いが鼻をついた。

 携帯から送る祝辞。少し前の世の中ならば、誰しもが首を傾げたことだろう。今であれば普通か、それを判断するのは、俺ではない。部屋の隅で振動する小さな機械を睨みつけてから、そんなことをしている自分に嫌気が差して溜息を吐いた。

 恋人と別れたのは、もう三年も前。未練たらしく指輪を部屋に飾り、またそのうちヨリを戻すだろうだなんて甘んじて、新たな出会いに身を置かなかったのは俺自身の所業。そのくせ裏切られた気分で堕落するだなんて、もってのほか。

「……綺麗、か。」

 招待状は来なかった。流行りのSNSで昔の知人が嬉しそうに、幸せそうに上げた披露宴の写真で、ようやく知った。赤いドレスに身を包み、俺よりも何十倍もイケテル金持ち風の男に寄り添う彼女。何年も音沙汰無く、気が向いたら連絡しよう、とアドレスだけは残していたが、もうそれも消そう。

 空になったセブンスターを握り潰し、頭を掻き乱してから、また溜息。渋々振動するソイツを拾い上げると、職場の上司の名前が表示されていた。あー、うるさい。表示を無視して画面を戻すと、先程作りかけていたメール画面はそこに無く、送信済みフォルダが虚しく点滅していた。

「うっわ……。」

 確認すれば、やはり。ご丁寧にチェックの付けられた送信メールは、先程の「ご成婚おめでとうござい」。おいおいマコトか。イツワリではないか。思わずその場に座り込むが、それでどうにかなるわけではない。ダサい。また盛大に息を吐き出してからの、舌打ちを一つ。適当に親指で画面を弄り、薄汚れた財布を大袈裟に掴んだ。



 冬の寒さは嫌いじゃない。コンビニでバイトの女の子が温かい肉まんを手渡してくれるし、今じゃもう毎日買ってる煙草の銘柄も覚えてくれた。笑顔で見送ってくれる彼女に、仕事であれどほんのり心が温まるから。冬は、こういうちょっとしたことでほっこりする。

「なんてことを言っていても、だ。悔しいのは悔しい。」

『そりゃそうだろ〜!』

 受話器越しにけらけらと笑いかけてくる親友の声に、うるせえと言ってやると、少し心が満たされる。少しだけ。

『お前ずっと言ってたもんな? ……アイツ以上にいい女がいたら付き合うんだけどな〜とか――』

「うるせえ。」

 ショーウィンドウに光る電球たちが、この季節を一層演出している。かく言う話し相手も最近恋人に振られた寂しモン。傷の舐め合いももう何年越しで、俺たちは俗に言う負け組。バイクに跨りながら、ライターを探すが、見つからない。

『お前次いつ休みよ?』

「明後日。なあ、ライター知らねえ?」

『知るかよ。明日の晩、飲み行こうぜ。』

 分厚いジャンパーに腕を突っ込みバサバサと振るうが、そんなことで愛しのライターは姿を現してやくれない。火のない煙草を無理矢理咥え、ぶらぶらと歯で遊ばせた。

「明日な、おっけ。面倒だからいつもんとこな。」

『そのほうが助かるわ。遅くなったらオレんちな!』

「はいよ。」

 すぐに煙にありつかせてくれないツンデレなセブンスターさんで唇を乾かしながら、エンジンを掛けようとキーを回せば、話し相手は理解したかのように通話を終わらせた。何も言わずにわかってくれる相手は楽でいい。恋人だの、仕事のパートナーだのも、そうであればいいのに。

 例の恋人と別れたのも、そんな感じの理由だった。「付き合ってみたら、何か違ったの。」あり触れた理由。けれど、そんなあっさりした別れ方に縋っていたのは、長年付き合わずともダラダラと二人で過ごしていたから。きっと恋人でなくなっても、またそのうち二人で過ごす日々が戻るだろう、なんて淡い期待を抱いていたし、周りにもそう言われていたから。しかし現実はこうだ。向こうはちゃっかりと前に進んでいるというのに、俺は何だ。イケテル金持ちにあって、俺にないもの。無いものがありすぎて頭が混乱する。

 エンジンを噴かせたまま、じっと鼻先の白い煙草を見つめていると、目の前にボッと炎が現れた。

「吸ってから行きなさいな。」

「え、あ。……あざす。」

 ジリジリと紙が焼ける。細い指に添えられたオイルライターから、その指のように細い炎が空へと上る。指の先を辿れば、タイトなライダースに身を包んだ真っ赤な唇のお姉さんで。この時代に珍しいな、なんて思いながらぼんやりと眺めた。

「……なあに?」

「あ。すんません……。」

 吐き出す白い煙が、煙草のものなのか、自分の息なのかわからない。それくらいに、唐突なことで少しドキッとした。

「火がついてなくても、くわえタバコはしょっぴかれちゃうわよ。」

「そ……っすよね。」

 それだけ言って、お姉さんは備え付けの灰皿に自分の煙草を押し付けると、真っ黒なアメリカンクルーザーに跨った。その姿がかっこよくて、つい見惚れてしまうが、座る位置がおかしい。その瞬間に、さっきのときめきも忘れてふいと目を逸らした。と同時に、子どもみたいに小さな男がコンビニからコーヒーを抱えて駆け出してきた。

「コーヒー!」

「ん。ありがと。」

 にへら、と笑う男を撫でるお姉さん。おいおいと様子を見守っていると、男はその小さな頭にフルフェイスを被せ、お姉さんの前に腰を落とした。自分よりも小さな男の背に抱き着き、お姉さんもお揃いのメットを被ってヒラヒラと手を振る。颯爽と走り去っていく凸凹なカップルを呆然と眺めてから、俺はようやく煙草の火が消えていることに気が付いた。

「……かっけえ。」




 一人きりの空間で白煙を上げる行為は、まるで救命信号を送る狼煙のようだ。天井に吸い込まれていく煙を見届けながら、先程の凸凹を思い出していた。子どものような彼氏と、アダルティなお姉さん彼女。一瞬しか見届けてやしないが、あの彼氏は背伸びすらしていなかったな。

 恋人とでも、職場でも、俺はいつも必死になる。うんと背伸びをして、震えながら、背伸びなんてしてないぞ、と言い張る。それに周りはうんざりするのだろうか。例えば気兼ねない親友の前では、俺は一切背伸びなんてしないし、寧ろ一緒にバカをするのが好きだ。だからこそ、もしかしたら。

 ジャンパーにしまいっぱなしの携帯が震えた。

【ありがとうござい。直接言えなくて、ごめんない。】

 噴き出した。ご丁寧に俺のを真似て送ってきてくれた。最後の「ごめんない。」は本気かわざとかわかりづらいが。なんとなく、心が温まった気がする。これが、彼女のおかげなのか、はたまたコンビニのバイトちゃんの余韻なのか、お姉さんの口紅の所為なのかは確かではないが、やっぱり冬の寒さは嫌いじゃない。

 さて、明日はアイツを潰させるか。ついでに大型二輪の教習も、誘おう。

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