第75話 覗き見をする美少女は、僕をババ抜きで罠に嵌める




「おはよ、柚」

「ん、いらっしゃい。入って入って」

「おじゃまします」


 夏休み、お盆明け。


 彩香さんを家に迎え入れ、そのままリビングに入れる。

 この家に来るのは二度目だというのに、彩香さんはキョロキョロ辺りを見回しながらソファーに腰掛けた。


 彩香さんが、僕が去年買ってあげたあのTシャツが、薄く黄色に染められたジャンパーから覗くのを見て嬉しくなる。ちなみに僕も同じものを着ているのでおそろいだ。


 夏休み、勉強会――という名の、ただのお遊びである。

 一応、勉強会という建前に沿ってか、彩香さんの鞄から教科書が顔を覗かせているが、きっと開かれるだけであまり使われないだろう。


 彩香さんに東京の美味しい水道水をサーブしつつ、彼女の向かいに座る。彩香さんの家と違い、うちには麦茶なんておしゃれな飲み物は存在しないのだ。


 家には僕しかいない。

 両親は夏休みだというのに、子供をほっぽり出して会社に行っているのだ。子供<仕事の不等式は流石にないだろうと、僕は信じている。

 ――が、時々不安になるほど、仕事好きな両親だ。


「へぇ、そんなにお仕事好きなんだね。前々から思ってたけど、柚のお父さんお母さんってなにしてるの?」

「ん~……出張の多い仕事。僕もよくわかんないけど、営業みたいなかんじ? 曰く、出張=夫婦旅行って価値観らしいし、だから仕事好きなんだとは思うけど」

「なるほど……ん? 夫婦でおんなじ仕事?」

「あ、言ってなかったか。そうだよ、おんなじ仕事。毎回出張先は一緒だから営業のタッグも組んでると思うよ」

「へぇ、ラブラブだね」

「……まぁ、平均よりは」


 自分の両親がラブラブと言われても複雑な気分にしかならない。ポリポリと頬を掻きつつ素っ気なく返すと、彩香さんは膝の上で頬杖をつき、まっすぐに僕を見た。


「羨ましいね」

「え? ——いや、羨ましいも何も、彩香さん結婚してないじゃん。え? そ、それとも婚約者とかいるの?」

「うんん、婚約者はいないけど」

「? ごめんちょっとよくわかんない」


 クーラーの音が静かすぎた。僕は彩香さんにわざと雑に返して、クーラーの風を強にする。それでも部屋は静かで、悪い意味じゃないけどなんだか胸騒ぎがした。


 その胸騒ぎはきっと、僕の長年の経験によるものだったのだろう。まるで『ドキドキ』を早回しで感じているかのようだった。


 彩香さんは言った。


「私たちも、なれたらいいね」

「う――いやちょっと! 私たちってなに!?」

「そのまんまの意味だよ?」


 彩香さんは両頬を手で支えたまま、コテンと首を傾げてみせる。その顔には羞恥心も悪戯心も見えなくて、本気で言ったのかも、と思ってしまう。


 彩香さんとラブラブな夫婦……。

 例えば、一緒の布団で寝起きして。僕が目覚めたらそれと一緒に彩香さんも目が覚めて。キスしながら抱きしめて『おはよう』とか言ってみたり。

 出かけるときに玄関でハグして彩香さんから元気をもらって、帰ってきたときも玄関でハグして彩香さんに一日の疲れを癒やしてもらって。

 一緒においしい夕飯を食べて。そのあとはのんびりして時間を過ごして。最後は一緒に布団に潜って、互いに抱きしめあいながら寝る。

 寝ながら彩香さんを感じて、起きても彩香さんを感じて。


 ――か、考えただけでも幸せで、顔が赤くなりそうだ。だめだ、こんな妄想はやめよう。ドキドキするだけだ。

 消えろ消えろ! 彩香さんにココロ読まれたらどうするんだ!


 頭の中で叫びつつ、いつの間にか伏せていた顔を上げると、彩香さんと目が合う。微妙な沈黙の直後、彩香さんはにやりと笑った。


 この表情は僕をからかう寸前の悪い顔だ。そう悟った僕は思わず身構えた。けど、彩香さんが発した言葉は予想と全く違った。


「さ、勉強始めよっか」

「あ、うん……」

「ん? なにか変?」

「いや……てっきりからかわれるかと……」

「んん、柚の妄想を覗いただけで十分。これ以上は私までダメージ受けちゃうからね」


 鞄から勉強道具を出した彩香さんは、それらを机に広げながら言う。意味が分からず首を傾げると、彩香さんはなんでもないと首を横に振った。


 その直後、僕は、僕の妄想が覗かれていたことに気がついた。

 大声で叫んだ。



 *



「ふぅ、柚、そろそろ遊ばない?」


 彩香さんがそう言いだしたのは、時計の針が針が60π動いたときだった。もちろん右回りである。つまりは30回転だ。予想はしていたけれどこんなに早いとは思ってもいなかった。

 え? 30時間も勉強したのかって? いやいや、違うさ。

 え? 30日も勉強したのかって? なわけないだろう。

 前置きがクドいか。端的に言おう。たったの30分だ。


 その間、彩香さんの数学の問題集ノートの進捗は、たったの3行だけだった。


 僕のココロを読んだのか、彩香さんは叫びだす。


「るっさい、夏休みに勉強してる時点でオカシイの。夏休みは休みなの! Summer vacation is holiday! Why do not you play! Why do we study! We should play! Do you understand!?」

「――イエス、アンダスタンド」

「じゃあいいでしょ、遊ぼ」


 突然彩香さんの口から飛び出してきたネイテブもビックリの滑らかな英語に——というよりもその毎秒の文字数の多さに気圧された僕が反射でカタコトな違和感ある文法ミス英語で返すと、彩香さんはふて腐れたような顔でパタンとノートを閉じた。


 つられて僕もノートを閉じると、彩香さんは勉強道具を纏めて机の端に滑らせ、コップを傾ける。


「柚、いいこと?」

「なに?」

「勉強会なんてものはこの世の中に存在しないの。あんなのは建前、その実はお遊び。これもその例に漏れない。

 なのに私たちは勉強していた。それは建前を守るため。これ以上は必要ない。私たちは遊んでいい。よろしくってよ?」

「お、おう……」

「んじゃ、遊ぼ?」


 強引な、破綻した論理に丸め込まれた僕はうなずき、この家にある遊び道具を思い返した。

 僕の部屋にゲームはあるけれど、一日中ゲームというのも味気ない。それに彩香さんとなら、ゲーム以外のことをして遊びたい。

 せっかく彩香さんといるのに意識をゲームばかりに向けてしまうなんてもったいない。もっと彩香さんを意識できる遊びがいい。


「ふぅん、そっか。まぁそれは後で、やったげる」

「あっ――こ、ココロ読まないで!」

「ムリムリ。まぁでも柚の要望は分かった。じゃあババ抜きしよっか。もちろん罰ゲームありで」

「え、ババ抜き? まぁ、いいけど……」

「じゃ、負けた方は勝った方の言うことをなんでもひとつ、聞く」

「――分かった。いいよ」


 ようし、絶対に勝ってやる。


 僕はすまし顔で彩香さんに返しながら、ココロの中で誓った。

 彩香さんに勝って、彩香さんにエロいことをさせよう。例えば棒アイスをエロっちくなめさせるとか、例えば足をM字に曲げさせるだとか。――もちろん着衣でだが。

 いや、全裸でもいいだろうけど、それは刺激が強すぎる。僕はピュアなのだ。


 彩香さんは一瞬、僕の返答にきょとんとした顔をして、そして呆れた顔をした。

 どうしたんだろう、と僕は思いつつテレビの下の引き出しからトランプを出す。そしてトランプを切り終わり、カードの分配が終わった後。ペア札を捨てている最中、僕は思い出した。


「彩香さん、超能力使えるじゃん。どれがジョーカーかわかるじゃん! そうだよだから僕らって心理ゲームあんまりしなかったんじゃん! せめて頭脳ゲームだって! 花札だって!」

「今更? でも棄権したら私の不戦勝だから、今からナシはナシだからね? あと花札は私が知らないからダメ」

「――ズルくない? 僕、めちゃめちゃ不利じゃん」

「自業自得、さ、私7枚、柚は?」

「……8枚。彩香さんが僕のを引いてスタート」

「分かった。じゃ、よろしく~」


 カードの枚数差から容易に分かるだろう。僕がジョーカー持ちだ。彩香さんは僕のジョーカーを引くことなく枚数を減らしていく。もちろん、彩香さんはジョーカーを持っていないので、僕がどのカードを引いても僕の手札は減っていく。


 そして最後、僕が残り二枚、つまり彩香さんが残り一枚になった。それまでの間、ジョーカーの移動はない。

 僕の手札に手を伸ばしかけた彩香さんに、僕はなんとかできないかと、彩香さんの良心に訴えることにした。


「あのさ、ココロ読むのってやっぱり良くないと思う」

「えぇ? でも私の超能力って個性だと思うの。——ちなみに、この私の価値観は柚の受け売りね? 覚えてる?」


 言われて記憶をたどり、そういえば昔、彩香さんの超能力を肯定しようとしてそんなことを言ったのを思い出す。

 そのまま僕は頷くと、彩香さんは鼻を鳴らして片目をつむって僕を見た。


「そんな私の個性を否定するの?」

「あのさ、前に心理ゲームだっけ? ボードゲームだっけ? なんしかゲームしたときにさ、あなたモットーの話してませんでした? ほら、ゲームは素直に楽しみたいって」

「うん、したけど。これは柚に命令できる権利がもらえるんだから。これは遊びじゃなくて戦いなんだから。しかたないでしょ?」

「そんな理屈でいいの……?」

「いいの、モットーなんかよりも大事なのがあるから」


 彩香さんは言いつつ、僕の最後の抵抗をいとも簡単に打ち破って、僕の手札からジョーカーではない方を抜き取る。

 アガリィ~♪ とカードを机に投げ下ろして、万歳した。


 何が上がりだ、このイカサマ師め。

 そう小声でつぶやくと、地獄耳の彩香さんは席を立って素早く僕の横に移り、言った。


「上がりは上がり。じゃあ柚、なんでも言うこと、聞いてもらうね?」

「うっ――」

「そうだなぁ〜。ねぇ柚、ポッキーゲームとかどう?」

「こっ! このまえマカロンでやって大失敗したの覚えてないの!? 喉元過ぎて熱さ忘れた!?」

「そ、だからポッキー。まさかマカロンでできてポッキーでできないなんてこと、ないよね?」

「——い、家に今、ポッキーもトッポもプリッツもない」

「んん? あ、ホントっぽい」


 彩香さんは僕の目を覗き込み、ふぅんと頷いた。

 今、ココロを読まれていなかった気がする。普通に、表情で嘘判別された気がする。


 そんな僕の危機感をよそに、彩香さんは小声で何か、つぶやいていた。地獄耳じゃない僕にはそれが聞こえない。気づけもしない。


「あとで押し倒すぐらい、できるかな? マカロンのときみたくキスもしたいな……」


 まさか、僕は知らない。あのポッキーゲーム、もといマカロンゲームの事故は、事故ではなく事件、偶然ではなく故意によるものだったとは。



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