在らざる島の怪紀行

笹師匠

プロローグ

 私、十束川とつかわ乃恋のこがアルバイトをしている櫻宮おうみや書店は決して大きい所では無いのだが、私の様なヲタクが、或いは私の様なズボラが過ごすには快適過ぎて毒だ。『知識欲を満たす為の研究の一環』という名目であればオカルト雑誌を漁っても変な目で見られる事は少ないし、『研究で忙しい』体ならばある程度は身嗜みの崩れは多目に見て貰える。

 お祖父ちゃんっ子だった私は、【探究幻想学】の父である祖父に憧れて幼少期からずっと大学教授を目指した。『ガリ勉』と笑われようと『地味子』と罵られようと、私は将来の目標、大学教授になる事以外に興味は無かった。結局大学教授にはならずアルバイターに甘んじてこそいるが、何だかんだで幸せな毎日である。

 今思えばあの頃、何故青春しておかなかったのかと酷く後悔しているが、色恋や部活を犠牲にした見返りは『私を許容してくれる世界』だったのだ。いやホントありがたい。

じゅんきょーじゅ、今日は何読んでんスかぁ?」

「『月刊FOU(フォーユー)・本当にゴーストフライトだったのか?改めてバミューダ海域の謎を考える』……ってやつ」

「まーたオカルトかよー」

 ……来客の大半は、やり取りがフランクな馴染みの客ばかり。中学・高校の体育会系すらここに来て参考書やら漫画を買いに来るものだから、あっという間に男子と話はしやすくなった。……無論、嗜好はてんで合わない為恋愛対象にはならないのだが。


 私は『FOU』を読みながら、次の私のシフトが店長の粋な計らいでキャンセルになった旨をメールで確認した。働き手は大事だからな、ブラックと言われちゃ世話がないのだろう。仕方がない。

 ……しまった、今日は仕事のつもりだったから予定が無いじゃないか。休日になるとは思わないから買い物の予定も無く、財布の中身は少し汚れた底が見えるくらいにはすっからかんだ。

「……かと言って直帰も勿体無いしなぁ」

 とか言いながら手帳を捲っていくと、『8月9日の研究、屋外調査』の文字を見つけた。

「いつぞやの私ナイスぅ」

 私の予定は埋まった。後は行動あるのみである。

 私は書店を後にし、『研究』という名の風来坊にかまけるのだった。




 生憎の晴天、日焼けを厭う者としては最悪の天気である(本当は曇りの方が日焼けしやすいのだが、晴天を最悪としたのは気分的な問題だ)。この一帯は豪雨でお馴染みの8月だと言うのに陽炎が揺らぎ、照り返しでジリジリと焼け付く様な熱、蝉の鳴き声だけが五月蝿く囃し立てる、通行人の無い河川敷の昼下がり……。




「……くぁあぁぁっっ!!やっぱこれだぁ」

 コンビニに立ち寄ってシャリシャリしたラクトアイスを買うのは最早必然の流れだった。夏だけ食べられるイチゴ味の甘酸っぱさが細胞レベルで全身に染みる。

 大人になっても学生の頃の感覚が抜けていないのは私も変わらないのだな、と気恥ずかしさを覚えた頃にはアイスは液状に溶けたものが容器内に少し残っていただけで、すっかり堪能した後の事だった。

「……いっけね、仮にも研究中だったわ」

 そう、私、不肖十束川は今『屋外調査という形での研究中』なのだ。決して、期間限定のイチゴアイスをすすってのんびりする為の不要不急の外出では無い。

 コンビニの前からそそくさと立ち去った私は、しかし人間のさがには逆らえず、より快適な環境を、と思って雑木林を彷徨いた。『しばらく涼みながらの散歩が出来る』と気分を良くしていると、突然強い風が木々の間を、悠々と歩いていた私を殴る様に吹き抜けた。

「え゛ほっ、飛んで来た何かの葉っぱ口ん中入った……」

「お姉さん、……誰?」

 突然私の目の前に男の子が現れて、驚愕と恐怖で絶句した。危うく卒倒しかけたが、既のところで持ち堪えた。偉いぞ私。

「……君、学校はどうしたの……?」

「行ってない」

「お父さんお母さんは?」

「いないよ。……何で僕の事詳しく聞いてくるの?」

 訝しむ視線が痛い。少年よ、私は不審者じゃ無いからな。私はこの何処か表情に陰りのある少年の事が心配になってきた。

「君……この奥から来たの?私はあっちから来たんだけど、何かあるかな?」

「…………」

 少年の視線が泳ぐ。まるで中空を揺蕩たゆたう透明な『何か』を見ている様な、実に奇妙な泳ぎ方だった。

「……お姉さんなら、良いかな。ついて来て!!」

 後にこの少年との出会いが私の人生を大きく揺さぶっていく事など予測出来た訳も無く。

 この時はただ、少年の手招きと案内に、一歩一歩を足早に進んで行くしか無かった。

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