第56話 柚を食べたい美少女は、僕と一緒に飛び跳ねたい




「あのさ、彩香さん」

「なに?」


 昼休み。お弁当の後、机を付き合わせたままのんびりと五限までの時間を過ごしていた。

 スマホを弄っていて、少し話したいことができて呼ぶと、彩香さんはすぐに本から顔を上げた。

 それを確認してから、口を開く。


「鶏からクンの柚塩味、出たって」

「うそっ!?」

「いや、ホントだけど。なんで僕が——」

「ゆず塩……じゅる……」


 PCのイラストソフトの機能を調べていると、広告に『鶏からクン! 期間限定でゆず塩味販売!』と出てきて、なんとなく話題にしてみたらこの反応。


 うそっ!? と聞かれたらの常套句『なんで僕が嘘をつく?』を言いかけてやめた。

 彩香さんは既に別世界へと飛んでしまっていたから言っても無駄だと思ったし、無条件に彩香さんを見つめられるタイミングを逃したくもない。


 頭の中は妄想でいっぱいなのか、表情が幸せに溶けている。ついでによだれが少し垂れていた。彩香さんはそれを啜りつつ、うわ言を放つ。


「ダブル柚……柚と鶏からクンを一緒に……」

「なんか彩香さんの目が僕を食べようとしてるように見えるんですがぁ?」

「柚っておいしそうだし」

「ちょっと!?」


 答えになってない返答にツッコミを入れつつ、まぁ冗談だろうと僕は笑っていた。


 彩香さんは完全に本を閉じ、口元に袖を押し当てている。

 格的によだれが垂れてしまったんだろう。ココロでそう言うと、彩香さんは頬を赤くして僕から目を逸らした。

 図星か。かわいいな。


 ココロがほっこりしてニコニコしていると彩香さんは何度か喉を動かした後、頬杖をついて満足げな笑みを浮かべ、小さく口を開いた。

 まるで冗談には聞こえないような口調で。


「ゆずってほんと、おいしそう」


 純真無垢なその顔と、口から出る意味深な文言とのギャップに息がつまる。

 被捕食者となった恐怖と、意味深な言葉に揺さぶられる僕の性癖が——言ってしまえば精神的M男マインドマゾヒストがぐちゃぐちゃに重なって思考がまとまらない。


 一言にまとめると、恐怖と歓喜がケンカしていた。


 そんな自分自身を冗談めかすために震える声を出した。


「な、なんかさ、本気で僕のこと食べようとしてる?」

「さぁ? 逆に柚はどうなのかな? 私に食べられたい?」

「その質問ズルすぎるよ! あとっ……やっぱ僕のことを食べるって意味じゃん……」


 自分で言ってて恥ずかしくなる。

 食べられたくない! と答えられない自分にも、にこやかに聞いてくる彩香さんに照れている自分にも。


 彩香さんはそんな僕をおいて、一人で話を進めた。


「じゃあ食べちゃってもいい? 柚のこと。すっごい……おいしそう」


 彩香さんの甘い声は、考えないようにしていたその言葉の意味を思い出させてしまう。

 つまり、性的に食べるということ。


 頭のなかで彩香さんとイロイロするシーンが膨らんで収まらない。

 妄想の中で彩香さんと甘い時間を過ごしている自分が羨ましい。嫉妬する。

 ぐちゃぐちゃに乱れた彩香さんが可愛すぎる。いとおしすぎる。


 股間が首を縦に、理性が首を横に振ろうとする。固まった首が動き始める前に、いつのまにか無表情の仮面を被っていた彩香さんが口を開いた。


「変態。私はのことを言ってただけなのに。バカ?」

「思わせぶり——というかっ、そんな言い訳は通用しない! 悪いのは彩香さんだよ!? そして僕は思春期性欲盛りの男子高生!」

「大声で言うことじゃないと思う。あと、ただ柚子がおいしそうだなぁって、それだけ。だれも柚木のこととは言ってない」


 え? 柚木って誰? あぁ僕のことか。と、なかなか狂った思考にカンマ1秒。

 そのあと、彩香さんの言葉を理解してため息をひとつ。


「だからそれが思わせぶりなんだって……」


 くそっ、わかってるくせに……。

 ドキドキする心臓を落ち着かせる意味も込めてため息を一つ、僕はスマホに目を戻して鶏からクンの値段を確認しておく。彩香さんに奢ってあげよう、そう考えていた。


 僕がスマホに顔を戻したことで生まれた沈黙の中、彩香さんがぽつりとつぶやく。


「まぁ、私は食べられる側がいいけど……」

「え?」

「なんでもない」


 なんでもないと言いつつ彩香さんの顔は真っ赤だ。

 それで、僕の聞き間違いじゃなかったとわかる。

 彩香さんは食べられる側がいい。その言葉の意味をわからないほど、僕は鈍感ではなかった。


 彩香さんにつられて僕の顔まで赤くなった。



 *



「で、柚はなにをしたかったの?」

「実にいい質問だ。僕は何をしたかったのだろう?」

「なぜ疑問形?」

「僕だってどうしてこうなったのか理解できてないし。よっ――うわたたたっ!」


 体を動かして立ち上がった瞬間、体に巻き付く縄に変な力がかかり、その場で再び転倒する。


 体育、縄跳びの時間。

 僕は反復横跳びとか短距離走とかは得意だけど、道具を持った途端に駄目になる。今回はそのいい例だった。

 縄跳びで駆け足跳びをしようとした結果、なぜか膝裏から脇を通って首、手首、足首、いろんな場所に絡まって動けなくなっていたのだ。


 そんな僕をドン引いた目で見下ろしているのは彩香さんだ。

 信じられない、と顔で語りつつ口を開く。


「道具を持ったらダメって……サル?」

「ひどい! サルだって木の実を砕くために石を使うんだよ!?」

「じゃあパソコン持った類人猿?」

「……彩香さん、そんなこと言うならやってみてよ」


 返す言葉もない。でもそれを認めるのは悔しい。

 そんな気持ちで答えると、彩香さんはため息を一つ、その場で足踏みを始めた。その足踏みはとても速く、風切り音まで聞こえ――


「縄跳びしてる!?」


 よく見れば彩香さんは高速で駆け足跳びをしていた。

 僕の驚愕の声に彩香さんは飛ぶのをやめて、首を傾げる。


「残像の確認すら危うい? 柚、眼科行く?」

「いや、彩香さんが速すぎるだけで……」

「そ……? へぇ、私速いんだ……。へぇ」


 特技を褒められた子供みたいに彩香さんは口角をあげ、嬉しそうに頬をさせる。

 同じく嫌になったのか、彩香さんは膝に手をつき、僕を覗き込むようにして言った。


「……ギャグ30点。——で、柚、手伝ってあげよっか?」

「え?」

「練習。縄跳びの」


 見事にダジャレの点数については無視して聞き返すと、彩香さんは立ち上がってそっぽを向き、握りこぶしの親指に口を当てて、咳払いするみたいな格好で小さく言った。

 ちょっと恥ずかしいのか、頬が赤くなっている。


「いや、いいよ。縄跳びぐらい適当にやってれば——」


 そう言いかけて、彩香さんの顔が悲しそうに歪んだのを見て口を閉じる。よろしくと言い直すと、彩香さんが嬉しそうにはにかんだ。


「そ、じゃあ手伝ってあげる」

「うん、ありがと」


 僕を覗き込んだ彩香さんに笑みを返す。

 ありがとう、僕に縄跳びを教えようとしてくれて。とってもありがとう。彩香さん、君の優しさには感服するよ。


 ココロの中でそうつらつら述べた後、逆接をつける。


 しかしそれ以前に——


「まずさ、これほどいてくれない?」


 身体中に絡まった縄はすでに自力では解けなくなっていた。

 彩香さんはそんな僕を見下ろしてため息を一つ。

 面倒くさそうに僕を足蹴にしてうつ伏せにし、僕が抗議の声をあげるより先に僕の背中に腰を降ろした。

 一瞬息がつまったが、縄は解かれているようので不問に帰すことにした。


 背中で得る彩香さんのお尻の感触にドキドキしたから不問に帰したわけではないと、自白に近い訂正をここに載せておこう。



 *



「ん、せーのっ」

「……」

「柚? 大丈夫?」


 彩香さんがこちらを振り返る。顔が至近距離に迫って、いい匂いが鼻先をくすぐった。思わず体を仰け反らせて大丈夫と答えると、彩香さんは訝しげな目を向けつつもふぅんと頷いた。


 ただいま、訳のわからぬ構図となっている。

 僕の前に彩香さんが立ち、一緒の縄で同時に縄跳びすることになっていた。これが縄跳びの練習になるとは到底思えない。

 身ながらも、げに心得ね。自分自身のことなのに、実に理解できないとはこのことである。


「ほら、前跳び。せーのっ」

「っ――」


 なぜか一緒に前跳びを始めていた。


 彩香さんが跳ぶ度にふぁさぁっ、と彩香さんの髪の毛が揺れて僕の顔を撫でる。その度にいい匂いが僕の肺を満たして頭を狂わせていく。

 食虫植物に誘われた虫のように、だんだんと思考が乱れていく。そして——いつの間にか、脳内に霧がかかったように何も考えられなくなった。


「……ゆ、ゆず?」

「んん〜……っ」


 あぁ、なんて最高な空間なんだ。

 ただ一つ、ようやく理解したことといえば、僕が跳ぶのをやめて彩香さんの髪の毛の中に顔を突っ込んでいることだった。


 彩香さんの髪の毛の中はサラサラでひんやりしていて、奥はじんわりと暖かくて、包み込むような優しさがあって。彩香さんの優しい香りが濃い。


 手を、彼女の肩を抱きしめるように動かす。ちょうど首元で腕がクロスした。その分、彼女との距離が詰まる。


「ゆっ、ゆず!? 人前っ、ひとまっ——ぁ……ぁぅ……」


 うるさいなぁと思って、肩をぎゅっと強めに抱きしめると、その声も小さくなった。スリスリと彼女の肩を擦って、その肩に顎を預ける。

 目の前に可愛らしい真っ赤な耳が見えた。ふっと息を吹きかけた。


 彼女の肩がびくんっと跳ねて、それからぐったりと弛緩して、僕に全てを預けてきた。ずり落ちそうになる彼女の体を支えて、肺いっぱいに彼女の髪の毛の匂いを満たす。

 ぴくぴくと、どこか痙攣していた彩香さんが突然、我に返ったかのように止まった。


 その数秒後。


「やりすぎっ! このバカアホどヘンタイ!」


 そんな声とともに、眼前に何かが迫ってきていて、僕の意識を刈り取った。








PS:ワンパターン



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