第12話 作戦会議、のようなもの 推理


 「ええい、次行くぞ、次。味覚は?」

 「却下!」

 慧思も間髪を入れない。雰囲気を変えようとしているな、こいつも。

 「聴覚?」

 「判るけど、判らない」

 「どういう意味だ?」

 慧思に聞く。


 「武藤佐の部屋の中の行動音を聞けたとしたら、部屋の反響とかから、すべて判ると思う。潜水艦が、アクティブソナーの反射音でいろいろ判ったり、コウモリが暗闇の中で超音波を出して飛ぶみたいな感じで、三次元での図を書くことも造作ないだろ。音響の分析技術ってやたら進歩しているし、録音技術も高いから、必ずしも敏感な五感を持つ者を必要としないし。

 で、一つめの問題点なんだけど、判りすぎることかもな」

 「だから、その判りすぎるという意味が分からん」

 「机が、木かスチールかが判っちゃうんだよ。超音波をぶつけて戻ってくる反響音は、ぶつけられた対象の音が混じるんだよ。どんな物質も固有振動を持っているから、その音を聴き分けられちまう。視点の高さの問題も生じない。最初から3Dで描かれちゃうからな」

 なるほどな、理解した。


 「凄えな、お前さんは聴き分けられるのか」

 慧思が、呆れ返ったように言う。

 「お前な、いい加減にしろよ。

 そこらにいくらでもいるクラシックマニアは、残響からどこの演奏ホールの録音かを聴き分けるぞ。だいたい、うちの市の音楽センターが、老朽化で席によって音が変わるから建て替えようって言われているのを知っているだろうに。

 それに、オーディオマニアが、スピーカーのエッジがウレタンかゴムか、みたいに再生音に混じる固有振動を聴き分けるなんて、初歩らしい。

 お前みたいな嗅覚の持ち主に、当たり前のことを『凄え』とか言われても、バカにされているようにしか聞こえんわ」

 「ああ、そーなんですか、申し訳ない。じゃあ、それって俺でも判るん?」

 「判るだろ、あんだけ違えば。

 判る判んないじゃなくて、その違いを意識して聴き比べたことがあるかどうかだけだよ。お前や美岬ちゃんのとは、根本的に異なるレベルの話なんだ。一千万人に一人なら特異能力だろうけど、十人に一人とか百人に一人じゃあなぁ」

 そか、こいつ、スピーカーの会社ごとの音とかも聞き分けられるんだったよな。で、一昔前に、オーディオが流行っていた頃、それを趣味にしていた人は、判ってたんだ。なんか、すげーな、人間の耳。

 逆に、一千万人に一人の聴覚と言ったら、どんなレベルになるのだろうな。


 慧思が続ける。

 「だからよ、音の反射で部屋の広さも、壁の材質も、部屋のどこに何かがあるかも、反射音をコンピュータで分析して再構成すりゃ判るけど、同時にある程度素材もみんな判っちまう。また、特殊な能力で聴覚が異常発達した人でも判るかもしれないけれど、どっちにせよ、このスケッチでは堅いもの、柔らかいものが同じ線で均等に描かれていて、素材感がないということは、聴覚じゃないかもな、とは言えるぜ。

 だけどだなぁ、そもそもだけど、武藤佐の行動音を分析できるほどマイクの設置ができるのであれば、光ファイバー差し込んで部屋を見た方が百万倍も早いぞ」

 慧思の当然過ぎる結論に、うっとなった。


 「それ自体がワナってことは? 手心加えて描いた可能性ってことだけど」

 一応、確認をするために、口を挟む。


 「相手がブラフのつもりならば、中途半端な情報出すより、正確に判る方が脅威だからなぁ。最大限、分かっている情報を出すんじゃね?

 だってさ、組織の機密を守るという意味で、部屋を見られたのは大騒ぎだけど、部屋の情報自体は何の意味もないよな。部屋は部屋にしか過ぎない。

 国家の秘密とかであれば、手の読み合いになるし、相手に出してみせる情報も考慮するだろうけど、今回のはそういうのじゃないだろ? 探知能力の誇示のはずだ。机の上の書類を読んで見せるくらいの、えげつない内容があってもいいくらいだ」

 「なるほど、納得。

 最後、触覚。却下かな?」

 「無理すぎるな。建物を外から撫で回すとか、論外だろ。

 武藤佐を撫で回すのも、物理的に無理。

 となると、やはり、感覚説は御破算にするか、視覚と聴覚をもう一度再検討するかだな」


 ここでまた、美岬が口を挟んだ。

 「ちょっと待って。

 話を一つ前に戻そうよ。

 情報の由来は、すべて母だという可能性があるんでしょ? 母が裏切って、直接部屋の情報を提供するということ以外に、母の意思に関係なく情報を抜けるかどうかという、そちらの角度からも考えなきゃいけないじゃない?

 かなりの訓練を積んでいる母から意識をさせずに情報を得るというのは、何らかの手段が必要で、触ることで母から情報を得るという可能性は除外するべきではないと思うんだけど」


 むう、美岬の母親の思考自体を直接覗くという可能性か。

 そうは言ったって、そもそもあの人に触るってのがそもそも難しいぞ。

 テレパスなんて結論じゃあ、超能力を否定して超能力にたどり着く堂々巡りだ。

 他に立てられる仮説はあるのか?


 頭の中で、いろいろな可能性を反芻する。

 としても、嗅覚、視覚、聴覚は、無理だな。それに、いくらなんでも、赤の他人から黙って舐められている武藤佐の姿は、どうやっても想像できないので、味覚も却下。

 やはり、触覚?

 としたら、どうやって?

 どう考えたって、黙って触られてる人間じゃないぞ。



 美岬が言う。

 「もしかしたら、あの狭い部屋で仕事をしていると、やっぱり相当のストレスが溜まって、帰りにジムで身体を動かして帰っているんじゃないかな?

 母も、作戦遂行能力を持っているから」

 作戦遂行能力を持つ者は、それを維持するため毎日一定のトレーニングが義務付けられている。月に最低一回は、実弾射撃も予定に入っている。


 慧思がそれを受ける。

 「インストラクターか? 運動後のマッサージとして、首から頭にも触れることができるな」

 俺も、考えが頭の中で形になる。

 「ああ、座り仕事みたいで身体が凝ってますねぇ、なんて話しかければ、仕事部屋のことを否応なく思い浮かべざるを得ないよな」

 「なるほど、そのラインで検討するけど、まず、触覚で他人の脳波が判るものだろうか?」


 「思考って、感じられるもんかな?」

 いきなり疑問に疑問を返して、それはないだろ、慧思よ。

 「ちょっと待て。

 自分で言っておいてなんだが、そこまで先走るなよ。触覚で脳波が分かるか、更に、その脳波から思考という情報を抜けるかという段階を飛ばすな」


 こいつ、俺の指摘にあっさりと答えやがった。

 「抜けるんじゃね?」

 なぜ、そんな簡単に言える?

 「個人差はあるだろうけど。確か、脳波によるパソコン入力技術、いいとこまで行っていたよな。逆ができないとは思えない。ブレイン・マシン・インターフェイスって読んだぞ、なんかで」

 思わず、突っ込む。

 「おいおい、結論が前向きだな?」

 「期間を考えてくれ。もしかしたら、半年かけて精査したんじゃないのか」

 ああっ、なるほどなぁ。


 やっぱり流石だよ、こいつ。

 技術論だと、汎用性を無意識に考えちまう。

 でも、今回の場合はそれを切り捨てて、あくまで美岬の母親のみに解析を集中する前提で考えるべきなんだ。

 しかも、慧思は時間もかけられる可能性を考慮している。


 こうなると、もう慧思劇場だ。

 「具体的に整理するぜ。

 半年前、美岬の母親さんがパリに着く。その時から、虎視眈々と身体に触れる機会を狙っていたと。くそっ、……なんか卑猥だな。

 俺と双海が、無意識に拒絶するわけだ。敵を自分と同性に想定するのは、思い込みってヤツだな。直さないといけない癖だ。

 美岬ちゃんは、敵が女って可能性に自然に行き着けるだろうから、不思議でもなんでもなかった、と。

 で、パリらしくジゴロ的な手段も用意したかもだけど、ジム通いしてくれたんで、あっさりと方針が決まったと。

 あとは、そういうことができる人材が多いとは思えないから、女性しかいないかもだけど。

 で、首から上のマッサージしながら話しかけ、フィードバックを繰り返して情報精度を高めて行ったってことか。で、手の平から分かる脳波を自分の中で情報として再構成して、絵に描いたと。

 よし、それができないとも言い切れない仮説は立てた。

 問題はもう一つ、この方法論で、美岬の母親さんの出す指示が予測できるもんだろうか?」


 「できるでしょうね……」

 ん? 俺と慧思は、またもや唐突に発言した美岬を見た。

 今回、俺と慧思が話し合い、土台となりそうな案が出ると、美岬がそれを補強し、仕上げるという流れがある。今回もか?


 「まずは一つ目よ。

 私たちが、どこの国を相手にしているか、解っているよね。

 優れた鍼灸師は、体表の微妙な電位差を指先で感じて、ツボを見つけて針を打つって聞いたことがある。だから、ツボや経絡の位置に個人差があっても、的確な治療ができるんだって。

 鍼灸師という職業に就いている人全員が分かるとは言わないけれど、真や私と同じ程度まで触覚が敏感な人であれば、脳波を読むというのは難しくないんじゃないのかな?

 これから言うのは、あくまでざっくりした推論よ。正確な数字じゃないけど、聞いて。

 生物の授業で、ナトリウムポンプってやったじゃない。あれで細胞の内外に60mVの電圧が掛かっているって。ツボや経絡の電圧差がその1割だとしたら、6mVの差を鍼灸師の人たちは手で触って分かることになるよね。

 あと、脳波が20μVって、健康診断のときに検査技師の人から聞いた」


 言いながら、美岬の視線が宙を漂う。

 話しながら、さらに考えを纏めているのだ。

 その表情を見ながら、別のことが俺の頭をよぎる。

 そうか、学校で無視され続けていても、誰かと話したかったんだ、美岬は……。それが検診の時の一瞬の相手であっても。


 「私の能力は質に依存するけれど、真の能力は量の問題だよね。いかに少なくても感知できるかってこと。

 真の能力が犬並みっていうのであれば、普通の人の1億分の1の量の匂いを感じていることになる。となると、6mVの1億分の1の電圧ってことになるから、脳波の20μVは当たり前に分かることになるよね。

 当然、菊池くんの言うとおり、ジムでってことになれば、加湿器なんかもあったりして静電気の影響とか、ノイズを排除できる前提も整えやすいと思う。

 ともかくさ、あの国は、紀元前からの鍼灸の発祥の地だし、その国家的な教育体制の中で、発見された才能をスカウトして磨くということも結構あり得る話だと思うんだよね。

 二つ目。

 これは、前に真が、私に言ったことなんだけど……」

 なにを言った、俺? 怪訝そうな表情を美岬に読まれたのだろう。俺と慧思を交互に見て続ける。


 「忘れられないから、それをもう一度言うね。

 真は、『嗅覚の世界って豊かなんだよ。悪臭もあるけれど、良い匂いもある。その種類ったらとんでもない。壁の向こう側まで立体的に描かれる、視覚以上の華やかさなんだよ。その華やかさを、普通の人は知らない。だからと言って、それを知っているのはチートじゃないよね』って、言ったんだよ」

 あ、なんてことを覚えていやがる。あの時、美岬を安心させたい一心で言った台詞じゃねーか。

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