ろくさよ短編集

六恩治小夜子

第1話「君の歌が聞こえる」


 アルバイトが終わると、外はもう真っ暗だった。

吐く息が白く、寒さに堪えながらチャリンコの鍵を刺す。

スマホで時間を確認すると午後10時を回っていた。



「今日も寒いねぇ……」



一応、ネックウォーマーと手袋をつけている。

服も暖かいものだし、ダウンジャケットも良い奴にしている。

しかし、寒いものは寒いのだ。



うちのバイト先コンビニで買った肉まんを口に押し込み、コンポタで流し込む。

半分残ったコンポタはチャリのドリンクホルダーに入れておく。

信号待ちの時に飲むのだ。これが俺の冬季限定マストな生き方である。




本当はこれにBluetoothイヤホンでスマホの音楽を流せば完璧……のはずだった。しかし、今日は充電を忘れてしまい、聞くことができない。




「テイラースウィフト聴きたかったんだけどな」




誰にともなく呟く俺。

まあ、年末年始は書き入れ時だからドライバーの皆さんも焦っている。

事故も多いだろうから、気を付けるに越したことはない。

音楽で気分よく走っていると速度が思っているより出てたり、周りに気づけないこともあるからな。そう言い訳をして残念な気持ちをペダルを漕ぐ事で押し殺す。







しばらく走ると海が見えてきた。

街灯も少なく、薄暗い海に人気はなかった。

俺は海を眺めるのが好きだ。

昔から何かあると海を眺めていた。

何も考えず、波の音を聞き、寄せては返す流れを見つめる。

ただ、それだけでよかった。




「やっぱ海はいいよな……」




荒れた気持ちが落ち着く。

数時間前、俺は客と揉めていた。

俺はコンビニ店員なのだが、客の若造に年齢確認しただけでキレられたのだ。そいつは嫌々財布から保険証を取り出し、こちらに投げつけてきた。これには少々腹が立った。嫌なら他所に行けよ、クズ野郎が。




あまりにも腹が立った俺はそいつが店から出ていった後、客が並んでいるにも関わらず、すぐ横にある幾つか積まれたカゴを蹴り飛ばした。並んでいる客が少々ビビったものの、笑顔で接客した。




……まあ、どんなに笑顔で接客してもカゴを蹴る時点でアウトなんだろうけどな。これは反省しなければならない。ああいう手合いは社会に出て自分より上の者に怒られストレス溜めて死んでいくタイプだ。因果応報で必ず天罰がくだるだろう。それは絶対だと強く言い切りたい。




しかし、まあ、海を見るとそんな気持ちも穏やかになる。俺の悩みなんてちっぽけなもんだと思えてくる。




顔は悪いし、モテた事ないし、彼女だっていない。告白してもフラれてばかりだ。



中学で好きだった女の子が偶然、うちのコンビニに来たことがあった。旦那同伴で。その旦那様は俺の小・中学時代のクラスメイトだった……。




「ああ、もう、過ぎたことは忘れよう」




うざったい現実に目を背けるために煙草を吸う。

ブラックジャックのメンソールだ。

あまりコンビニには売ってないが、うちには何故か置いてある。

葉巻なので煙を肺に入れず、ふかすだけでいい。

おまけに値段も安い。俺の唯一の味方だ。




「……ん?」




どこからか歌が聞こえた。

美しく、綺麗な、女の子の歌が聞こえた。

声の主を探すと彼女は海にいた。

海から少し離れた岩と木の間に人影が見える。

暗くてわかりにくいが、中学生か高校生だろうか。

それよりも、彼女の歌が俺の胸に響いた。

それは優しくて、明るくて、素敵で……。

見る者を捉えて離さない声とでもいうのだろうか。

楽器などの音楽はなく、アカペラだ。

ここならワンマンライブも無料だし、練習には絶好の場所だ。




「……いい曲だな」




煙草を吸いながら感想を述べる。

ここで囃し立てり、拍手を送るとKYだ。

だから俺は心の中で喝采を送りつつ、耳で彼女の歌を楽しむ。





やがて、曲が終わった。

余韻に浸りつつも俺は自転車を漕ぐことに決めた。

恋愛小説ならここで彼女の歌を褒め、口説き、付き合う……という筋書きだろう。だが、俺みたいなブ男に褒められても嬉しくないだろう。

それよりも「誰この人急に怖いんですけど」と言われておしまいだな。

一応、大人の仲間入りをしている俺はそんな無粋な真似はしない。




「明日も頑張ろう」



彼女が何者なのかは知らない。

同じ町内なのか、違う所から来た子なのか。

何故、カラオケとかじゃなくて夜の海辺という辺鄙な場所を選んだのか。

疑問符は色々浮かぶが、生憎、俺は名探偵でも警察官でも何でもない。

人の秘密に一々、好奇心をのぞかせたり、根掘り葉掘り聞くことはしない。




ただ、願わくば彼女の歌声を誰かが評価してあげて欲しい。

それだけを願い、忘れ去られたホルダーのコンポタを口にする。

もう、すっかり冷めていたそれは現実への片道切符を持っていた。




自転車を漕ぎ、後ろを振り返らない。

だが、せめて祈ろう。

あの子の今後に幸あれと。

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