第27話 戦闘開始


 MacBookのディスプレイは開けている。パリへ再接続。

 慧思は、自分のスマホで坪内佐に事情を説明する。

 「美岬さんは、私の祖父の誘拐の報告を聞いて、飛び出して行ってしまいました。それを止めようとした双海は、不意を突かれ後ろから襲われて重傷です。至急、医師の手配をお願いします。右腕のじん帯損傷以外に、内臓の損傷の可能性があります。

 申し訳ありませんが、私はトイレで席を外していました」


 坪内佐の声が、焦りを帯びた。

 「なぜ、そこまで刹那的な行動をとった? なにか、切っ掛けがあったのか?」

 切っ掛けだと? 起きたこと全部だ全部、という言葉を飲み込む。

 なんて茶番だ。

 ソファでひっくり返って天井を見ながら思う。

 でも、慧思が上手くやるはずだ。


 「やはり、私の祖父が拉致されたこと、拉致されたとねりが意識不明だったことかと」

 「困ったことになった。なによりも、菊池君の祖父が誘拐されて、この上、美岬さんまで捕まってしまったら打つ手が限定されてしまう。彼女の服装は? 捜索情報だ、至急確認を」

 「どの服を着ていったかは、判りようがありません。それまで着ていた服は、脱ぎ捨てられていました。そして、美岬さんの持っているすべての服を分かっていないので、消去法でも割り出しは無理です」

 「人相は分っているから、それを元に至急手配する。その他、何か必要なことは?」

 「……あんたたちがしっかりやってくれていれば、こんな事態にならなかったんだよ」

 慧思の口調が変わる。


 「黙れ」

 回答は短かった。そして、電話は切られた。

 美岬は、探知機に反応するアクセサリーのどれかを付けているはずだ。

 セカンドプランでの、武藤佐から坪内佐への要請は、探知結果を俺たちに知らせること。


 今、美岬の母親がこれを聞けているかは判らない。でも、情報は流れたんじゃないだろうか。

 慧思の最後の一言はダメ押しだ。

 今話したことは、すべて茶番だということを、坪内佐に明らかにした。必要なかったとも思うけど、盗聴している敵には誤解して貰わないとね。ちょっと、あざといけれど。

 そう、今、慧思の携帯の電波から、相手へ情報は流れたんだ。

 事態は一気に動く。



 − − − − − − − − − − − − 


 馬鹿な奴らだと思う。

 何より覚悟がない。


 超能力という与太話と、娘一人を人質にするという脅しだけでS国での活動が停止してしまった。

 申し訳程度に残っている工作員が動いてはいるが、先日までの積極性が全くない。平和ボケの国と言われているが、想像を絶するレベルの愚かさだ。

 今回の計画は、逆らったらこうなるぞというブラフの意味合いが大きかった。次からは、日本諜報機関の上部構成員のみならず要人までがターゲットにして、本来の作戦に移るはずだった。

 ところが、そのブラフの段階で、日本の機関は折れてしまったのだ。


 そもそも、日本の中東に展開した部隊のトップが女だというのが笑わせる。

 自分の娘と国家を天秤にかけて、どちらを取るか決断できないような女を、判断と責任の重責がかかるトップに据えるのが間違っている。


 我が国の長い時間をかけた工作で、日本の政権も官僚も骨を抜くことに成功したとは思っていたが、ここまで堕落していたとは思わなかった。政権は再び保守に戻っているが、もはや手遅れだ。政権交代時に、重要機密類はすでに押さえている。


 S国での日本の悪あがき、ひいては中東全体の活動、それを私が封じ込めれば日本も国として終わりと言ってよい。石油を失った日本など、さらに恐れるに足らない。

 南沙で石油輸送路を狭めるなどという迂遠なことをしなくても、中東から日本の影響力を取り除いた上で、石油関係の生産でも運輸でも、然るべき人間に幾らか握らせればことは済んでしまう。


 極めて簡単なことなのに、誰もやらなかった。

 だから、私がそれをしたのだ。

 そして、もはや、先は見えた。

 党の持つ軍事力は強大だ。それに対して、地域軍閥程度の影響力でも確保しようと思たら、何らかの実績を上げなければならない。

 日本に止めを刺した私の、党内での発言力は大きく上昇するはずだ。


 そうしたら、日本政府に対し、諸外国での利権の全てから手を退けと公式に言ってやれる。

 そう、私が言うのだ。


 そして、更に数年後は、我が国の一つの省としてアメリカへの前線基地にしてやる。女子供はテロの捨て駒や弾避けに、男は兵力として、一億二千万を惜しくない戦力としてすり潰せるのだから、いくらアメリカとはいえ恐れるに足らない。

 一方でアメリカも、一億以上の人口の民族をまるまる殲滅する勇気などすでに持てないほど堕落している。


 だから、そこまで行けば、すべて私の思うがままだ。

 国家主席どころか、「皇帝」の称号すら夢ではなくなる。



 我が国の人口は、多い。多すぎるほどだ。

 そのために、常人とは異なった能力を持つ、特異能力者も一定割合で現れる。通常は党が一元的に管理・教育しているが、そのチェックから漏れた一級品を入手できたのだから運が巡ってきたのだ。

 本来であれば、党に報告するのが筋だが、私は賭けたのだ。党に発見されないよう、細心の機密保持につとめながら教育し、育て上げてきた苦労が、今、報われようとしている。

 そう、賭けに勝ったのだ。



 指先の感覚が極めて鋭敏で、生まれつき生体の電位を指先で感じることができた娘、美齢メイリン

 しかし、あまりに内向的で、感じたことを表現することもできなかったゆえに、特異能力者として認められなかった。


 美齢には、触れる相手の感情の起伏、それ自体が過剰な刺激であり、愛憎の種類とその刺激の違いを学習する前に性格が形成されてしまった。

 自分の世話をする母親の感情、幼児同士のじゃれあいの全てが美齢にとって恐怖でしかなく、他者をひたすらに拒絶するようになってしまったのだ。結果として、常に怯える娘を、母親ですら持て余すようになっていった。


 無言でただ怯えの表情を浮かべるだけの美齢を、私も特異能力者だと確信があったわけではない。

 その怯えた表情が、さらに恐怖に歪むのを私は見たかった。

 嗜虐をそそる、その表情が買えればよかったのだ。


 ハシタ金で親から引き離したが、親もこの取引には積極的だった。

 その後、その存在が露見しないように、独自に教育を施した。


 結果として、美齢は優れた能力を持っていた。

 なので、嗜虐の欲望は満たせなかったものの、自らの人生を変え得るほどの大当たりを得た。

 超能力などという与太話にせざるを得なかったのは、美齢の存在を隠しとおすためだ。

 敵よりも、本国からだ。

 部下とて信用できない以上、おとぎ話を聞かせておくに限る。どちらにせよ、この与太話で各所のつじつまが全部合うのだから、良い思いつきだった。


 日本の諜報機関の、中東に対する布陣が漏れてくるのに一ヶ月。その後、裏を取り、過去のデータから派遣されている人員の洗い出しとその対応策の策定に一ヶ月。パリに美齢を潜り込ませて、日本の組織のトップの武藤という女に接近させてから四ヶ月。

 一週間に一度以上の接触を持たせたが、さすがに、四ヶ月で武藤の口が軽くなることはなく、具体的な機密情報が漏らされることはなかった。が、美齢の能力を乾坤一擲に使うことで、相手の牽制に成功している。

 武藤の視覚と思考を抜き取り送りつけてやったこと、その娘の殺害予告をしたこと、それらがここまで効いてくるとは思わなかった。


 もっとも、美齢の能力は一級品のはずだったが、初めての実戦投入の緊張からか、読み込んだ視覚情報の色彩は使い物にならなかった。もしも、美齢が正確に読み込んでいるのだとしたら、あの武藤という女は色覚異常だったということになる。

 指揮官が障害を持っているなど、我が国ならばありえないことだ。それとも、本人すら異常に気がついていないのか?

 結果して、着色を抜いたスケッチを描かせたものを送りつけざるを得なかった。



 そして、先ほど。

 我ながら臨機応変の処置で、娘と行動を共にしているガキの祖父の身柄を押さえた。ばたばたと付け焼き刃で身柄の保護などするから、こちらに付け入ることが可能な隙が生じるのだ。

 今までの行動からその愚かさは解っていたが、予想どおりの愚かさを露呈してくれるのはありがたい。


 愚かといえば、武藤の娘も冷静さを失っている。身柄の確保は時間の問題だろう。そもそも、こちらに捕まりたいのだから。そして、それが死と同義ということに考えが至っていない。もしくは、日本の馬鹿どもによく見られる傾向だが、死を美化して現実感を失っている。

 時間と人員に余裕があれば、愚かな娘の目の前で人質にとった爺いを殺し、自分の取った行動に何の意味もないことを教育してやれたのだが……。死の絶望を理解させたあとで、ゆっくりと殺してやれれば、より良かったというものだ。



 日本側を踊らせるために、くれてやった情報もあるにはある。しかし、我が国とS国との情報経路とその人材の情報など、くれてやっても問題はない。なぜならば、中東から撤退せざるをえないのだから、日本にとっては意味のない情報にしかならない。実質、我が方の損害はないに等しい。


 まぁ、もともと骨の抜かれた国家に、大した行動力がある訳でもない。注意をせねばならないのは、日本の裏側にいるアメリカを刺激しすぎないことだ。

 だが、そのアメリカさえ、去年、S国へ派遣された日本の連中に対しては失態ともいうべき事件を起こしているではないか。それも、囮に食いつくという最悪の形でだ。

 あの程度の連中が考える囮作戦と、同じ陣営側にいながらその作戦に誤って乗せられるアメリカという国の劣化は、極めて著しい。


 おそらく、日本がS国に展開した部隊を、鏖殺おうさつしてもアメリカは何も言ってこないだろう。むしろ、自分たちを嵌めた連中がいなくなって、メンツを保てて安堵するはずだ。

 あんな部隊でも日本ではマシな方なのだろうし、実際、末端の工作員たちはよく訓練されていた。だが、私のように事態を見抜き、断固とした決断ができる人間に指揮されているわけではない。 

 兵は指揮をする者で決まる。

 羊に指揮された虎より、虎に指揮された羊を恐れるべきなのだ。



 携帯が鳴る。部下の報告は短かった。

 「娘が巣から出ました。いつでも確保可能です。爺いはどうしますか?」

 「娘は、少し追いつめてから確保しろ。怖がらせて絶望させてからの方が扱いやすい。爺いは弾代すら勿体ない。どこへでも放り出せ」


 別の部下からの報告も来た。   

 「巣を監視している班からの報告です。連中、娘を見失って仲間割れを始めてます。仲間割れで、重傷者まで出している模様」

 チェックメイト、だな。ふん、西洋かぶれのチェスなどやらんが、語感は捨てたものでもない。

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