第23話 彼女の決断


 などと考えている間に、再び電話が鳴る。

 再び慧思が出た。

 「えっ、マジっすか……」

 復唱どうした?


 そのまま、呆然と受話器を置く。

 「祖父を保護して東京まで送ってきて、拉致されたバディが発見されたって。意識不明だそうだ。事情の聞き取りは現在不可能、状況は不明」

 ぐっ、何しやがったんだろう、てか、二人でいても相手に抵抗できなかったんだろうか。

 頭の中で、いろいろな疑問がぐるぐる回る。


 ふと、視界の隅で動くものを感じて美岬を見た。

 美岬の手がTXαに、そろっと伸びている。

 その瞬間、さっき自分で見た光景がフラッシュバックする。

 なぜ美岬は、MacBookを強制スリープさせた?

 一瞬ですべてを理解する。


 現在のセカンドプラン、すなわち美岬自身が人質になる計画に、自分の判断だけで強制移行するつもりだ。


 ダメだ!

 俺の両手を、薬の包みを押さえるために伸ばす。


 次の瞬間、薬の真上で、座ったままの美岬の手が俺の指に触れたかと思ったら、手首から肘、肩に激痛が走った。俺の関節、こんなとこまで逆に曲がるんだ……。

 感動の発見のすぐ後には、目の前があまりの痛みで真っ白になる。それでも薬から手は離さない。離さないと決めたからだ。

 折るなら、折れ。俺は、離さない。


 慧思が事態を察したのだろう。美岬を止めるために立ち上がって、俺から受け取るために薬に手を伸ばす。

 美岬の右手は俺の腕を極めたまま、左手だけであっけなく慧思の小手を返して投げ、投げた先が俺の身体。


 慧思と絡み合って、床に倒れこむ。

 次の瞬間、ひったくられる薬、抱え込まれるアクセサリー類。


 慧思が四つん這いのまま、飛び退くように俺から離れる。俺は、必死で部屋の出口に移動する。文字どおりの移動。歩くなんてできる余裕はない。床に転げた姿から、四つん這いで走ったんだか、転がったんだかすら覚えがない。


 間に合った。


 単に、俺の方がドアに近い位置にいたというアドバンテージがあったから。

 美岬が部屋から出る前にドアの前。まだ、立ち上がっていないけどな。右手は激痛が引いていない。

 美岬が腰を落とす。荷物を持っていない片手だけで構える。

 やる気だ。

 膝立ちの、半身破壊済みの相手に対して、あまりに容赦がない。


 やっと、眼と眼が合う。

 泣いているんじゃねーよ。泣きたいのはこっちだ。

 気持ちの問題だけで泣きたいのはおあいこなのに、こちとらそれに加えて動かない右腕の痛みで泣きたい。というより悲鳴をあげて転がり回りたいぐらい痛い。


 「頼むから聞いてくれ」

 慧思が態勢を整えるまで、時間を稼がねば。

 くそっ、今の考え、読まれちまったようだ。

 視線を慧思に向けないようにしたのに。

 「その気はありません。そこをどいて」

 「俺は動かない」

 俺はどうやっても動かない右腕を諦めて、左腕を上げる。せめて、間合いを測らねば。

 遠藤さんから、俺はまだ、受け身しか習っていない。それでも、美岬との身長差が二十センチはある。俺が、たとえ倒れてでもここを動かなければ、美岬は部屋から、この家から出られないはずだ。


 涙に満ちた美岬の目が、更に一回り大きくなったような気がした。

 荒ぶる女神。

 逆鱗に触れたものをすべて踏みつぶす、怒りの女神。

 こんな時ですら、いや、こんな時だからかもしれない。美岬は美しい。

 凛とした、という表現では十分ではない。厳としてそこに在り、怒りの雷を撃ち下ろす女神。

 一瞬だけど、俺は見惚れた。


 あれっ、俺、美岬を見ていたはずなのに、なんで天井を見ているんだろう?

 あれっ、なんで息ができないんだろう。

 天井と俺の顔の間に、美岬の顔が割り込む。唇が「ごめんね」と形作るのを見て、俺は自分の意識を手放した。

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