第33話 復活、そして種明かし


 「トイレ!」

 跳ね上がるように立ち上がった美岬は、そう言って部屋から出ていった。

 行き先は母親のところ、武藤佐のところ以外ありえない。

 たださ、嬉しくて仕方ないのは解るけどさ。また、聞かれているからカモフラージュが必要ってのも解るけどさ。

 女の子なんだから、席を外すのに、もうちょっと、こう、あるだろう!?


 武藤さんの表情が柔らかい。

 いや、安心のあまり、ちょっとだけかもだけど弛緩しているよな。

 それを見ている石田佐の表情も柔らかい。

 部屋の温度が一℃、二℃上がったような気さえする。


 足音を忍ばせて、美岬が戻ってきた。

 こういうとき、直接の会話ができないってのは、とてもとても焦れったいよね。

 武藤佐、いつになく目を腫らして、髪も整っていない。寝たにしても、泣き寝入りだったのだろう。

 美岬も、わけも話せず強引に連れてきたという状況なんだ。

 それでも石田佐を見て驚きの表情になるところで、先ほどのメモをまずは渡す。

 「加藤景悟郎の血液と、加藤景悟郎と妻の美緒の娘である、三代目明眼の美和の血液を持ってきた」

 まずは、ここからだ。

 一瞬で、武藤佐の目に理解の色が浮かんだ。

 メモを順番どおりに揃えていた俺の手から、奪い取るようにして続きを読む。

 そして、最後に、判定キットに目を走らせる。


 次の瞬間、武藤佐は武藤さんの胸に飛び込んでいた。



 武藤佐、音を立てずにしゃくりあげるという、器用な泣き方を実践していたけど……。

 そこへ無粋にもMacBookがPingを鳴らした。

 どこからか連絡が来たのだ。

 MacBookを自分の方に向けて内容を確認する。

 坪内佐だ。

 今回をとおして二回目の連絡のメールになる。

 一回目は、総理の同意を取り付けたというメールだった。

 「盗聴に備え、回答は明確化されない」って言われていたのが、再度頭の中に蘇る。

 どうせ。このメールも開くと同時に読まれる。

 開いた。


 中身は、以下の文。

 「今回の件、我々の手に余るようだ。

 相手の規模に対し、絶対的に戦略、戦術両方とも人材が足らない。

 今回は敗北を受け入れざるを得ないだろう。ただ、美岬さんに囲碁の才能があることから、次世代の戦略担当を育てる余地はあると信じたい。

 今後は、被害を最小限に抑えるよう善処されたし」

 以上。


 呆然と泣く母を見守っている、美岬の袖口を引っ張った。

 こちらを向いた視線を、MacBookのディスプレイに誘導する。

 ……母娘だねぇ。

 反応がおんなじだよ。

 美岬も、俺の胸で音を立てずにしゃくりあげて泣き始めた。

 母娘とも、どれほどの安堵があるんだろう?

 俺が想像しているよりも、ずっと深いものなんだとは思うよ。


 グレッグ、あんたの打った手は罪深かったよ。



− − − −


 メールのこの文は、すべからく推測と願望で書かれている。「だろう」とか「したい」っていう単語が多いのだ。その中で確定情報は、美岬に囲碁の才能があるということだ。

 そして、それは、美岬に武藤さんから受け継いだ遺伝子があることを意味する。

 坪内佐、サンプルを分析に出した結果を知らせてくれたんだ。

 お金を積んだかコネを駆使したか、最短時間で結果を得てくれたんだろう。

 一つの説の証明としては、詳細の検討が必要だし、まだまだ検討と考察を繰り返さないといけないだろう。まだ、大学に行っていない俺でもそれは解る。けど、とりあえず仮説は証明され、仮説ではなくなった。

 今の段階では、ゲノム・インプリンティングによる母系形質の発現と、減数分裂時の染色体の振る舞いが他の人と違うだけと証明されはしないけど、でも、クローンだということは明確に否定さた。

 まぁ、それでも、「だけ」って言えるほど小さな違いではないにせよ、単為生殖というほど異常ではない。

 一歩前進だよね。


 美岬が泣き出したのを背中で感じたのだろう。

 武藤佐、武藤さんのところから立ち上がって、覚束ない足取りでMacBookのディスプレイを覗く。


 俺、ここで、こんなって感じたけど……。

 さっきまで上がっていた室温が、今度は一気に下がったような気がした。



 ああ、戻ってきたよ、冷徹なる指揮官が。

 部屋の中、一気に恐ろしいまでの緊張感が漂う。

 大切な人の胸で泣いている女性でいてくれれば、敵は幸せだったよね。

 怒りの女神の剣は、もはや血塗られるまで鞘に納まることはない。

 よく知っているよ、俺はそれを。


 武藤佐、さらっとメモを書く。

 シャーペンの動きが呆れるほどに速い。

 「グレッグに遺伝情報を奪わせた意味は?」

 速いのにきれいな字。

 石田佐は、答えを用意してきていた。


 ぺらり。

 「今回の件、罠を仕掛けた。

 この数年ほど、アメリカで、多文化にわたる骨董の動きが活発になっていた。日本だけではない。中国物からインド、イスラムから、アフリカンアートに至るまでだ。

 その一方で、欧州物の動きは変わらない。

 動きが激しい割に、値は上がらないのでおかしいと思って探って見たところ、出どころが軍関係、それも特定の党の支持者に偏った。しかも、数が多い。もともとの市場規模がそう大きくないのに、そこそこの数が出れば値が上がるはずがない。

 残念ながら法則性があった以上、何かの計画や意思があるはずだ。

 藪に蛇はいた。

 軍全体で生物学的用語の頻出度が高まっていたが、その中でも骨董や民芸品を手放した軍関係者の頻出度は飛び抜けていた。

 また、特定の党の支持者という傾向は、特定の組織に限定されない横断的特徴を示した。

 ここで、私はグレッグに近づいた」

 夏のアメリカ行き、そんな意味あったのかよ。

 てか、骨董商、策士すぎ。


 ぺらっと石田佐が紙を裏返す。

 「彼らのやりとりで頻出する生物学的用語はバイオ系が多く、もう一つ、急進的人種差別が目に付いた。これに関しては、オブラートにくるまれた表現が多く、アイロニーに満ちていて、結果としてある程度継続的に読まねば意を汲めないものが多かった。

 頻出語から分析を開始する盗聴システムでは、この意は抽出できないだろう」


 盗聴しているのが人ではない状況では、これは基本だと。

 多分、京都の人の日常会話ならば、エシュロンですら意を汲むのはお手上げなんじゃないかと、俺は密かに思っている。

 「お茶漬け食え」が「帰れ」という意味だなんて、そもそも言語の論理構造としたらおかし過ぎだ。

 文化的裏付けのあるこのような表現は、固有名詞には使えないし、科学用語も厳しいだろう。でも、好き嫌いを表現するには、最適だろうな。

 そして……、口には出さないけど、このあたりの通信監視とシステム解析は、坪内佐の協力なんだろうなぁ。


 石田佐、新たな紙を出す。

 「『駆除』の計画までは至らなかったものの、遺伝資源への執着は覗えたので、それをプローブにすることにした。

 グレッグも、こちらの意を汲んでくれた。

 なんせ、グレッグの上司は特定の党の支持者だったので、御物を売るかどうかも試金石だったのだ。だが、グレッグ自身の支持政党は異なる。

 そこが狙い目だった。

 覚えているか?

 スティーブン・F・ウドバーハジー・センターでのグレッグのセリフだ。

 『オフレコの場ですから言ってしまいますが、この三人を出汁にしなくても、次の大統領選挙の結果の次第にかかわらず、貴国との関係をこちらの組織から変えるつもりはありませんよ』と彼は言った。

 そもそも、あのとき、大統領選のことなどこちらからは匂わせなかった。

 オフレコはグレッグの上司には内緒という意味だ。

 これから、グレッグの内心を覗うことができた。

 このあと、グレッグは執拗に明眼の能力を問う言動を見せた。

 なるほどな、と私は思ったよ。基本的に彼は、上司から観察されている。自分の属する組織の別の人間に話を聞かれているときは、特にそのような行動が目立つものだ。仕事しているふりをするわけだね。

 彼の本音は、君たちをボストンに見送ってから、安全な場所でサシで話す機会を作ってようやく聞き出せた。

 そこで、グレッグの身を守るため、双海の遺伝情報を与えた。

 とはいえ、これは二重行動だ。

 すでに双海の遺伝情報は抜かれていた。が、それに気が付かないふりで、あえてまた差し出してみせてアリバイを作ったのだ。

 もう一つ、この遺伝子の持ち主と、カムフラージュに使われた高校生の遺伝子の設定は峻別してある。彼らは、双海と嗅覚遺伝子の持ち主を別人と思っているよ。

 なお、武藤家に関しては、おそらくは三年前から遺伝情報は奪われていた。

 遺伝子までの解析をしたのは、ごく最近のようだがね」

 思わずため息が出る。

 俺たちがボストン観光している間、石田佐は大変だったんだ。


 石田佐、紙を裏返す。

 「最後に、だ。

 グレッグは君たち三人を買っている。

 グレッグの演技とはいえ、執拗に明眼の能力を追求したことを躱しきったからね。

 だから、双海に話を持ちかけたのだろう。

 彼からしてみれば、他に選択がなかったのだ。

 私や坪内、武藤では、上司の疑いを呼ぶし、立場的に日本国内でサシで会う理由が作りにくい。

 高校生であれば、『アメリカで知り合って、個人的に仲良くなった』でもぎりぎり言い逃れできるだろう。一度きりの顔合わせではなかったからね。

 かといって、女子高生をスポーツカーに、いや軽トラであろうがなんであろうが、そもそも美岬さんは決して乗らないだろう。

 菊池は、特殊な遺伝子を持っていない人間だから、どこまで話せるか判断できない。しかも、グレッグと渡り合うだけの演技派だから、話したあとの反応が読めない。

 グレッグからしてみたら双海しかいなかったんだよ」

 そか、なにかが起きていて、それがナウって知らせたかったのか。

 で、俺が選ばれた。


 しっかしなぁ、反応を読みやすいから選ばれたって、ここ、落ち込むところ?

 確実に喜ぶところじゃあない気がするけど、城攻めと同じであえて弱いところを作って敵を誘い込むってのも重要だし、必要だし、でも、自分がその弱い部分扱いされるってのは複雑だよね。

 まぁいいや。

 俺、そういうカバーも被って生きていこう。

 で、カバーになればいいんだけど、ね。弱いままじゃ、洒落にならん。

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