第6話 やさぐれて家出

 

 夕闇が迫る。

 秋の陽はなんとやら、だ。

 暗くなる中で、ただ、座布団を枕に丸くなる。

 このまま衰弱して死んでしまったら楽なのに、と切実に思う。

 姉が帰ってきたら、面倒だ。

 問い詰められたって、答えることもできない。

 いっそ、このままどこか遠くに行こうと思う。

 「そうだ」「そうだ」と、心の中の声が次々と賛意を示して、俺はうちを出ることにした。


 失踪しても、今の俺のスキルならば、どこにでも逃げていける。身を隠す方法も会得している。近隣のすべてのNシステム、監視カメラの位置も頭に入っている。


 一枚厚着をし、サバイバルキットと財布のみを持って家を出る。

 携帯は置いてきた。GPSが邪魔だからだ。

 まずは南だ。

 山に入ってしまえば、ドローンによる探索も含め、すべてごまかせる。そういうノウハウも叩き込まれてきた。

 そのあとは山沿いを夜どおし歩いて、より深い山に移動する。採取で飢えをしのぎ、そこでそう遠くないうちに野垂れ死ぬ。

 人間になりきれなかった、野良犬の最期としてはなかなかいい案だと思った。


 美岬は嗅覚なんぞに騙されない、美岬の人間性をきちんと見ることができる真っ当な男と幸せになるべきなんだ。

 そうすれば、子々孫々まで、きっと、この国を守り続けることもできる。

 美岬がその視覚という能力を持つことで、どれほどの苦難の道を歩く羽目になったかを俺は知っている。

 でもね、美岬は逃げなかったんだ。

 だから、美岬がこの国と自分を天秤に掛けて、どちらが重要かなんて考える事態なんか起きるはずもなかった。でも、その美岬も、俺という存在と生まれてくるかも知れない子供に対しては、その天秤を揺らす。


 中二病とでも、恋は盲目とでも、なんと言われようが、今朝までは俺は自分にその価値があるという自信を持っていた。

 「つはものとねり」であろうが、この国であろうが、俺以上に美岬を想う真実を持っている存在はないと思っていたからだ。

 だからこそ、「つはものとねり」から離れる決断すら許されると思っていた。

 でも、自分の誠意を信じられないのであれば、俺は、俺以外のすべてのために去るべきなんだと思う。



 家を出て……。

 数歩、歩きだして思わず舌打ちが出た。

 慧思を見て、疎ましいと思ったのは初めてだ。

 話すつもりもないし、行く道を塞がれるのも嫌だ。

 目を背けて、足早になる。


 慧思は無言で、俺の何歩か後を歩く。

 何をしたいのかが分からない。

 ついてくる気だろうか?

 そのまま無言で二キロほど歩き、山の中に入る。

 すでに暗くなりかけているけれど、月は出ているし、獣道は嗅覚からも見切れるし、かまわず歩く。

 振り返りもしないけれど、慧思が後から付いてくるのは判る。


 山は東西に伸びている。

 東を目指せば、俺たちの高校に行き着く。もう一度、校舎玄関のFの池を見たいなんて思う。

 高校を超え、さらに東進すると、いつしか山は関東平野に溶け込んでしまう。

 西を目指せば、深い山塊に繋がる。一か所、山の斜面に沿って大工場があるけれど、それさえ躱せばあとは道路を何本か横断するだけで、深い山まで障害物はない。


 月が高くなっていく。

 太陽の光の残香も消え失せ、闇は深い。

 でも、方角さえ正しければ、歩くことはできる。所詮は里山の深さで、街の明かりは見えているし方向を失うことはない。訓練を受けた俺は、迷いようがない。

 夜間行軍の訓練はキツかったな。

 それがこんな形で生きるなんて、と思う。

 バディもいるのに、こんな寒々とした心象で歩くなんてな。



 突然、一気に視界が開けた。

 煌々と証明が照っている。亜鉛を精製する大工場に行き当たったのだ。

 歩いている標高を失いたくないので、さらに登って躱すことにした。


 工場を見下ろすと人の気配、文明の気配。

 でも今は、それに別れを告げることしか考えられない。

 ただ、慧思がひたすらに邪魔だった。同じ訓練を受けたこいつを振り切るのは無理だ。体臭も、疲れを示していない。そして、慧思の持っているはずの携帯と、そのGPSが輪をかけて邪魔。


 ここはそこそこ明るい。

 それが、俺に決断をさせた。

 慧思に対して、暗闇でいきなり襲ったらさすがに卑怯だろう。

 本来ならばそうするべきなのだろうけど、さすがにな。


 無言で腰を落とす。

 自分から、仕掛けて戦ったことなんかない。でも、必要なら仕方ない。慧思と俺を比べ、唯一俺が圧倒的に優位に立てるのが個人戦闘技術だろう。慧思は、真気水鋩流を全く知らない。

 悪いけど少し眠ってもらおう。

 俺の覚悟を察したかな。

 工場の照明に照らされた、慧思の顔色が変わった。


 じりじりと間合いを取り合う。

 「GPSなら持っていないぞ」

 慧思が声を掛けてきた。

 「嘘をつけ」

 短く答える。

 「お前な、少しは俺を信じろ。携帯は、お前んちの敷地に放りこんできた」

 そう言うと、一歩下がって、手早く上着を脱ぎ、投げて寄越す。

 思わず受け取ると、次はズボン、インナーと次々と脱いでは投げて寄越す。

 すべて軽い。

 確かに、電子機器は一つも持っていない。財布すら、だ。

 一番重いのはベルトのバックル、そんな感じだった。

 最後に投げて寄越されたのは、靴と靴下だった。


 素っ裸のまま慧思は言う。

 「双海、死ぬ気か?」

 こんなときなのに、「俺の方が毛深くない」なんて思う。

 目のやり場に困ったまま、あいまいに俺は頷いた。

 「ああ」

 「付き合おう」

 「ちょっと待て!」

 心が麻痺状態の中でも、さすがに口から出た。

 なんでコイツと心中せにゃならんのだ!?

 「馬鹿野郎、最初から覚悟はしている。バディってのは、そういうものって叩き込まれたろうがよ」

 「馬鹿はお前だ。

 俺にそんな価値はねぇ……。俺に、そんな価値はないんだ……」

 情けなくて情けなくて、涙が溢れた。


 「何を言われた?」

 「美岬の家系は、全員クローンで、すべて十六歳で伴侶を得ている。その歳になると、生理活性が上がって男を捕まえるんだとさ。俺は、それに乗った存在に過ぎない。俺が美岬を好きになったんじゃない。俺はただ単に、好きにさせられるシステムに乗っていただけなんだ。俺の想いなんてものはなかった。

 たぶん、美岬の意思とは別のところで起きていることだから、美岬も無意識にそのシステムに乗っている。だから、美岬の俺への想いも幻想だ」

 「横から見ていれば、それだって運命の出会いに見えたけどな」

 「そうだ、その運命の出会いの結果、美岬は、自分のクローンを産む。しかも、視覚も嗅覚も失った子を」

 「すまないが、そこまで一足飛びの話をされても理解できねーよ。もう少し事情の説明をしてくれないと、誰だって無理。

 おまけにだが、さすがに寒い。

 納得したなら、さっさと服を返せ。素っ裸で、からっ風に吹かれる俺の身にもなれ、馬鹿野郎」


 俺は、焦って服を投げ返す。

 受け取った顔めがけて、靴も投げる。

 なんかもう、すべてどうでも良くなってきて、靴底の痕を頬につけてぷりぷり怒りながら服を着ている慧思の横で、独り言のように今日あったことを愚痴とともにすべて話した。

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