KURAU MONO

しろめしめじ

第1章  mono

 霜月玲人は首を傾げながらしゃがみ込むと、足元に転がるそれを凝視した。

 絶え間なく繰り返される潮騒の穏やかな旋律が、耳に心地よい。

 デニムのパンツに、白いカットソー。上着代わりに黒の長袖のシャツを羽織った姿は、三十半ばの体躯とは思えない引き締まっており、長身故にその存在は人目を惹くものがあった。

 体躯だけでなく、整った目鼻立ちとトレードマークの口髭が、すれ違う人が必ず振り返る程の個性を醸している。

 早朝の海岸を散策するのが、彼の日課だった。

 朝食を早めに取り、自宅のそばの海岸をゆっくりと散策しながら、打ち返す波の音に耳を傾ける――この時間が、彼にとってはかけがえのない至福のひと時だった。

 先週の台風の影響だろう。浜辺には無数の倒木やごみが打ち上げられ、美しい白砂が自慢の海岸も、今は見るも無残な風景と化している。

 だが、霜月はそれを憂う訳でもなく、むしろ宝物を探す少年の様に、好奇の目を輝かせながら漂着物に目線を躍らせていた。

 彼はある漂着物を探していた。

 オウム貝の殻だ。

 貝といってもタコやイカの仲間で、アンモナイトを彷彿させるその容姿は「生きた化石」とも呼ばれている。熱帯や亜熱帯の海域に生息するのだが、殻の中は幾つか仕切られ、空気が入っている為、死後その殻だけが海流に乗って日本の海岸に漂着する場合があるのだ。

 霜月は子供の頃、浜で遊んでいて偶然これを見つけたのがきっかけで、暇さえあれば海岸を散策するようになった。

 現在、彼は大学で海洋生物学の教鞭を執る傍ら、研究室では准教授として海洋生物の進化過程についての研究に取り組んでいる。彼がその道に進んだのも、ルーツを手繰れば幼少期のその実体験が大きく影響していると言えた。

 その日、彼が興味を示したのは、オウムガイの殻ではなかった。

 彼がふと足元に目線を向けた時、それはあった。

 長寸が数十センチで径が十センチ程の、円筒形の塊。

 それには黒くて短い毛がびっしりと生えており、一件、小動物の死骸の様にも見えたが、四肢も尾も見当たらなかった。

 足先で転がしてみる。が、砂面に接していた面も同様に、黒い短毛が隙間なく生えていた。

 たわしか何かか・・・否、たわしにしては毛が短過ぎる。

霜月は恐る恐るそれを拾い上げた。両手に、ずしりと重みがかかる。

 彼は思わず驚きの声を上げた。その想定外の重量感はさることながら、それ以上に彼の関心を惹く事実があったのだ。

 それは、仄かに温かった。

 日の光を受けてという訳ではない。表面だけでなく、冷たい砂面と接していた部分でも、人肌位の温かさを感じたのだ。

 また、それは肉の塊の様に柔らかく、彼の手からはみ出した部分は、自重でぐにゃりと湾曲した。

 さながら黒い毛に覆われたロース肉の様だった。

「これは、ひょっとしたら・・・」

 霜月の顔に驚愕の色が浮かぶ。

 彼は徐に踵を返すと、それを抱えたまま、足早に自宅へと向かった。

 顔全体が心臓になったかのように、心拍が激しく脈打つ。

 もしかすると、新種の生物かもしれない――初めてオウム貝の殻を見つけた時以上の興奮を、彼は全身で感じ取っていた。。

 

 

 

 

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