第55話 オリガミを折る美少女は、僕にもたれて離れない




「彩香さん? 何やってるの?」

「ひゃっ――ゆ、柚っ、いきなりに耳元に話しかけないで! ドキってするから!」


 朝、後ろから彩香さんの肩越しに手元をのぞき込むと、恨めしげに睨まれた。

 去年は立場が真逆だったことをここに記しておこう。


 首をすくめて謝りつつ、対し脳内では彩香さんの悲鳴をリピートさせていた。かわいい。


「で、何やってるの?」

「た、ただのオリガミ……」

「……ってことはツル?」

「…………そ」


 長い沈黙の後、彩香さんは肯定した。

 どうやらツルのようだ。

 どちらが頭か、どころかどれが羽かも分からないソレはツルのようだ。彩香さんの手元にあるとても不格好なナニかはツルのようだ。


 自分の目が信じられず、思わず確認を入れてしまう。


「……まさかだけどツルって鶴のこと?」

「……それ以外になにが?」

「いや……例えば蔓とか――」

「殺ッ!」

「ぐぁっ……そこまで睨まなくても!」


 心臓の痛みに床に蹲ると、彩香さんはそんな僕の体を文字通り足蹴にする。かなり怒らせてしまったようだ。

 コロン、と転がること一回転半。選択授業は柔道を選択しているはずなのに、全く受け身をとれなかった。


「それは柚が真面目に授業受けてないだけ」

「返す言葉が見当たりません……」


 答えつつ、スカートから覗く綺麗な生足に見とれること数秒。我に返って目をそらした。

 彩香さんの顔に変化がないのを見ると、ココロは読まれていなかったようだ。ほっと一安心。


 『ごめんのポーズ』をしながら立ち上がって、服についた埃を払う。


「ごめん、ちょっと煽り過ぎた」

「ちょっと!?」

「……かなり、です。ごめん」

「チッ……」


 彩香さんは舌打ちをして、人差し指を軽く唇に挟んだ。これは彩香さんが悔しがってる時のクセだ。ちなみに親指の時は熟考中のクセである。


 そのあと、妙案を思いついたのか顔をあげる。その顔はすこし意地悪そうでもあった。


「じゃあ柚が作ったら?」

「蔓を?」

「鶴をッ!」

「ぐぇっ……わ、わかったよ、作るよ……」


 痛みを訴える心臓をなだめ、彩香さんの前に椅子を持ってきて向かい合って座り、手渡されたオリガミを眺めつつ思う。


 彩香さんって不器用なんだな。そういえば文字も汚いし。

 んで、鶴だっけ? ――丁寧に折ると彩香さんむくれそうだけど……どうするべきなのかな?


 半ば超失礼なことを考えつつ彩香さんを盗み見ると、彼女はぷいっと顔をそらしてしまった。


「私に聞かれても困るっ、自分で考えろっ」


 珍しい命令形の語尾に首をすくめて、真剣にオリガミの角と角とを合わせた。

 そして――……


「ぷっ……なにそれっ……くくくくくっ……」

「つ、ツルだよ!」

「蔓、ね? くくくくくっ……」


 彩香さんはおなかを抱えて体を折る。

 悔しかったけど、彩香さんの煽りを否定できなかった。

 だって、そのツルは頭から尻尾がグチャグチャにねじれていて、羽が細くて、それこそ蔓と言った方が近かったのだから。


 机の上にはぐちゃぐちゃなツルが2羽、かろうじて羽と呼べる部位を重ね合わせて堂々と座っている。

 なかなかお似合いのカップルだ。


「まぁ、確かに僕も不器用だったし、笑っちゃったのはごめん」

「別にぃ、これで綺麗に折れてたら逆に怒ってたしぃ?

 ちなみに手ェ抜いたら亜希奈呼んでボコボコにしてもらってた」


 笑うのをやめて少し間延びした声で言った彩香さん。

 その亜希奈の三文字が、僕の背筋に冷や汗の足跡をつけていった。

 そう言えばもう半年ぐらい亜希奈とラインしてないな。どこ高なんだろ? 今更だけど合格祝いも考えとかなきゃ。

 脱線した思考は彩香さんが切った。


「ふふっ、ツル、ね」


 言いつつ、グチャグチャな——僕の鶴を大切そうに両手で包んで鞄にしまった。

 取り残された彩香さんの鶴が、所在なさげにこちらを見る。


「……わかったよ。持って帰って保管しとく」

「んっ」


 彩香さんの言いたいことを理解して、仕方がなく、を装ってそう言うと、彩香さんはうれしそうに頷いた。


 思い出は2分割、相手のものを保管する。

 それってなんか『繋がってる感』あってよくない?


 そういうことだ。——どういうことだ?


「そういうこと」


 彩香さんがにっこり笑った。



 *



「反復横跳びなら勝てる!」

「それ以外に取り柄がないだけでは?」

「ぐっ……それを言っちゃ駄目」


 体育の授業。先生の話が終わるのを待ちながら、隣の彩香さんとお喋りに興じていた。

 せっかくの体力測定なんだから総合得点で勝負しよう、と勝負を持ちかけたのは彩香さんだ。

 『せっかく』とは? と聞くのは無粋なのでシャラップ。

 思い出作りの理由なんて考えるだけ時間の無駄だ。


「じゃあお前ら適当に二人組のペア組め~」


 ——体育教師は相変わらずぼっちの敵で、でも僕はすでにぼっちっじゃなかった。

 彩香さんと顔を見合わせて、こくりと頷く。

 その後、彩香さんが破顔した。ドキッてした。


 各自準備運動とのことで、一通りラジオ体操を終えて立ち上がる――と、彩香さんが口を開いた。


「柚、柔軟は?」

「え?」

「前屈あるんだし。ケガしないためにも必要」

「あぁ、そっか」


 別にしても意味ないんだろうけどなぁ、と諦め半分、惰性半分で呟きながら開脚する。

 柔軟とか、かれこれ数年以上やっていない。

 昔は少しだけやっていたけども。


 ちなみに足の角度は90度だ。これ以上は開かない。

 ココロを読んだのか、傍らにしゃがみ込んだ彩香さんが首を傾げた。

 なんだ、なにをするんだ? そう、少し自分の未来を危惧したその瞬間には、もう彼女の体は動いていた。


「ホント?」

「んぎゃぁっ! やめてぇっ!?」

「あ、ホントだ」


 彩香さんが突然に僕の足をつかんで無理矢理開かせようとしたのだ。腰からボゴォ、と耳を疑いたくなる音がして激痛が走った。

 悲鳴を上げると、すぐに放してくれる。だけど僕の足の痛みはすぐに引かない。


「いったぁっ!」

「ごめん、そこまで……?」

「そこまでだよ! めちゃめちゃ痛い! 彩香さんもやればこの痛みがわかるよ!」


 叫びつつ、未だ悲鳴をあげる足を撫でると、彩香さんは首をすくめておざなりに謝罪し、僕の前で開脚した。その角度は180度にほぼ近い。

 僕の目がまん丸になってるのを見てか、彩香さんは誇らしげな顔でぺたん、と体を倒した。180度開脚した状態でべったりと床に腹ばいになったのだ。


 そして、主人の命令通りにできた時の犬の——つまり、達成感と満足感と優越感と——端的に言えば、褒めて欲しそうな目でこちらを見上げてくる。


 ——驚きもある。すごいとも思う。あと劣等感と敗北感と。だけどそれ以前に……


「えぇ!? すごっ!」


 口ではそう叫んでみるものの、腹ばいのままこちらを見上げてくる彩香さんの姿にどうしても愛おしさを感じてしまう。

 愛らしい、愛おしい。そう思ってしまう。やっぱり僕は——


 続けかけた言葉を切り、その感情を隠すためにもオーバーに驚いてみせると、彩香さんはにひひと上機嫌に口角を上げた。


「ふふん、毎日やってたら柚もできる」

「毎日やってるわけ!?」

「そ。お風呂のあとにやるときもちぃから」


 今の『きもちぃ』の発音可愛かったな、との感想をココロに零しつつ、僕がやったら痛いだけだろうな、と思った。

 顔を上げると、彩香さんは顔を赤らめて口を手で押さえていた。僕と目があうと、即座にソレを無表情に変える。


「ばか」

「……うん、ココロ読まれちゃったか。いやまぁ、発音がかわいいなって思うぐらい、別にいいじゃん? それとも、僕が言うとそれすらキモいかな?」

「っ——はぁぁぁ……。ムカついた。ちょっと仕返しさせて」

「え?」

「恥ずかしくなった私にも、相変わらずなよなよしい柚にもムカついた。だから仕返しする」


 彩香さんは大きなため息を吐いて立ち上がる。

 なに、叩かれるのかな? 叩いちゃうの?

 口で言うと煽りにしかならないのでココロの中で聞く。


「別に暴力振るわないから」

「じゃ、じゃあなに?」

「ん~……」


 首をねじって、僕の後ろに立った彩香さんを見る。

 彩香さんは唇の端に人差し指を当て、ペロリと唇を湿らせて言った。かなり妖美だった。


「恥ずかしいこと、かな?」

「っ――……あ、彩香さん?」

「ん~……ど? 恥ずかしい?」


 身構えた直後、彩香さんが僕の背中にしな垂れかかってきた。

 床に座ったままで、僕が彩香さんをおんぶするような構図。


 耳を包む彼女の声が、耳の中を湿らせる熱っぽい息が、僕の頭をクラクラさせる。

 何度もされているのに、未だに慣れない。

 ——密かに、慣れたくないと思っている自分がいる。


 首に絡まる彼女の腕が、胸元で恥ずかしげに繋がる彼女の手が、僕に熱を分ける。

 ドキドキと僕の心臓が早鐘を打つ。その度に自分のホンネを、本心を自覚させられて恥ずかしくなる。


 めちゃめちゃ恥ずかしかった。顔から火が吹き出そうだ。だけどそれ以上に――


「彩香さんの心臓、めっちゃドキドキしてるね」


 ――それ以上に、この感覚が好きだ、とは言えなかった。

 ココロの奥底にそんな本音を隠して、密着した背中から感じる彩香さんの鼓動を指摘する。

 視界の端で、彩香さんの顔が真っ赤に染まったのが見えた。


「バカっ」

「いででででっ! ちょっ、痛い痛い!」

「ふんっ、柚のバカ」


 彩香さんに背中を強く押されて、僕の腰の関節がボギィッ、と出してはいけない音を出してしまった。

 さっきまでのいいムードが一瞬で崩れてしまう。

 僕が叫ぶも、彩香さんは離れてくれない。


 それから彩香さんは準備運動が終わるまでずっと、放してくれなかった。ずっと、抱きしめられたままだった。

 やっぱり、ムードは崩れたままだったけれど。


 ちなみに勝負は僕の負け。罰ゲームが『負けたほうが勝ったほうと恋人繋ぎで下校する』だったことは余談にすぎない。







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