第10話

 その日の夜見た夢は、ファンタジーに満ちていた。



 薄い靄で覆われた世界。



 透き通る螺旋階段を私は、上へ上へと登っていく。


 すると、黄金に輝く華麗な彫刻が施された、紫色の大きくて分厚い扉が見えてきた。


 ぽつんと存在するその扉の前に、燈子さんが新しく購入した特注の麻雀卓と猫脚のマホガニーチェアが置かれており、高野さんがそこに座って私に話しかけてきた。



「ここは心の国。俺はその番人」



「…は?」



 物語に出て来る魔法使いの様な藍色のローブを羽織った高野さんは、その佇まいが驚くほどカッコ良かった。


 彼はちょっとだけ私を一瞥し、麻雀卓の上で三色ボールペンを使い、黄色い用紙に表の様な何かを書き出した。


 …点数でも計算するつもりなのだろうか?


「…高野さん、ですよね?…何してるんですか?…ここは一体…」


「はい、アームバンド見せて?」



 アームバンド?



「身分証だから。それ」



 私はふと、自分の服装を見て仰天した。


 神話に出てくる女神の様な白いドレスを身に纏い、同じ色の柔らかい生地で出来たマントを羽織っている。


 左腕のアームバンドからは一直線に透き通る碧い光が飛び出し、高野さんの瞳を明るく照らした。


「うん、君は嘘つきじゃない。問題ないね!通っていいよ」



「…高野さん、何なんですかこの世界は…」


 その大きくて分厚い紫色の扉が、ギシギシと重厚な音を立てて開いた。


 すると中から突然、胡桃が現れた。


「はい、お姫様はこっちこっち~!」



 …ん?...お姫様?



 …もしかして私の事?!



 胡桃はフワフワした薄緑色の動きやすそうなドレスを着て、透き通る妖精の羽根を楽し気に羽ばたかせながら、私の手を引いた。



「もう一回王子の話聞く~?お姫様」



 胡桃はいきなり私を抱きかかえると、空の上へと飛び上がった。



「キャーーーー!!!!!」



 おちる!!!!!



 私は恐怖の瞬間を味わった。



 そして胡桃は、高い高い塔のてっぺんに私を下ろし、あっという間にどこかへと飛んで行ってしまった。


 …死ぬかと思った。



 塔の上には、一人の少年が立っていた。



 彼は赤紫の地に金の縁飾りが施された白いトーガ姿で現れ、私に向かってこう言った。



「姫!良かった。またお会い出来ましたね!」



 王子様の恰好をしている、司君だ。



 私はキョロキョロと、あたりを見回してしまう。



 …姫っぽい人は、…他にいなさそう。



「あなたは…司君よね?」




「違いますよ、言魄コダマです」




 言魄コダマは『霽月の輝く庭』11巻から13巻にかけて出て来る登場人物である。


「姫。僕は、嬉しかったです。…すごく」


 物語の主人公・亜槙アーシは、10巻の最後に衝撃的な死を遂げる。


「あなたが僕に告白、してくれた事」


 言魄コダマは、死後の世界でもさらに悪魔に狙われてしまった亜槙アーシを救うため、亜槙アーシの心の奥底から飛び出した、『言葉の魂』として登場する。


「こんな気持ち、生まれて初めてです」


 言魄コダマは決して、『嘘』をつく事が出来ない。


「この気持ちが何なのか、ちゃんと知りたい」


 何故なら『嘘』を一度でもついてしまうと、それは彼の口から巨大で恐ろしい魔獣に姿を変えて、襲い掛かって来るからである。




「だから僕、あなたと付き合う事に決めました!」




 司君は私を引き寄せ、優しく抱きしめた。



「…」



 心臓が、どきどきと音を立てる。




 魔獣は言魄コダマをじわじわと傷つけながら追い詰め、何度も何度もその体と心に喰らいついて、蝕む。



「あなたは…?」



 魔獣の破滅的な力には、どんなに強い勇者であっても絶対に抗えない。



「…私…?」



 言魄コダマは13巻の最後に、自分が亜槙アーシを守るためについた『嘘』の魔獣の手にかかり、必死の抵抗も敵わず殺されてしまう。




「僕の事、好き…?」




 昨日はじめて話したばかりの、司君。




 もうこんな場所で私、抱きしめられている。




 …まだ、わからないよ。好きかどうかなんて。




「大好き、って言ってくれたじゃ無いですか」



 実はそれ、間違いなの。



 あなたにも、それが分かってる?



 でも、本当は私。




 …この出会いを、大切にしたい。




「…もっと司君と話したいよ、私は。…でも、」



 私は急に、彼が魔獣に食い殺されて死んでしまうのでは無いかと、心配になった。



「……司君、嘘はついちゃダメだよ…。言葉が魔物になって、いつかあなたを、殺しに来ちゃう」



 彼は、少しムッとした表情に変わった。



「……僕は言魄コダマです。嘘なんか一度もついていない。その証拠に僕もあの扉を通ってここに来ました」



 司君は、悲しそうに叫んだ。



「…あなたをもっと知りたいんです。姫」



 彼は、私を抱きしめる力を強くした。



「……」




 私は全く身動きが出来ない。





「好きになっては、いけませんか…?…姫」





 彼は私の耳元で、こう言った。





「信じては、もらえませんか?…僕の事」






 少しでも動けば、触れそうな唇。







「だって今、証明出来たでしょう」







 吐息が私に、くすぐる様に笑いかける。







「これが真実の言葉だから、僕の口から魔物が出てこないんです」





 ぞくっと体が、震えてしまう。





 彼は真っ赤になった私の両頬に触れ、自分の顔を真っ直ぐ近づけた。






 私はぎゅっと、目を閉じた。






 唇と唇が重なる寸前。






 薄紫色のバスローブを着た橙子さんが、司君と私の真ん中に突然、現れた。






「何するんだい、アンタ達」






 司君と私は、燈子さんの両側から、彼女の頬にキスをしていた。










「大賢者様!!」











「ははあっ!!」








 いつの間にか高野さんと胡桃が近くに現れ、バスローブ姿の橙子さんに向かって膝をついてひれ伏している。








 橙子さんは、夏場の麻雀の際によく彼女が使用する、ちょっと大き目で羽根つきのお洒落な黒い扇子を広げ、











「彼と付き合う覚悟が、本当にあるのかい?」










 と、私に問いかけた。











「はい」







 私は迷わず、返事をした。












 そこで目が覚めてしまった。






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