第5話 文化祭実行委員会、初会議
六時限目が終わり、放課後の開放感あふれる校舎の中を、武藤さんと二人で視聴覚教室に移動する。
だし巻きのお礼を言い、武藤さん本人が焼いたものということまでは聞き出せたけれど、そこで視聴覚教室に着いてしまった。
でも、これで、俺は美岬さんの手の匂いをピンポイントで覚えたことになる。
小さな映画館ほどの広さの階段教室なので、紺碧祭実行委員会本部と各クラスの実行委員、さらに各部活代表まで集まって、なお余裕がある。
サトシが、ここのスピーカーは公立学校にあるまじきことにディナオーディオだとか言っていたけど、俺にはよく解らない。かなり高価なスピーカーらしいけど……。
俺は、嗅覚ほど耳は良くないんだと思う。どちらかと聞かれれば、凝るならオーディオよりコーヒーの方がいいかな。音楽なら、だいたいスマホですむし。
指定された席に座る。武藤さんの隣にいると、彼女への視線というものがよく分かる。ちらっと見て、忌むものでも見てしまったかのように逸らす。好奇ではあっても、好意ではない視線。
悲しくなった。
いかんいかん。
なんで俺が悲しくなるんだ。サトシと話したばかりじゃないか。「心が動いたら負け」と、もう呪文のように心の中で繰り返す。
実行委員長は、三年生の洗練された雰囲気の男子生徒だった。眼鏡が似合っていて、見るからに頭が良さそうだ。
「皆さん、集まって頂いてどうもありがとう。今日は顔合わせですから、役員の全員にここに来て頂きました。今日は、テーマ募集とポスター募集のそれぞれの要項をお配りし、委員会名簿にご自分の名前を記入していただいたら解散です。
なお、要項に書いてありますが、締め切りは、夏休み後、二学期初日です。皆さんから、クラスの方に応募を働きかけてください。よろしくお願いいたします。
さらに、勝手ながら、名簿の中から、ゲート班、展示用資材班等、班決めを割り振って、後でお知らせしますので、ご協力よろしくお願いいたします」
おお、強い。
顧問の先生を一瞥もせずに言い切ったぞ。
要項の紙が回って来た。テーマの字数とか、ポスターの紙の大きさとかの指定事項が書いてある。なになに、採用された場合は記念品(未決定)かぁ。
同じく、名前欄が印刷された紙が回って来たので、名前を書く。
初めて武藤さんの筆跡を見る。俺は、彼女の筆跡の特徴を素知らぬ風で、でもしっかり確認した。
……俺はさ、親が事故にあった時、辛かったんだよ。で、宗教とか、心理学の本とか読みあさった。中学生の理解だから、そりゃ、今から振り返っても限界があった。でも、結果として解ったことは、宗教や心理学の知識が増えても悲しみはなくならないということ。まぁ、当たり前だ。
で、横道に逸れたけど……。心理分析で、筆跡に人が出るということはあるんだ。もっとも良いのは、実のなっている木を描いてもらうことなんだけれど。バウムテストってヤツだ。
多分、そういう本を読む時間を受験勉強に充てたら、もう一つ上の高校にも行けたのかもしれない。
でも、まぁ、その時の俺は、必死で救いを求めていたんだろうな。
きれいな字だった。不必要までに丸い文字とかでもない。ただ、単に少し右上がりな、細身なきれいな字。ペン習字とかの型に嵌ったものでもないけれど、読みやすくて整った字。それが、きちんと程よい間隔に並んでいる。
「なにか」を伺わせるようなものは、なかった。
顧問の先生から、若干の付け足し程度の注意があって解散となった。
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