第25話

 私が答えを探しているうちに、


「お邪魔します」

と、彼はさっさと部屋に入ってしまった。


「……!」


 無理矢理押し返すわけにいかなくても、

 はっきり断る事だって、出来たはず。


「司君って、強引…」


 …私ってどうしてこう、

 状況に、流されやすいんだろう…。


「え?…そうですか?」

 彼はきょとんとした表情で、とぼけてる。


「…自覚ないの?」


「はい!」



「んニャー...」


 たまたま私の部屋に遊びに来ていたクールが、司君の足に頭を摺り寄せる。


「あ、クール!今までどこにいたの?」


 彼はクールを抱き上げ、自分の腕の中にすっぽりと包み込んだ。


「いいね、クールは。いつでも沙織さんの部屋に遊びに来れて」


 クールを抱いたまま楽しそうにくるくる回り、彼は私の部屋の中を見回した。


「綺麗な部屋ですね」


「そう?」

 割と物が少ない部屋だと、自分では思う。


 グリーンが基調となったこの部屋は、壁一面に備え付けられた本棚にびっしりと、大好きな本が場所を取っている。


 お気に入りの丸テーブルには、花柄のポットとカップに入ったカモミールのハーブティーだけが置かれていた。


 彼は抱っこしているクールを優しく撫でながら、本棚に入っている本を見つめていた。


「……」


 司君の髪、まだ濡れてる。

 この寒いのに、このままだと風邪ひいちゃう。


「まだ髪が濡れてるよ」


 彼はクールをそっと床におろすと、ドレッサーの小さな椅子に腰かけ、鏡に映る私の目をじっと見た。


「……はい」

 甘える様な表情を見せ、彼は自分の肩にかかっていたバスタオルを私に差し出す。



「……!!」



 そして数分後。



 何故か私は、彼の薄茶色の髪をバスタオルで拭き、自分のドライヤーで念入りに、乾かしてあげている。


「…気持ちいい...」


 鏡に映る彼は、至福の表情。


 柔らかい髪。

 乾かすと、いつものフワフワに変わる。


 ずっと触れていたくなる。


「…乾いたら部屋に帰ってね、司君」


 髪が濡れている司君は、

 …妙に色っぽい。


「…帰って欲しい?沙織さんは」


 あの、柑橘系の、…すごくいい香りがする。


「そういう冗談、今はやめて」


 ドキドキし過ぎて、死んでしまいそうになる。


「…はーい…」



 彼の足元には、安心した様子でクールが丸まっている。



 怖くなってる、私。


 この時間は、何かの拍子に、

 あっけなく終わってしまうの?


 真実に直面した瞬間、

 何もかも、変わってしまうの?



 だって私、まだ司君に

 何も本当の事、質問できていない。



 一つ言葉を間違えたら、

 夢から醒めるみたいに

 この幸せが、無くなりそうで。





 彼は、本棚の一番目立つ場所にしまってある、『霽月の輝く庭』の保存用と読む用のハードカバー本を指差した。


「まだ、5巻目までなんですね」


「うん。なかなか集められないの。冬は色々と物入りだから…」


 彼は、鏡越しにまた私の目を見つめた。


「…まだなら良かったです。クリスマスまで13巻だけ、買わないでもらえますか?」


「…13巻だけ?...どうして?」


 実は私、『霽月の輝く庭』の、13巻はあまり好きじゃない。


 全キャラクターの中で1番大好きな『言魄コダマ』が、13巻のラストで魔獣に喰われ、死んでしまうからだ。


「僕からプレゼントしたいんです!13巻を沙織さんに」


「…本当…?ありがとう」


 どうして13巻を?


 彼は、ちらっと謎めいた微笑みを見せた。


「司君は、クリスマスプレゼント何が欲しい?」


 相変わらず、深まり続ける謎。


「わかってるくせに」


 聞いたら何でも、答えてくれるのなら。


「…?」


 質問するしか、無いけれど。



「沙織さんからのキスが欲しい」

 彼の瞳の奥から、艶めいた色。



「……」



 こういう回答しか、

 返してはくれないの?!




「…なんてね!」

 おどけた顔をして、冗談めかして笑う。

 


「……もう!」









 彼の髪が、完全に乾いた。



「はい!乾いたよ!」



「ありがとうございます!」



「…」



「…」



 …じゃ帰って!

 と、押し出すわけにもいかないし。







 ……。







 この沈黙時間、

 …落ち着かない!!









「…お邪魔しました。今度は僕が、沙織さんの髪を乾かしますね」


「…ありがと」




 あ、よかった。帰ってくれそう。




 彼はドアのすぐ側まで歩いてドアノブに手をかけてから、


「ご褒美、もらえますか?」

と突然、言い出した。



「…ご褒美?」



「…麻雀に勝った、ご褒美」


 まさか、キスをねだられるの?




 身構えた私に向かって照れた様に微笑み、

「…このまま…」


 彼は私を、繊細な物に触れる様に優しく、抱きしめた。



「しばらく、このままでいさせて….」



 あの、柑橘系の、…すごくいい香りが私にも、うつってしまいそう。




「……」




「……」




「…この香り...」




「…香り?」



「…香水じゃ、なかったんだ...」



「ああ、…これ?」


 彼は私を抱き締めながら、

 自分の香りを少し嗅いだ。


「…海外の石鹸です。いただき物の」


「…石鹸」


 彼は少し体を離し、

 触れそうな距離で私の目を覗き込んだ。


「気に入ってくれました?沙織さん」




 …あ、もうダメ。




 動悸で、頭がおかしくなりそう。



 

 …このままじゃ死んじゃう!!





 私は彼の体を無理矢理、ドアの外へぎゅっと押し出した。




「じゃあ、お休み!また明日ね!!」



「…うん」



 彼は少し寂しそうな表情で、自分の部屋へと帰ってしまった。




「…ハア…」




 もう、呼吸困難になりそう…。




 コンコン。




 また、ノックの音。




「はい、どなたですか?」





「僕です」   






 ……司君…。






 ドアを開けた。



 彼は、手のひらの上に小さな、『Orange&Olive』と書かれた黄緑色の可愛らしい箱を乗せている。


「沙織さんに、これあげます。たくさんあったから」


「…?」


 …司君の香りがする!


「開けてみて下さい!」



 箱を開けてみると。


 薄いピンクの花びらが埋められた楕円形の、黄緑色の石鹸が入っていた。


「わあ…!嬉しい、ありがとう!司君」


 私は嬉しくなり、彼を見上げた。



「…スキあり」



 彼は突然、私の頬に軽くキスをした。



「…!!」



 少し恥ずかしそうに彼は笑うと、


「おやすみなさい!沙織さん」



と言って、今度こそ自室へと行ってしまった。





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