第33話

 私は食卓から立ち上がった。


「……橙子さん!!」


「…何?」


「お願いです!!……握手してください……!!」


 ……息がハアハアと、荒くなってしまう。


 はたから見ると、今の私は変態そのものに見えるだろう。


 私は真っ赤になりながら燈子さんに近づき、緊張のあまり震え、ドキドキしながら彼女の右手を自分の両手で包み込んだ。


「アンタ、いきなり何なの…」

「大ファンなんです!!!」


「ちょっと手を」

「全部読ませていただいています!!!」


「とりあえず食事」

「どうして今まで私、何も知らなかったんでしょう?!!!」



 燈子さんは私に手を握られたまま宙を見つめ、はじめて照れたような表情を見せた。


「聞かれなかったからだね」


「……」


「2年くらい一緒に住んでいるけど、アンタいつも遠慮していただろう。こっちのプライベートについて質問するの」


「……そう、かも知れません」


 聞いていいのかどうか分からず、当たり障りの無い会話ばかり、してしまっていたから。


「聞かれると嬉しい事も、あるもんだよ」

 燈子さんは、ニヤッと笑った。


「躊躇わずに勇気を出して何でも、聞いてみてごらん」



「…はい!!」


 

 …カッコいい……燈子さん!!






 高野さんは私が落ち着くタイミングに合わせて、また話を切り出した。


「白井君、小っちゃくてすごく可愛かったんだよ」


 想像つくなぁ。


「初めて会ったのは、彼が5歳くらいの時だったかも知れない。…小さすぎたから昔の俺の事、覚えてないんだね」


「……すごい偶然ですね」


「うん。…あの環境でずっと育ったのなら、大変だったろうな」


 ……どの環境?


「当時の神原彩月の事は知ってるよ。同じタイミングで賞を獲ったから。パーティーで顔を合わせたり、交流する機会が多かったからね」

 燈子さんは昔を思いだしながら腕組みをした。


「……もしかして、司君がこのシェアハウスに住む事になったのはそれで……?」


「それは偶然。神原彩月は白井君がここに住んでいる事すら、知らないと思うよ」

 橙子さんは、コーヒーを飲みながら話を続けた。


「あの子は私が、不動産屋の前でボーっと貼り紙を見ているのを見つけて、拾ったんだ」


「……拾ったんですか」


「そのまま死んじまうか、どっかヤバい場所にでも行っちまいそうな、捨てられた小動物みたいな顔してたから」


 高野さんは、驚いた様子で燈子さんに言った。

「クールの時みたいですね」


「クールは何かの間違いがあって、うちの前を彷徨ってただけさ。…いくら探しても元の飼い主は見つからなかったけどね」


 燈子さんは、窓の外を見た。


「あの子は、本当に行く場所が無さそうだったから」








「『うちに来るかい?部屋余ってるけど』って」











「声を掛けたら即答だった」













『はい』











「虚ろな目で、こちらを見ていたよ」









「危ういなと思ってさ。女の子は、誰に何されるかわからないし」
















「……だから燈子さん、彼は男の子…」

「女の子に見えたんだ!」














 日曜日の夜。


 『未来志向』でのアルバイトが終わって『シェアハウス深森』に帰宅した胡桃と私は、二人だけで遅い夕食を摂り終え、テーブルを片付けていた。


 台所で食器を仕舞っていた胡桃は、急にこう言い出した。


「沙織~、あの『要注意リスト』のノート、ちょっと見せて」


 私は驚いて、テーブルを拭く手を止めた。


「…どうしたの?急に」


 胡桃は台所で腕組みをした。


「もう一度見ておく~。司君が現れてから生徒会長ピリピリしてるし。何か動きがありそうじゃない?『要注意リスト』該当者達」


「…うん、そうだね。ありがとう、胡桃」


 胡桃、心配してくれている。

 感謝の気持ちが溢れて来る。


 私は部屋から、『要注意リスト』該当者が書かれている極秘ノートを持って来た。


「……なるほど…」


「……」


「ねえ沙織~、このノートの内容ってさ、私の他に誰か知ってるの?」


「…ううん」


「…言った方がいいんじゃない?少なくとも司君や会長には」


「…そうだね、考えてみる。黒木君は誰が何をしそうか把握してるみたいだけど…。いつも心配かけてごめんね、胡桃」


 胡桃は私の肩に手を乗せた。


「ううん!何かあったら私がギッタギタのメッタメタにしてやるから!安心して、まっかせなさい!」


 …………ありがとう、胡桃。


 大切なノートを再び部屋に戻し、胡桃と二人で他愛のないお喋りを楽しんでいると『未来志向』から高野さんが、図書局の交流会から司君が帰って来た。



「ただいまー」


「ただいま戻りました!」




「おや、帰ったのかい」


 燈子さんがダークグレーのナイトガウン姿で『燈子さん用ドア』から現れ、『シェアハウス深森』のリビングは全員集合となった。



「高野さんと司君、一緒だったの~?」


「うん、そこで偶然ね」


「はい!」


 キラキラ笑顔の司君はリビングに登場するなり、沢山のお土産を全員に配り出した。


「はい、これ!皆さんに!!」


「………」

 東京駅ナンバーワン人気の、ハニーバターサンド4つ!


「………わっ!嬉しいっ!これ気になってたの~!!」

 超・人気商品、缶入り『花束チョコレート』4つ!

 

「………」

 超特大・鳩サボレ!!一人一缶ずつ!!


 ...こんなにたくさん!!


「ありがとう、司君…」

 私は言葉を選びながら、


「でもね、近くだし東京都内のホテルに泊まった時は、わざわざお土産買って来なくてもいいんだよ」

 と正直に、気持ちを伝えておいた…。


「ええっ?!そうなの?!!」

 彼はびっくりした様子で、皆を見回している。


 彼以外の全員が頷いた。


「でもお土産全部嬉しい~!ありがとぅ~!!」

 胡桃は大喜びしている。


「後でゆっくりいただくわね」

 燈子さんも、少し笑っている。


「ごめんね、気を遣わせて」

 高野さんは苦笑い。


「いえ。喜んでいただけたなら良かったです!」

 彼はほっとした様子で笑った。



 しばらくリビングでお菓子をいただきながら司君の交流会の様子を聞いたり、他愛のないお喋りをした後、時間も遅かったので解散になった。








 お風呂から上がって寝支度が終わった私は部屋に戻り、ドレッサーの小さな椅子に腰かけた。



 鏡に向かって化粧水をつけていると。



「…沙織さん」


 突然背後から、声がした。


「わっ!!!!!!!」



 仰天して後ろを振り向くと、私のベッドの中に司君がすっぽりと入っていた。



「………司君!!!」




 一体全体、

 何してるの?!!!




「ここ、私の部屋…!!!」


「知ってる。忍び込んだの」


「どうしてそんな事?!!!」



「添い寝しに」


 彼は意味深な微笑みを浮かべながら、楽しそうにこちらを見ている。







 ………添い寝?!!!








 私は顔が真っ赤になり、

 卒倒しそうになった。







「こんなの駄目だよ司君!...早く部屋に帰って...!」


「やだ。彼氏だから帰らない」


「もう、本当に何言ってるの?!!」


 彼は私の羽毛布団に顔をうずめ、


「...あの石鹸、使ってくれてるんだね?」


 恍惚の表情を浮かべている。


「………僕と同じ香りがする…」




 ………うわあ。




 ………司君が、おかしい!!!!!





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