第6話 情報料は払おう


 視聴覚教室を出ると、サトシが待っていたかのように通りかかった。

 「おう、一緒に帰ろうぜ」

 と声をかけてくる。

 「コーヒー付き合うなら、一緒に帰ってやる」

 そう軽く返す。


 サトシとは同じ中学出身なんだから、当然帰宅は同方向だ。

 「そうか。たまには、おごってやろう」

 俺は揉み手をしてみせる。

 「こりゃ、どうも、おありがたいこって」

 武藤さんもと考えないではなかったけど、サトシにその分までおごらせることはできない。

 というより、おそらく、武藤さんから俺を引き剥がす気で声を掛けている。


 「武藤さん、じゃあ」

 「ええ、また」

 彼女は軽く手を振ると、帰って行った。

 後ろ姿も、綺麗だった。

 つま先まで神経が通っている歩き方をしている。たいていの女子は、つま先が歩むごとに外を向いたり内を向いたり、安定しないもんだけどな。

 バレエって雰囲気でもないし、日舞でもしていたんだろうか? それとも、ひょっとして何かの武道?


 「お前、策士だな。中学の仲間に知らせたら、器ビッグ・サトシになれる」

 「語呂の座りが悪いな。

 ま、見抜いているよな。おごりは無しだ」

 武藤さんと俺を引き離すために、サトシは一芝居打ったのだ。で、おごるなどと、今までの付き合いで初めて言ったのだ。


 ケチだからな、こいつ。


 しかし、そのためにメールでなく、声をかけるシークエンスの必要が生じていて、それを実行しているのだから、超合理的な野郎だ。俺が「コーヒー付き合うなら一緒に帰ってやる」と言わなかったら、自分でおごってやると言いだしたのだろうし、俺が言いそうな台詞を予想していた部分もあるんだろう。


 自転車置き場に向かって、歩きながら話す。

 「後ろ姿に、見とれていたな」

 サトシが早速、突っ込んでくる。

 「うるせぇ、お前さんには分からんことだ」

 「何がよ?」

 「あれは怖い女かもしれん」

 「そういう話をしているんじゃあなかったのか?」

 「体のほうだ。

 待て待て待て、誤解するな。

 あのな、武藤さん、毎日かなりの量のトレーニングを欠かしていないぞ。

 で、トレーニングの目的が見えないんだよ。

 走っているだけとかなら良いけれど、おそらくはそういうんじゃない。よくよく見ていると、不用意に背中を晒さないし、さっき並んで座って気がついたんだけど、常に俺との間で保つ距離が妙に正確なんだ。人って、もぞもぞ動くし、それでにおいが変わるもんなんだけど、それがずっと一定でさ。なんか、ああいう動きの人って、今まで経験がないんだよ。もしかしたら、相当実戦的な格闘技とか習っているかも……」

 「そんなもんか? 教室が違うから、そこまで見ちゃいないけど。

 というより、お前が、見過ぎだぜ」

 「むぅ。

 まぁ、問題は頭の中身の方だろうけどな」

 「で、そっちはどうよ?」

 「片鱗もないわ。まともなもんよ。今までだって話しかけられなかったから話さなかった、それで済んじまいそうだ」

 サトシは、ため息のように息を吐いた。



 「一応な、調べてみた」

 そして、ぽつりと言う。こういう言い方をするときは、恩着せがましくないようにとか、何かを考えて話すときだ。

 「なにを?」

 「目の付けどころがいいからな、俺は。例の事件前の、彼女の人柄みたいなものだ」

 「これから、お前のことをグレートと呼ぼう」

 そうか、それなら、彼女の素というものが、いくらかは判るかもしれない。

 「普通に友達と話す女子だったと。ただ、頭がよくて、回転が速く、中学に入った頃は学年で一番を取り続けていたと」

 「うわっ、マジか……」

 「一度ならず、クラスで一番、校内で一番、市で一番、県で一番があったとさ」

 「怖いな。そういう人種が、近くにいるとは思わなかった」

 二人して自転車に跨る。


 ちらほら咲いているばら園の脇を抜け、校門を出て、一気に加速する。

 「情報料だ。今日は、俺こそがコーヒーをおごろう」

 「それが正当な報酬と言うものだな」

 いけしゃあしゃあと、横に並ぶサトシが言う。

 「ふん、お前はゴルゴの世界の情報屋か?」

 「コーヒーだけで働くんか、そいつらは?」

 「口先だけでなく、ホントに感謝してるよぉ」

 と返しながら考える。

 自転車をこいでいる時って、思考がまとまりやすいのだ。


 そこまで頭がいい武藤さんが、なぜ、ぶっちゃけ北関東では二番手のこの高校に来たのか。県境越えてすぐの場所に、も一つ上の高校だってあるのに。


 彼女の家庭はまともなのだろうか。

 あのだし巻きが、今日だけのスペシャルということはないだろう。あれだけの料理をするからには、経済的に恵まれているだけでなく、暖かくより良い家庭があるはずだし、洗濯洗剤の選択もそれを窺わせる。

 その上で異常な人格なのだとしたら、その根深さ底知れずということになり、彼女の闇は俺の手には負えない。


 と、ここまで考えて愕然とした。サトシが心配してくれているのに、俺はいつの間にか、彼女のことを俺自身の何かを捧げるに値する存在と思い始めている。そこまで、踏み込み始めている。


 心がざわざわしている。戻るなら今のうちしかない。

 俺の理性って頼りなさ過ぎだ。


 自転車を、駅近くの駐輪スペースに停める。

 階段を降りたところにある駅ビルの中のスタバは、満席に近い混みようだった。ここは立地上いつも混みすぎていて、勉強とかしている人もあまりいないほどだ。仕方ないので、本日のコーヒーを二つ買い、そのまま屋上に行く。

 季節柄、ビアガーデンが始まっているので椅子はある。そして、その営業は五時からだから、追い出されるまで三十分位は座っていられる。ベンチもあるんだけど、男同士で並んで座るのはごめん被りたい。

 俺ら以外にも、買い物途中らしい若い母親が、歩き始めたような小さな子にジュースを飲ませている。


 サトシが言う。

 「続きだ。学年で、一番を取り続けていたところまで話したな。交友関係もまともだったと。ただなぁ……」

 「なんだ?」

 「時々おかしなことがあったそうだ」

 「おかしなこと?」

 表現が気になる。結論が出ていない謎ってのがある時の言い方だもんな。

 密かに覚悟を決める。黒い話を聞かされてもいいように。


 混雑していたスタバより、ここの方が話を聞きやすくて良かったかも知れない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る