第26話 帰国


 成田空港についた。

 携帯が、自動で国内のモードに戻る。入国できた段階で、姉に帰国報告のメールを打つ。姉と慧思の妹は一緒にいるから、俺と慧思の連絡はこれで終わり。美岬も、メールを打っている。


 帰りの機内食は、やっぱりひどくて喉を通らなかった。だから、バスを待つ間に、空港で蕎麦をたぐっている。

 やっぱり、和食は体に馴染むし、なにより、食材ひとつひとつの味と香りが深く、濃い。

 食材だけじゃない。

 帰ってきて、上空から日本を見下ろして、木々と水田の緑の深さと濃さに驚いた。アメリカは、もっと全体的に白茶けていた。日本は小さい国かもしれないけれど、その分、本当に密度が濃いんだと思う。


 高速バスで、俺たちの街へ。

 うとうとした二時間があっという間に過ぎて、駅前広場でバスを降りる。

 解散だな。

 が、そうならなかった。


 あ、美岬の両親がいる。娘を迎えに来たのかな。

 お父ちゃん、日本に帰ってきたんだね。しかし、なんてまあ、存在感のある夫婦なんだ。熊が人間の皮を被っているような父親に、百人が百人、振り返るような冴え冴えとした美貌の母親。その一画だけが、テレビかなんかのロケをしているようにも見える。


 アメリカに行く前に聞いたことを思い出した。父親、得体の知れない流派の伝承者なんだった。この巨体でえげつない技を使うって、恐ろしすぎる。

 とりあえず、帰国の挨拶をする。

 「ただいま!」

 と、美岬。

 「無事、帰ってきました。ありがとうございました。ご心配をおかけしました」

 俺と慧思。

 相手は、一応どころではなく、まんま上司ですからねぇ。


 やっぱり、家族なんだなと思う。美岬を加えた三人で、しっくりと風景に溶け込んで落ち着いて見える。

 不意に、それがとても羨ましい。

 俺も慧思も、こういうのは、もう、ない。

 親と一緒に写真を撮るのは、もう不可能だ。慧思に限って言えば、可能性は皆無ではない。でも、皆無ではないというだけに過ぎない。


 だからこそ。

 「記念撮影しましょう。撮りますから、三人で、そこにいてください」

 そう言って、ちょっと距離を取ってから、スマホのカメラ機能を立ち上げる。

 液晶画面に切り取られた親子は、まだ戸惑っていたけど、それでも俺には輝いて見えた。

 慧思が言う。

 「次は四人で。私が撮りますから」

 慧思も携帯を掲げる。

 俺は、三人の家族の脇に立つ。


 慧思がシャッターを切った瞬間、背中側から圧倒的な気配が襲いかかってきた。気配だけじゃない、実際に空気が動いているのだ。あまりの迫力に、全身が総毛立つ。

 その気配は、俺の耳元で囁いた。

 「娘が後悔するようなことはないと、誓ってくれるか?」

 うっ。

 なんで知ってるんだ? もしかして、石田佐から報告が行っているのか?

 「はい、誓います。絶対に後悔はさせません」

 「そうか」

 気配が再び遠ざかり、俺の頭上高くに戻った。


 思わず振り返る。

 あれ、熊のより大きな人間の表情から読み取れるのは、もしかして悲しみ? 何かを羨んでいる?

 娘に手をつけた、コソ泥だか、馬の骨に対する怒りならば、まだ納得ができる。でも、その角度への感情の動きは皆無だ。

 俺は、取り返しがつかないことをしたかもしれないけど、それとこの表情がどうしても繋がらない。



 − − − − − − 



 「無事に着いているようだな。新幹線で追ってきたが、ここで会えるとは思わなかった。まぁ、良かったよ」

 石田佐!!


 飛行機も別便だったけど、ここでまた顔を見ることができるとは。

 石田佐は、美岬の父親の表情を見ると、その肘のあたりを軽く叩いた。本当は肩に手を置きたかったのかもしれないが、物理的に高低差がありすぎる。肩に手を置くというより、ぶら下がるみたいになっちゃうよな。

 石田佐は、そのままゆっくり歩き出す。つられて、全員でその後を追うように歩く。


 石田佐は、歩きながら話し出した。

 「双海君、私は、この二人にいろいろを伝えに来たんだ。

 この二人はすべて予想して、それを許す決断をしたから」

 二人とは美岬の両親のことだよな。


 石田佐は続ける。

 「我々は神ではない。その時の精一杯のベストが、振り返ったときにベストではなかったことがどうしても生じる。

 だから、この先、もしかしたら君か美岬さんのどちらかが、そして最悪の場合には、両方が失われる可能性も皆無ではないかもしれない。

 実際、去年、誰かが欠けていてもおかしくなかった。

 だから、その直前に後悔しなくて済むように、また、残された方が、残された人生を後悔で埋め尽くしてしまわないように、今回のことはみんな、納得尽くのことだ」

 ……こういうことか? 俺が殺される直前に思い残すことがないように、美岬が殺される直前に思い残すことがないように、更には、美岬が死んだ後に俺が、俺が死んだ後に美岬が、残りの人生を後悔しないように、俺と娘の好きにさせたということか?


 俺は……、そうだな、俺に後悔はない。

 俺が、なんらかの機会に殺されるとして……。

 俺は、美岬の全てを思い出すことができる。


    二年前、この駅ビルの屋上に立っていた姿を。

    俺の唇に唇を重ねる前の、震える握られた両手を。

    「美岬」と呼んで欲しい、と言ったときの表情を。

    「可愛がって」と俺の腕を掴んだ、その手を。


 その記憶を抱いて、従容として死んでいくことができるだろう。

 逆に、俺が美岬に置いていかれる場合、俺がその後何年の時間を生きるのかはわからないけれど、その思い出とともに生きていくことができる。最後には、その悲しみが自らの人生をも奪うことになっても、最後は満足して逝けるだろう。


 そうだな。きっと、美岬の両親は、美岬に何かあったら、俺に忘れろというに違いない。

 忘れて、次の道を探せというだろう。たくさんのことを決断し、理解し、それを飲み込んだ上で、なお、そう言うだろうけど。

 それでも、俺は忘れないし、俺の人生に満足して逝ける。


 そこまでの考えが、一瞬で頭の中を走り抜けた。

 「ありがとうございます」

 ようやく言葉にする。

 石田佐が続ける。

 「この二人はね、十代の時から十年の遠回りをした。結果として結ばれたから良かったようなものの、そうでなかったら、おそらくは深い悔恨の一生を、いや、一生を全うすることもできなかった。

 比翼の鳥がつがいを失ったら、飛ぶことも叶わず死ぬしかないんだ。

 去年、君たちは、六年の別離を覚悟したね。その事態が、今につながっている。

 自分たちと同じ思いを娘にはさせたくないと、その一心だ。普通の親ならば考えなくていい選択をしているんだよ。

 それは解ってやってくれ」

 「はい」

 かろうじて、声になった。美岬は深くうなだれている。

 人気の少ない一画で、石田佐は立ち止まった。


 不意に、今回の旅行の件を話すために、武藤佐が電話を掛けてきた時に、執拗に絡んできたことを思い出した。

 知らず知らず、後悔が俺を襲う。

 「はい! 喜んでっ!!」と、なんでもっと景気良く叫ばなかったんだろう?

 俺が、美岬の両親の気持ちのなにを察していたというのだろう?

 人気の少ないとはいえ、雑踏の中で良かった。そうでなければ、涙がこぼれていたかもしれなかった。


 「これから、一番大切なことを言うよ。

 私もね、君たちほど危険な任務はないけれど、次の食事は食べられないかもしれないとはいつも思っている。妻が毎日、一期一会の弁当を作ってくれているのも、同じことを思っているからだ。

 そういうと、話が重くなるけれどね、それがもう三十年続いているんだ。

 武藤佐と坪内佐に任せておけば、大丈夫。

 いかに状況が悪化しているとはいえ、この二人の立てたプラン、指揮下で人員が失われたことはただの一度もない。

 明日は絶対ではないけれど、一つ一つ積み重ねれば四十年でも五十年でも続けるのは可能なはずだ」

 「はい」

 「四十年でも五十年でも続けられれば、その中でいくらでも幸せを掴む機会はある。それが私の言いたいことだ」

 「はい」

 もう、他に何も答えられる言葉はない。


 石田佐が体の向きを変えた。

 「武藤佐。

 私が、坪内佐、武藤佐の管轄を侵した部分があることは、あらかじめ謝っておく。

 今回のアメリカで事件については、アメリカの庭場での話だから、尻拭いは向こうでしてくれるよう、私が話をつけてきてしまった。

 ただ、それは、我々が身元を明かした公式訪問で客の立場にあったこと、この三人の連携でアメリカ側の人員の実質的な活動が不要となり、表面上何事も起きなかったという結末にできたからこそ可能だったことだ。

 アメリカの立場としては、自らの庭場での同盟国同士の争いは困ると。

 どちらかの味方をするつもりもないし、一線を超えない限り静観に徹するということだ。

 したがって、向こうが威力偵察等の実力行使に入った場合は、ホストの責任としてその排除を行うが、あくまで状況偵察に徹した場合は、アメリカ側の人員は最後まで何もしないということになる。

 なので、この三人が即応できなかった場合、今、この場に『送り狼』がいたことは確実だ。

 その『送り狼』がここで武藤佐を見たら、即、去年の情報の洗い直しが行われていただろう。そうなれば、去年の工作はすべて水の泡になるところだった。

 大立ち回りこそなかったにせよ、危険度としては確実に一昨年を超え、昨年のものに匹敵するものだった。

 この三人は、自らの身と『つはものとねり』を守ったということだ。

 そこで、一つ言っておきたい。

 結果として今回も一本取ったとはいえ、一年に一回のペースでのこのような実戦は、いくらなんでも多すぎる。

 だから、それに加えての過酷な訓練が、この子たちの過重負担となって慢性的なPTSDを引き起す可能性を私は危懼する。

 レンジャー過程などの過酷な訓練は、いかに強い意志だとしても、極限状態の中では折れてしまうことを知るためにあると言ってもいい。その中から次の強い意志と自信が生まれるのが事実でも、折れて戻れない人員もいるのは知ってのとおりだ。

 とにかく、武藤佐、この状況下で早く一人前にしたいのは解るが、若すぎる双海君と美岬さんのモチベーションの元だけは、絶対に破壊しないように気をつけて欲しい。

 それさえあれば、君達が大丈夫だったように、この三人も最後まで大丈夫だ」

 「了解しました」

 武藤佐の声、いつもと違う。いつもより、冷徹さが少ない気がする。


 石田佐……。

 本当に、あなたは何者なんですか?

 いくつの顔を持っているのですか?

 「あのときは、私も大変だったんだよ」って言ってましたね。美岬の両親の仲も、もしかしたらあなたが最終的には取り持ったのですか?

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