01 月明かり


 静寂な図書室に二人きり。

 あれから特に会話もなく、時は進む。

 太陽はさらに低くなり、本を読むのには暗くなった。

 俺は読んでいた本を置き、立ち上がる。

 誰も居ないカウンター。平時には図書委員が座り、本の貸借を記録する。

 俺も図書委員の一人だ。本にはバーコードがついていて、それをバーコードスキャナーで読み取るだけの簡単な仕事だった。

 少し歩き、カウンターの奥にあるスイッチを押して、電気を付けた。

 政府の前々からの要請で、この一週間は電気やガス、水等のエネルギーは不自由なく使えるらしい。



「ありがとう」

「どういたしまして」



 彼女の礼に応えながら、再び席についた。

 それから本を読むこと数十分、時計の針は七時を刻んでいた。






「藤原、俺はもう帰る」

 


 俺は彼女、藤原楓にそう告げる。彼女とはつい先程、恋人になった。



「私も一緒に帰っていい?」

「うん。恋人になったし」

「ありがとう。少し待って」



 彼女は立ち上がり、隣の席に畳んであったブレザーを羽織る。授業はもう無いのに、彼女は制服を着ていた。俺はラフな私服だ。

 彼女はさっきまで読んでいた本を、横の机に何冊も積み重なっている本の上に置き、細い腕でそれを持ち上げる。

 そのまま本棚まで運んでいった。読んだ本を棚に返そうとしているのだろう。

 律儀な人だな。そう思った。

 俺は読んだ本を机の上に積みっぱなしにしている。



「別に本を棚に返さなくていいんじゃないか。他に図書室を使う人なんていないと思う」

「……そうね。そうする」



 彼女は近くにある机に本を置く。積み重なった本が重かったのか、机が少し軋んだ。



「何冊か持って帰ったら?」

「家にも本はあるから大丈夫」



 彼女は何も持たずに歩いてくる。

 俺が袋を提げているのに気付いて、口を開いた。



「本?」

「江戸川乱歩傑作選」

「面白い?」

「まだ読んでないから分からない」



 そっか、と呟きながら、彼女は西側にある窓の方へ身体を向ける。

 彼女の顔が薄っすらと茜色に染まる。窓は開けられていて、そよ風が吹いていた。

 つられて俺も外を見る。


 綺麗な夜景。この学校は山の近くに立っていて、その最上階にある図書室からの景色は抜群に良い。

 海の先に今にも消えそうな夕日。光が海で反射し、輝いている。仄かに照らされた街はとても幻想的だ。

 あと一週間でこの街がなくなるなんてことは、想像が出来なかった。



「綺麗だね」



 横で見ていた彼女が言う。



「そうだな」



 彼女を見ながら、俺はそう言った。





――――――――






 日は沈み、辺りは真っ暗になっていた。

 階段を下りて、学校から外へ出た俺と彼女は校門を目指して歩く。

 誰もいない学校。足音だけが校舎に響く。



「夜の学校って不気味」



 彼女は俺のそばに出来るだけ近づくようにして歩いていた。



「怖い?」

「うん」



 彼女はこくんと小さく頷く。

 確かに、人がいない学校は不気味だ。




 人類滅亡の危機が発表されたのが一昨日で、俺と彼女は昨日出会った。

 当然あと一週間で皆死ぬのだから、昨日から学校の授業はない。

 昼間には何人かの人が居たが、既に帰ったのだろう。電気がついている部屋はなかった。

 政府は混乱を避けるためという理由で、全世界共通で人類滅亡の一週間という直前にこの事態を発表した。



「あの、手を繋いでいい?」

「……え?」 

「だ、だってほら、私たち恋人になったから」



 彼女は慌ててそう言った。

 少し頬が朱に染まっているように見える。



「わ、分かった」



 俺は彼女の手を取る。

 慌てているのは俺も一緒だった。

 そうだった。恋人だったよな。



「温かい」



 緊張して、繋いだ手が少し汗ばむ。

 彼女の手は乾燥していた。

 季節は秋。夜の風は少し冷たい。



「うん」



 相槌を打つ。

 繋いだ手から異常な熱が出てるように錯覚した。









 学校の敷地内の階段を下りて、校門までたどり着く。

 木の葉で埋められていた空が、夜空に変わる。

 月が出ていた。



「今日は三日月」 

「綺麗だな」

「うん。ほんと月が綺麗」

「告白?」

「そうかも」



 彼女は何故か少し考える素振りをして答えた。

 

 俺と彼女は告白という段階をスキップして、恋人になった。

 なのでその関係の中に恋愛感情はない。

 親睦を深める会話もろくにしていないし、昨日も今日もずっと本を読んでいたからだ。



「地球がなくなったら、月はどうなるのかな」



 その声が何処か切実に聞こえたので、俺は咄嗟に彼女を見る。

 彼女は白い顔で月を見ていた。

 

 月がどうなるのか、か。

 政府の発表によると地球に一週間後、直径一キロ以上の隕石が落ちてくるそうだ。それで人類は滅亡するらしい。

 地球がなくなったとしても、月はなくならないだろう。



「また違う星の衛星になるんじゃない?」

「そう、ね」


 

 彼女の相槌は曖昧だった。


 月を見る。太陽の光を跳ね返して、地球を照らしていた。

 また違う星を照らすのかもしれない。




「佐藤君はどこに住んでる?」

「ここから歩いて十五分くらいのアパート。藤原は?」

「歩いて三十分くらいの家」

「家族はどうしてる?」

「家族は……母と住んでいたんだけど、一昨日居なくなった」



 何かしら事情があるのは察していた。

 なぜなら昨日と今日、ずっと俺と一緒に図書室で本を読んでいたから。



「……ごめん」

「ううん、いいよ。佐藤くんは?」

「親はいない。普通に死んだ」



 俺の方は別に大したことはない。

 親がいないのには慣れているし、ただ死ぬまでに好きな読書をしようと思って、図書室に通っている。



「……そう」

「もうだいぶ前の事だし、気にしてない」

「うん、そっか。……一人で暮らしてるの?」

「そうだよ。藤原も今は一人?」

「うん」



 頷く彼女。

 若干の寂しさを感じ取った俺は、普段は言わないようなことを口にしていた。



「……俺の家くる?」

「えっ」

「ああいや、恋人だから泊まれとかそういう意味じゃなくて、俺も藤原も一人だし、一応恋人になったというか。だから、まあ」

「ふふ」


 理屈っぽく下手な言い訳を並べた俺を見て、彼女は笑った。


「……行く」



 その返事を聞いて、心拍数が上がった。

 今日で二回目。



「……分かった。じゃあ、行こっか」



 繋いでいた手は離さず、俺と彼女は歩き始める。

 月明かりが道を照らしていた。





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