第5話 別れ
あれから、5年の月日が過ぎ去った。
世界は何もなく、ずっと平和だった。
イラ達の日常も変わらない。
一緒に食事をして、遊んで、旅行に行って、勉強して。
そんな、普通の家族の日常を過ごしていた。
それはこれからも変わらないと、馬鹿みたいに信じていたのだ。
「「王都?」」
食事中、レイモンドが口にした言葉。
イラとシウが綺麗に復唱すると、レイモンドは頷いた。
「この世界は教会と王が治めているんだが、そこに呼ばれてな。一週間くらい家を空けないといけなくなった」
「ほれで、俺たちはどうふればいいんだ?」
イラはパスタを口一杯に詰め込みながら尋ねる。
「口に物がなくなってから喋りなさい。君たちは留守番だ」
「チェッ、連れてってくれないのかよ」
「お前が問題を起こさないことを私は信じられない。どうしても行きたいなら、今からマナーというマナーを叩き込むが、どうする?」
「…………遠慮シテオキマス」
よろしい、とレイモンドは笑い、パスタをフォークに巻いて口に入れた。
「お父さん、アイザックはどうするの?」
「奴もお前達と一緒に留守番だ。多分、偶に来るだろうから相手してやってくれ。適当にあしらっておけばその内帰るから」
「分かったわ」
アイザックの扱いに若干同情するイラだが、下手に構っても鬱陶しくなるのは周知の事実なので、ここは黙っておく。
「いつ出るの」
「明日の朝だ。迎えの車が来る」
「「は!?」」
あまりに急な遠出に、イラとシウは食卓に身を乗り出す。
レイモンドは仕方ないんだ、と笑った。
「あっちはお偉いさんだからな。こっちの事情なんてお構いなしさ。まぁ、準備は殆ど済んでるから問題ない」
どこの世界でも権力者が勝手なのは変わらないらしい。
レイモンドのげんなりとした表情を見て、イラとシウは笑った。
「お土産、期待してるからな!」
「ああ。美味しい物も沢山あるから、買ってくるよ」
「やった!」
喜ぶイラとシウを見て、レイモンドは目を細める。その夜は、いつもと変わらないように過ぎていった。
翌朝。
イラとシウは見送りの為に玄関まで来ていた。イラはまだ眠いのか、ゴシゴシと右眼を擦って、首をカクカクとさせている。
二度寝直行コースだな、とシウはその様子を見て思う。
「あぁ、見送りに来てくれたのか」
現れたのは、小さなバッグを持ったレイモンド。イラとシウの姿を見つけ、足早に階段を駆け下りてきた。
「何だかんだ一週間離れるなんて初めてだしね。イラも一応頑張って起きたの」
「おう〜。見送るぜ〜」
今にも寝そうなイラの様子に、レイモンドは苦笑を零すと、膝を折って目線を2人に合わせる。
そして、鞄を床に置くと両手で2人の頭をクシャクシャと撫でた。
「…………お父さん?」
「親父ぃ?」
しばらくそのまま固まっていたレイモンドを不審に思ったのか、2人が自分を呼ぶ。レイモンドはそれに微笑みで答えた。
「いい子で待ってるんだぞ」
頷く2人を確認して、レイモンドは鞄を持って立ち上がる。
そして、玄関の扉に手をかけた。
「じゃあ、いってきます」
「「いってらっしゃい」」
2人の声を聞き遂げて、レイモンドは扉を開けた。
ちらりと扉の奥を見れば、2人が手を振っているのが見えた。レイモンドもにこやかに笑って手を振り返して────扉を閉じた。
門の前に待機している車まで歩いてくレイモンドは、その前で待機しているアイザックに気付いた。
「…………あんな簡単な別れでいいのか?」
「あの子達は、意外と鋭いんだ。普段と同じように別れるしかあるまい」
アイザックは唇を噛む。
何事もないようなレイモンドの表情。
本当にそれでいいのか。
そう叫びたくなるをぐっと堪える。
何もかも、今更なのだ。
そんなことはもうずっと前から思っていて、ずっと前からどうしようもないと押し殺してきたものだったから。
「アイザック。いいんだよ」
レイモンドはアイザックの表情を見て、優しく笑った。
「あの子達といれて、私は幸せだった。それこそ、あの子達と……お前のいる世界を、この命で守れるなら安いものだと、そう笑って言えるくらいにはなったんだ」
だから、いいのだと。
そう彼は笑った。
「そうか。……レイ、よろしく頼む」
アイザックはレイモンドに向かって、頭を下げた。レイモンドはそんな彼の肩に手を置くと、任せろ、と言った。
「その代わり、あの子達のことを頼むな。この屋敷は好きにして構わない」
「あぁ、分かった」
アイザックは頭を上げずに言った。
レイモンドも、それ以上は何も言わなかった。アイザックの肩から手を離すと、門へと歩みを進める。
アイザックはずっと頭を下げ続けて。
レイモンドも振り返らなかった。
そして、レイモンドは門に手をかける。
今までずっと出入りを繰り返してきた門。
今回は、もう出たら戻ることはない。
それでも、レイモンドは迷いなく門を開けた。
誰もが望む未来のために。
自分が守りたい者のために。
その一歩を踏み出した。
*********
レイモンドが王都に旅立って2日後、イラとシウは部屋でテーブルで向かい合って座っていた。
「やっぱり、何か可笑しいよな」
「えぇ」
シウは紅茶に砂糖をドバドバと入れながら頷く。
イラはそれをちょっと引いた目で見ながら、可笑しいと思う事例を挙げる。
「商店街のおばちゃん達がよそよそしい。オマケはくれるけど、いつもの圧がない」
「郵便物の類が一気に少なくなった。お父さんの不在は一週間だけだし、交流が広い人じゃないからそんな知ってる人はいなさそうなのに」
シウもイラに続いて言った後、ドロドロになった紅茶を口に含む。
「そして、何よりも……」
イラもシウと同じように紅茶を軽く口に含み、そして、一息吐いてから口を開いた。
「「アイザックがウザくない」」
やはりこれに尽きる。
いつもしつこいくらいウザかったのが、最近はフラッと来て、イラとシウと少し話して帰るだけだ。
図々しく夕食を食べていくこともしない。
「やっぱりお父さんの不在に関係があるのかしら」
「今思えば、一週間の滞在すれば荷物が少なかったな……」
2人は見つめ合う。
そして、一斉に立ち上がり、書斎へと走る。
しかし、書斎は父の不在時は鍵と防護術式が掛かっている。
ならば。
「イラ!ぶち壊して!」
「おう!」
イラは魔方陣を出す。
そして、そこから大剣を形成すると、防護術式ごと扉を叩き斬った。勇者の特典か、膨大なマナを操れるイラだからこその力業だ。
シウはそのまま書斎に踏み込むと、レイモンドのデスクをひっくり返す勢いで漁る。
(どうか、私の勘違いであって──!!)
思い出されるのは、5年前のアイザックとの会話。ずっと見て見ぬ振りしてきたそれが、今牙を剥いて襲ってきたような感覚だった。
イラも書類を漁っていくが、手がかりはありそうにない。
いいや、手がかりが見つからない時点でおかしいのだ。
王命だというのなら、何処かに記録があるはず。それがないということは、レイモンドが意識的に処分した以外にない。
「イラ、本棚も見てみよう」
シウの言葉にイラは頷き、本棚を漁る。
シウもイラに続き、手当たり次第に本棚を漁り、本の塔を積み上げていった。
「……?」
イラが別の棚に移ると、その中に何となく気になる書物を見つけた。
古びた、題名も書いてない本。
何となく、それを手に取る。
開けば、そこに書いてあるのは、こちらで言う勇者物語のような物語だった。
だが、そこには無視できない文言があった。
「数百年に一度、浮遊島の核のマナが尽きる前に、“率いる者”が異世界へと赴き、その命を犠牲にしてマナを補充する。それを阻もうとする敵が異世界の“勇者”である……」
「イラ!!今なんて!?」
シウがイラの肩を掴む。
その剣幕に思わず本を渡せば、シウは凄い勢いでそれを読み漁った。
そして、震える手で本を閉じると、イラに向かい合う。
「シウちゃん、その本に書いてあることって、どういう意味なんだ……?」
「私の考えが正しければ、ここに書いてあることは概ね事実で…………勇者が貴方、そして、率いる者が……」
「レイモンドだよ」
突如、後ろから掛けられた声に、イラとシウは慌てて振り返る。誰かと思ってみてみれば、そこに居たのはアイザックだった。
普段なら胸を撫で下ろす場面であるが、今はそうは出来ない。アイザックの厳しい表情が、そうさせてくれなかった。
「あーあーあーあー、こんなに書斎を荒らしてくれやがって。遅めの反抗期かぁ?」
アイザックは粉々になった扉にため息を吐きながら、部屋に入ってくる。
パキキ、と扉の残骸を踏み潰す音がやけに大きく聞こえた。
「親父が“率いる者”って、どういう意味……?」
「まんまの意味だよ。本を読んだんだろ?ったく、レイもちゃんと処分しとけよなぁ。後始末は俺がするんだぞ」
レイモンドへの文句をぶつくさと言いながら答えを返すアイザックに、イラは語気を強める。
「アイザック!それは、その本に書いてある通りことが事実なら……親父はこの世界の為に命を捨てるってことだぞ!」
「だから、その通りだって言ってんだろうが」
アイザックから向けられた殺意に、思わずイラの身体が竦む。
アイザックはイラが少し冷静になったのを見て、殺気を弱めると、再び口を開いた。
「より詳しく言ってやると、率いる者はマナを補充することで命を落とすんじゃない。勇者に殺されることで命を落とすんだ」
「…………それなら、勇者である俺がこの世界にいれば、死なないってことか?」
「イラ。多分、違う。もしそうなら、イラが此処にいることを知ってるアイザックはもっと楽観的になってるし、お父さんだってこんな身辺整理なんてする必要はない。少なくとも、イラ以外の理由でお父さんの命は脅かされてる」
シウがイラの腕を掴んで言えば、アイザックは天を仰ぐ。
「シウ、本当にお前は頭が回りすぎるな。イラにしても、あの本を見つけるとか、どういう引きをしてるんだよ」
パキパキ、パキパキと靴底で木片を踏みながら、アイザックが近付いてくる。
「アイザック。親父は、何処だ?」
「さぁな。俺は知らねぇよ」
「アイザック、教えろ」
イラは、手を前に翳し、魔方陣を出す。それは、戦ってでも聞き出すという意思の表れだろう。
アイザックはそんなイラを見て、笑った。
「イラ、お前は優しいな。そんな優しいお前に一つ、人生の先輩としてのアドバイスだ。絶対に相容れない者に、脅しは無駄だ。脅す暇があるなら、先手必勝で攻撃でも仕掛けてろ」
────瞬間、書斎の壁が吹き飛んだ。
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