第2話 残像の果てに
それからというものの、東中野駅はすっかり、「あの電車」のとりこになってしまいました。来る日も来る日も、「あの電車」について心を燃やし、駅を通過するところに遭遇すれば、周りがすっかり見えなくなってしまうくらい、「あの電車」に見とれてしまうのです。恋なんて、どうでもいいことだと思っていました。鉄と鉄の接触のような、冷たく、見るだけで美しいものだと思っていました。それは当事者の目線からしてみれば、大したものではないものだと思っていました。しかし、それらの思いがまるで幻想のように、毎日が美しい旋律のように煌びやかだったのです。「あの電車」のことが気になります。気になって仕方がないのです。他の好みの駅やタイプな車両と仲良くなっているのではないのか。他にも「あの電車」のことを狙っているライバルがいるのではないのか。そんな思いが終日心の中を駆け巡り、業務が邪険に思えるほど、心を圧迫したのです。しかし、そんなうっとうしい憂鬱を抱えていることに馬鹿馬鹿しさを感じて、頭を振り払って、東中野駅は業務に集中するよう心がけました。しかし、心の裏側には悪魔のようなささやきがちょっかいをかけてくるのです。
「「あの電車」には、ほかにパートナーがいる。お前は所詮二番目の駅舎なんだよ。もしくはさらに後の番号が振られるかもな。どっちにしろ、上手くはいかないさ。それが運命ってもんだろ。」
そんなことはない、もしかしたら今現在パートナーはいないかもしれない。私がその場に着くことができるかもしれない。
そんな独り言を深夜にぶつぶつと呟いていました。自分に言い聞かせるように。そうであってほしいと願いをこめるように。
あくる日の深夜のことです。あと数便で運行が終了を迎えるころ、下品な音を立てて一本の電車がやってきました。そいつは下弦の月のような眼をぐるぐる回して、ニタニタと笑うようないけ好かない電車でした。そいつは東中野駅に停車するなりガラガラの声でこう言いました。
「お前、俺のこと好きだろ。」
「そんな顔しても無駄だぜ、俺には全てわかっているんだよ。」
「なあ、この後暇だろ。ちょっと付き合えよ。」奴はハイエナのような眼で東中野駅を見ていた。
東中野駅は笑顔で断った。しかし、奴の電車はとてもしつこく、らちが明かないほど話は混迷を極めていた。奴のせいで電車の運行はとても乱れていた。通信室からさっさと列車を通すようにと催促された。
「やめてやれよ。」
とげのある声とともに颯爽と「あの電車」が奴と逆方向から登場した。
奴は舌打ちをすると負け惜しみを言い残して、足早に去っていった。
そして東中野駅のほうをふりむくと、こう言った。
「お前も馬鹿だな。あんな奴さっさと追い返せばいいのに。」
さらに、こう付け加えた。
「次からは気をつけろよ。お前も、列車の見る目くらい養っておけ。」
そういうと「あの電車」はいそいそと発車していった。
東中野駅は少し心が痛んだ。赤ら顔はさっとしぼんで、膨れていた。
あんないい方しなくていいのに。私だって、話したくて話していないのに。そう呟きながら「あの電車」の残像が残る線路をじっと目で追いかけていた。
Orange Room 猫背街 中毒 @RRRism
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