第9話 事件発生
翌朝。
教室に入るなり、近藤さんに話しかけられた。いつものように、武藤さんはまだ来ていない。
近藤さんは、普通に美人とか可愛いとかの属性も多いといっていいけど、それを超えて落ち着きと言うか、女性の芯の強さ的な頼りがいがある雰囲気を持っている。
生まれながらの学級委員タイプだ。
やっぱり、「包み込むような優しさ」という角度も女性の武器だよなー。結構、最強めの。なんか、もう、「お母さんのベテラン?」的な空気があって、クラス委員の選挙のとき、ぶっちぎりで得票数一位だった。俺も知りもしないまま投票したもんな。
成績も良くて、先生からの覚えも良い。非常に失礼だけど、歳を取って腹回りに脂肪がついて来る頃には、今以上に周りから慕われるだろう。
「おはよー。昨日のことなんだけど。文化祭の委員、双海くんと武藤さんにお願いしちゃったことなんだけど……」
「おはよ。で?」
「武藤さんについて、私たち、いろいろ聞かされていたけども、それって、本当だったのかな?
ずっと話さなかったじゃない。それなのに、一緒に役員をお願いしちゃったからさ」
……答えようがない。ただ、俺のことも心配してくれているのは、とてもよく解る。
だから、俺も正直に答えた。
「判らないな。本当に判断できないんだ。けど、しばらくは普通に接してみようとは思う。もっとも、女子同士みたいな声の掛け方はできないけどさ」
「私たち、お弁当食べる時とか、『一緒に食べよ?』って、誘ってみようと思っているの。大丈夫かな?」
近藤さんの、クラス委員としての責任感って奴だろうか。
ここで、姉の言葉を思い出した。情報共有だよな。
「うん、そうしてあげて。で、こちらも文化祭の委員で一緒になることあるから、いろいろなことの情報を共有しておこうよ。しばらくの間だけでもさ。
何もなければいいし、あれば味方が多い方がいいし。そうしとけば、大丈夫じゃないかな。こういう時にラインは怖いから、メアドを送るけれど?」
近藤さんは安心した顔になった。
そのままメアド交換。女子のメアド、ゲットぉ。
近藤さんに対して下心があるわけではないけれど、ちょっとうれしい。俺だって、男子だ、許して欲しい。
じゃ、よろしく、とかなんとか雑談をしていると、武藤さんが教室に入って来た。と、ほぼ同時にチャイム。
毎日いいタイミングだなぁ。
朝のホームルームで、文化祭の準備のことをクラス全員に話す。切り出したのは俺だけど、一回話を振ったらそのまま最後まで武藤さんが話した。クラスの中の雰囲気は、「えっ?」と「あれっ?」で満たされていた。
つか、オイ、コラ、担任、お前まで驚いてるんじゃねぇ。
お昼休み。
近藤さんのグループで、彼女は普通にしゃべっていた。のみならず、彼女を中心に笑いが起きている。
華やかで良かったですこと。
こちとらまた、ぼそぼそフランスパン齧ってるってーのに。
まぁ、男は女子ほどつるんで飯を食わないけどな。
俺はね、この段階ではまだ、めでたしめでたしなんだと考えられなかった。
たぶん、一緒に笑っていたクラスの女子もだ。
― ― ― ― ―
それから三日が過ぎ、金曜日。
もう、クラスの誰もが、四月から良い仲間だったと勘違いするほど、武藤さんはクラスに自然に溶け込んでいる状況だった。
俺は、文化祭実行委員の打ち合わせも終り、今週はもう話しかける話題を失っていた。
彼女の位置は、よく言えば孤高、悪く言えば「ぼっち」から大きく変化していた。
しかし、放課後。事件は起きた。
金曜の放課後ってのは、引けが早い。開放感が違うのだろうな。
帰る奴はすぐに帰っちまうし、部活の奴も当然部室やグランドへ移動する。掃除は、まぁ、金曜は誰もしたことがない。我が校は自由な校風であり、自己の責任において、以下、うんぬんかんぬん。
武藤さんも、いつもなら終業と同時にクラスを出るはずだけど、日直だったので黒板を拭き、黒板拭きをきれいにしていた。隅から隅まで、きちんときれいにするよなぁ、とじろじろにならないように、適度に武藤さんの姿を眺める。
それだけで、なんとなく嬉しい。
俺って、自覚してなかったけど、ストーカーの気質あるのかな?
それとも、このくらいならまだ正常の内?
そんなこと考えていたら、不意に、隣のクラスの男子三名が入ってきて、武藤さんを取り囲んだ。
一歩遅れて、何食わぬ顔のサトシもなんかの雑誌を抱えて入って来て、俺の横の机に腰をかける。そして、少し前屈みになって俺の耳元で「レコーダー?」とつぶやいた。
俺はすぐにポケットの中で録音スイッチを入れる。そして、お互い、称賛のまなざしを交わし合う。
俺の称賛は「何か起きるのがよく分かったな&いいタイミングで知らせてくれた」であり、サトシのは「ICレコーダーが即座に録音可能で、その集音マイクが半袖ワイシャツの胸からのぞいている」という用意周到さについてだ。
毎日、手を抜かずにICレコーダーをセットし続けるってのは、予想以上に大変だった。着替え前提の体育もあるしな。
「武藤さん、話があるんだけれど」
切り口上で一人が言う。
「なに?」
いつもより低い声で、問い返す。アドレナリンのにおいを感じる。空気の流れがあまりなくて、武藤さん、隣のクラスの男子のどちらのものかは判らない。
俺は、サトシが持って来た雑誌を左手でぱらぱらめくる擬態にいそしみながら、右手はさりげなくマイクの指向性をチェックした。サトシも、横から雑誌を覗き込む擬態に余念がない。
でもな、この雑誌が日経トレンディ、しかも二ヶ月前のってどんな選択なんだ、お前は。ビジネス誌じゃねーか。
クラスにいた帰りそびれの数人も、同じく耳を澄ませているのが分る。
「ここんところ、調子に乗っているらしいじゃん?」
「別に」
武藤さんは短く答える。
なんか、どっかの女優みたいな応答だ。
多分、彼女を問いつめている奴は、この話を俺たちに聞かせたがっている。
再び、一日中、口を利かない生活に戻れと、そして、俺たちにも話しかけるなと。そう言いたいのだ。
「うちの伯父、倒れてからは廃人同様でさあ。武藤さんのことを、周りを不幸にする悪魔だとそればっかり言ってる。武藤さんも知ってのとおりだよ」
だんだん声がでかくなる。ふーん、男三人で来て、周りも味方につけて、女子一人を孤立させるんだ。
美しくねーな、てめーらのやる事は。
怒りよりも軽蔑が胸に湧くよ。
サトシが、日経トレンディの、情報端末の比較記事の「工場」という単語に指を差した。俺も頷く。過去の工場見学の件かと確認し合ったのだ。でも、外目には、金もないのにタブレット談義しているように見えるだろうな。
でも、サトシよ。
これだけデカイ声で向こうがしゃべっていると、その擬態の方がかえって不自然じゃないか?
「私は悪魔じゃない」
落ち着いた声で武藤さんが返す。気のせいだろうか。アドレナリンに加えて、涙のにおいを感じる。
「武藤さんは、人を不幸にするんだよ」
断定は別の声だ。
「人を不幸にするんだから、人と関わっちゃいけないんだよ。伯父も、俺の忠告を聞かなかったタクヤも、教育実習の大学生も、そして、次の犠牲の誰かも、武藤さんと関わらなきゃ良かったんだ」
空気に流れているアドレナリンのにおいが消えた。アドレナリンのにおい、俺の感性としては熱くて酸っぱくて、小動物が怯えている時のイメージなんだけど、それがなぜかすっと消えた。
「伯父は、今でも武藤さんのことを悪魔だとうわごとのように言い続けている廃人だし、タクヤがどこに引っ越して行ったかも判りゃしない。
名前も知らないけど、自殺したんだってな、教育実習の大学生。そうだ、いっそのこと、武藤さんも死んじゃえば」
……痛恨の不覚。
「てめぇら、人のクラスで何言ってるんだよ! ふざけんな、出てけ、バカ野郎!」
気がついたら、そう怒鳴っていた。「死」で冷静さを失うか、やっぱり俺は。
横でサトシが「よくやった」と「やれやれ」という二つの表情が混じり合った顔をしていたけど、「やれやれ」だけではないのが瞬時に見て取れたので、そのまま強気に行くことにした。てか、もう、引き下がれないだろ、怒鳴っちまったもんは。
怒鳴ったのは、高校では初めてだな、などと頭のどこかで考えながら続ける。
「そういうやり口はガキのイジメと同じだがな、いい歳してやれば、傷つく方はガキん時よりもっと傷つくんだぞ。二度とこのクラスの敷居を跨ぐな!」
とまぁ、それなりに迫力を出したつもりで、怒鳴り足したと思ってくれ。
だが、悔しいことに相手は動じなかった。まぁ、向こうは三人だしな。
「次の犠牲者候補の双海君、卵焼きで命を奪われないように。忠告はしましたよ」
いやらしい物言いだ。
「余計なお世話だ、出て行け」
俺も、今度は怒鳴らずに低くそう言って、廊下の方に手を差し伸べた。相手の小憎らしさが、俺を冷静にさせた。
熱くなって空回り、これだけは避けなきゃな。
残っていた数人のクラスメイトの目も相当に厳しかったのだろう。それ以上は何も言わず、三人は出て行った。
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