第32話 日焼け止めを塗る美少女は、僕に人工呼吸されたい




「ふぅ……」


 レンタルのパラソルを設置し終えて、額から吹き出た汗を拭う。

 グラマラスな体型のおねーさん達が視界に入ってくるけど、興味があまり沸かなかった。

 霜降り牛タンを注文しておいて激安のタン下を食べるバカはいない。つまりはそういうことだ。


「うひょ~!」


 パラソルの影の中で寝っ転がる。影で冷やされた砂が背中を冷やして気持ちよかった。

 太陽の光を遮るブルーのパラソルを見て、妄想を広げる。彩香さんの水着ってどんな感じなんだろ……?


「柚、お待たせ」


 その声に足を持ち上げ、振り下ろす反動で体を起こす。砂埃が少し立った。

 彩香さんが僕の隣に座る。ガウンを羽織っていて水着はよく見えないけれど、いつもと違う彩香さんの姿に心臓が跳ね出した。

 ガウンのせいで彩香さんが大人びて見える。おねーさんって感じがした。


 彩香さんが海を眺めながら口を開いた。


「柚、どうする?」

「ど、どうするって何を?」

「泳ぐ、とかビーチバレーとか……」

「あぁね……なんでもいいよ?」

「そっか……。……その……どう?」


 彩香さんがそう言ってテレながらガウンを少しはだけさせる。

 あまり興味がないフリをして、彩香さんの水着に目をやる。でもって、ココロの中で叫ぶ。

 彩香さんめっちゃかわぃぃぃい!


 が別々のタイプの水着、その上からベージュのガウンを羽織っている彩香さん。コーデの本気度合いが半端ない。あと結構えろっちぃ。 


「えと~……い、いいと思う。その服装? というか……み、水着? に、似合ってる……」

「あ、ありがと……」


 今の彩香さんに擬音語をつけるとしたら一つ。


 カァァァァ……


「え、えとっ……日焼け止め、塗る?」


 彩香さんが頬を朱に染めて顔を背けながら、バッグから取り出した日焼け止めクリームのボトルを僕に突き出した。

 考える前に脊髄が首を縦に振らせる。


 塗るか、塗られるか。どっちでもいい、と脳みそも後から同じ結論を出した。

 彩香さんが自分の手にクリームをしぼり出す。

 塗ってくれるのかな? と期待する……が。


「柚はこれぐらいで足りる?」


 彩香さんが次に僕の手にクリームをしぼり出した。

 彩香さんが自分の足に塗る寸前まで、塗りあいっこを期待した僕は健全な男子高校生だ。


 がっかりとした気持ちを隠さずにため息を一つ、手の中のクリームを足や腕に塗り広げる。

 日焼け止めクリームイベントの主題は日焼け止めクリームを塗ることであって主人公とヒロインの接触ではない。そう、自分を慰めることにした。

 いや、もしそうなら日焼け止めクリームイベントとは何のために存在するんだ? なんかのフラグか?


 まぁどちらにしろ、彩香さんに塗りたかったなぁ……。


 ココロを読んだのか、彩香さんが冷たい声を出した。


「変態」

「思わせぶりな発言をした彩香さんが悪い」

「じゃあ……柚、やってみる?」


 彩香さんはガウンを脱いで、僕に背中を向けた。

 肩越しに挑発的な悪戯っぽい目で僕を見つめ、口角を上げる。挑発に乗るのは悔しいけれど、黙って引き下がるのも悔しい。

 つまり、彩香さんに挑発された時点で僕の負けは確定しているのだ。


 数秒の思考の後、クリームを手に絞り出して彩香さんの背中に向き直って、その背中に人差し指を添える。

 ……すぐ下には彩香さんの水着があって、それを下ろせば……いろいろと露わになる。その当たり前の事実にドキドキする。


 そのドキドキを振り払うようにゆっくり……。


「ひゃぁっ!」


 背筋を下から上へ、くすぐるように撫で上げた。彩香さんが悲鳴を上げて体を僕から逃がす。

 彩香さんの背中にクリームを塗るなんてえっちぃ行為をしたら理性が効きそうにないので、からかうことにきめたのだ。

 彩香さんの柔らかい背中に名残惜しさを感じつつも諦める。今のかわいい声録音しとけば良かったと後悔した。


 彩香さんは僕を振り返って、ぷるぷる震えながら言う。


「い、今の……聞いた?」

「ひゃぁっ! って悲鳴なら聞いたよ?」


 小馬鹿にするようにオーバーに彩香さんの悲鳴を真似すると、彩香さんは赤い顔で僕を睨んで不満げに言った。


「柚だけずるい」

「はい?」

「私もするっ!」


 何故かそこから取っ組み合いが始まって、肌に馴染みきらなかった日焼け止めクリームのせいで全身砂まみれになったのは余談だ。


 取っ組み合いの最中、ラッキースケベが多発したことも、めちゃくちゃ密着してドキドキしたことも……余談だ。



 *



「柚、もし私が溺れて人工呼吸が必要になったらさ、柚がやって」

「は?」

「人工呼吸の時ってゲロとか吐くかもだけど、できれば柚にやってほしい」


 海に飛び込む寸前。

 彩香さんがそう言った。体が固まって、でも慣性の法則で僕はその場にコケる。砂が舞い上がって、少し咳き込んだ。


「い、いきなり何を言ってるの?」

「もしもの話。人工呼吸って胸触るし、キスもするから……」

「だ、だから?」

「柚にやって欲しい。保健の授業で習ったでしょ?」


 それはつまり、僕とならキスをしてもいいということで……。


「習っただけだけど……なんで? 真面目な話、僕ならプロに絶対任せるし、そっちの方が助かる可能性は高いけど?」


 長くなりそうだったので、波打ち際に座りこんで話を聞く。

 彩香さんは僕から少し離れて座った。


「その……キスってなるとハジメテだし……。柚以外に触れられたくない……。それに、柚いい」

「っ——し、死亡回避のための人工呼吸だからプロにまかせるべきだよっ! あと僕なら触ってイイの? お望みならいつでも触るけど!?」

「変態ッ! ……でも、これは真面目な話でっ……」


 彩香さんはそこで言いよどんだ後、口元を隠して言った。


「……なら……なって」

「え? ごめん聞こえなかった」

「……柚なら触られてもいいなって思っただけ! バカッ!」


 彩香さんはそう叫んで、海の中に飛び込んでいった。

 足に当たる波に気を取られながら考えること数秒。一気に、自分の顔が赤くなったのが分かった。


 彩香さんに特別扱いされると言うことが、どれだけ嬉しいのか知ってしまった。

 だから、もし本当にそうなったら僕はプロに任せるだろうけど、そんな夢のない現実は口に出さないでおいた。


 だけど、言葉の細部から顔を出すその感情には気づけない。

 僕はラブコメ主人公もビックリの鈍感になる。



 *



「で……彩香さんさ……溺れるって何の話?」


 水泳は好きじゃないけど得意だ。

 波打ち際に退避して、水筒を取ってきてくれた彩香さんに聞く。二本あった水筒のうち一本しか持ってきていないのを見ると、滝飲みしろということらしい。

 流石に滝飲みで間接キスを妄想するほど僕は飢えていない。


「別に? もしもの話」


 しらばっくれた彩香さんは、僕から水筒を受け取って同じく滝飲みをする。

 競泳をした結果、彩香さんは僕の二倍ぐらい速かった。

 聞けば水泳は小学三年までスイミングスクールに通っていたと言う。


 チートだこの野郎。


「ねぇ彩香さん」

「なに?」


 泳いでいる間、ずっと考えていたことを口に出す。

 恥ずかしかったけど、言うタイミングはここしかなかった。

 言う必要もないことだと、僕は気づけない。


「も、もし僕が溺れたらさ……」


 彩香さんを恥ずかしがらせようと思って口を開いたのに、言う前から顔が真っ赤になってしまう。

 三角座りで顔を伏して隠して、でもちゃんと彩香さんに聞こえるように言った。


「じ、人工呼吸……できれば彩香さんがやって……」


 恥ずかしさで暴れ回りたくなる。膝に爪を立ててそれをこらえると、肩に彩香さんの湿った髪の毛を感じた。

 耳元に彩香さんの息を感じる。甘ったるい声が脳を揺らした。


「はいっ、喜んで♡」


 恥ずかしさに頭から湯気が立った。

 それから数時間、ずっと彩香さんにからかわれ続けた。


 僕の黒歴史が一つ、増えただけだった。









【おまけ】人工呼吸をお願いされる彩香


 わ、私、柚に特別扱いされてる……すごい……これ嬉しすぎる……。

 思い出がひとつ増えちゃった……えへへ……。

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