特別編5話 狂い出した美少女は、僕にマヨネーズを作らせない

※高一終業式前日。




「柚」

「なに?」


 このやりとり、何百回目だろうか。

 もうクセ付いてしまって体が勝手に後ろに向く。

 彩香さんはペンを持った僕の手を見て、申し訳なさそうな顔をした。勉強中に話し掛けてごめん、って事なら別に構わないよ? とココロの中で伝えて、目で続きを促す。


「しょうもないことなんだけど……いい?」

「ダメって言うとでも?」

「柚って左右対称だね」

「……?」

「名前、部首も分解すると『木由木』になるから」

「あぁね、ソレ二人目。二番煎じだから」


 もう中学の頃に隣のギャルっぽい女子に弄られ続けて慣れてしまったネタだ。敢えてつまらなさを隠さずに、彩香さんにペンのおしりを向けて突き出す。

 釘をさす、的な動作のつもりでやった。


 だけどその瞬間、彩香さんの目の色が変わり、僕の心臓が一瞬で縮み上がる。絶叫を零すことを許さない、曇りのない、ただ憤怒のみがこもった目。

 彩香さんが解放してくれた頃にはもう息も絶え絶えだった。

 最近、死を身近に感じるようになったとここに述べておこう。


「柚が悪いから。柚が、柚が私を一番にしなかったのが悪いから」

「あ、彩香さん?」

「柚がっ、柚が柚が柚が柚がァァァッ!」

「あっ、彩香さん!?」


 突然に目の前の人が狂いだしたらどうするか。

 1,肩を揺さぶって名前を呼ぶ

 2,警察を呼ぶ

 3,平手打ちする

 4,少女漫画みたいにベタにキスする


 4を選びかけた僕のせいで、そして後から叫んだ理性と羞恥心のせいで、何もできずにその場に固まる。


 彩香さんに腕を伸ばし、頬に手を添えて顔の向きを固定し、彼女の顔に顔を近づけ、唇と唇を触れ合わせる。

 文字にすればそれだけ、だけどそこにはとてつもなく大きな意味がこめられている。だから、ギャグ漫画やベタな少女漫画みたいにキスなんてできない。


 彩香さんが声を出すのを止める。

 見れば、いつの間にか彩香さんの顔の前に髪がだらんと垂れ下がっていて、その隙間から覗く瞳が狂気的に光った。


「柚……」


 いくら怒ったときでも聞くことのない、低い声。

 息が絡まり、声にならない声がでる。恐怖から、思わず体が後退し、椅子から滑り落ちて床に尻餅をつく。

 次の瞬間――


「ぷっ……くくくくっ……ははははっ、あはははははははっ!」


 彩香さんが立ち上がって体をくの字に折ると、大声で笑い出した。

 状況が理解できず目を白黒させていると、彩香さんが髪の毛をかき分けて後ろに戻し、ヘアピンで前髪を整え直す。

 その間もずっと笑い通しだ。


「柚っ、別にそんな急に狂うわけないしっ……バカ? いや、バカ。柚ってすっごいバカっ……あ~おなか痛い……くくくくっ……」

「……あぁ、なるほど。彩香さん」

「なぁに?」

「アンタほんっと最低だね。マジで怖かったんだけど」


 未だ残る恐怖で震える膝を叩き立ち上がり、おしりについた埃を叩きながら言う。なるべく憎々しげに。

 でも彩香さんはニッコリ笑って僕との間合いを半歩詰め、下からずいっと見上げてくる。


 気圧されて半歩下がると、彩香さんがまた半歩。後じさりを続けた結果、背中に壁が当たった。最後に、彩香さんが嬉しそうに半歩詰めた後、僕に指を突き出してきた。思わず目を閉じる。

 長い間の後、頬を突き押される感触がして目を開いた。


「ふふっ、柚ってバカみたい。でもそういう所も楽しくて好き」

「っ――そ、それ人の頬に指突っ込んで言うこと?」

「別にいつでもいいじゃん、告白なんて。ね?」

「そ、そういうのずるいと思う! 告白のつもりの『好き』じゃないんでしょ!?」

「でも本心だから、好きだよ、柚」


 語尾に♡マークなんて付かない、全然甘くない声。

 ♪マークだって付かない、全然弾んでない声。

 ただ上擦ってかすれた、少し高めの声。

 ただ照れたようで、恥ずかしがっているようで——


 それが、本物の告白みたいで――

 喉から出かかった声が、何を言おうとしたのかは分からない。

 ただ、ココロが発言権を勝手に奪って喋ろうとする。


「僕も――」

「ま、人としてだけど」

「っ――嵌めやがったな彩香さん!」


 彩香さんはひらりと僕から離れ、くるくると手首を回して無言で肩をすくめた。

 その背中を睨んでいるとふと気がつく。


 その耳が、真っ赤に染まっていた。



 *



「ヤバい、彩香さん今すぐ逃げよう」

「……頭大丈夫?」

「ヤバいっ、ゴブリンに殺されるっ!」

「初期モンスターに殺されるって貧弱すぎない?」

「うわぁっ……!」


 ゲームオーバー、と視界に文字が出されて、僕は手探りで頭を触り、ゴーグルを外す。

 何を隠そう。僕らの帰路の、電車の乗り換えポイントの渋谷にある家庭電気屋三階。

 VRゴーグルのゲームのお試しで遊んでいただけだ。ちなみに彩香さんは僕の視界を超能力で共有して見ていた。


「雑魚……」

「別にイイじゃん。異世界行ってわざわざ勇者になる必要なくない? 魔王倒す必要なくない?

 僕、彩香さんと一緒なら別に街中でのんきにマヨネーズ屋でも開くんだけど」

「っ――い、言いたいこと二つ」


 彩香さんが若干固まって頬を染めながら言う。

 二本の指を立ててこちらに突き出した。そこから中指を折り、話を続ける。


「マヨネーズは生卵使うけど、異世界の卵には雑菌がいる可能性が高いから非常に危険。だって欧州の生卵ですら雑菌がいるんだし。それに酢と油の質も重要で、酢なんてこの現代のスーパーの物を使っても臭くなる。油も同じく。

 さて、柚? 異世界マヨネーズで作れる?」

「……彩香さんほとんどの異世界ラノベをぶち壊したね」

「ならもう一つ言うと、トイレの問題。紙が貴重な異世界ならトイレットペーパーなんてあるはずがなくて、乃ち葉っぱとか荒縄で拭くわけなんだけど……。あんなの絶対痔になる。

 ――あ、ボラギ○ール作ったら売れるかな?」

「……そろそろストップ。いろいろ他からクレーム来るから」


 別次元からのクレームを危惧して彩香さんを止めると、不満げな顔をするも黙ってくれる。

 それにほっとしたも束の間、彼女は立てる指に中指を追加して、少し赤らんだ顔で言った。


「私といれればそれでいいとか……プロポーズしてるならあと数年早いから。バカ」

「っ――ちがっ、それはちがって!」

「ちゃんと責任持てるようになってからにして。絶対に後悔したくないから」


 少々意味が分からないことを言った彩香さんは、赤い顔を隠すためか僕からゴーグルを奪い装着した。

 目の下の赤味が完全に消えるまで、彩香さんは無言でゴーグルをつけていた。

 おかげでゴーグルの痕がついて、パンダみたいでかわいい彩香さんが見れたので、棚から牡丹餅といったところか。








*ラブコメとは日常である。事件があるのは『恋愛』である*

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