第3話 だし巻き卵って、マジですか


 昼休みになった。

 「武藤さん、放課後の会議、よろしくー」

 意を決して、話しかけてみた。


 あれっ、クラス中が弁当広げるのを中断して、聞き耳を立てている。考えてみりゃ、授業中に先生に指される以外、全く声を聞けない奴だもんな。って、珍獣かよ。

 まぁ、誰も話しかけないからだけど。

 一日中、声を出さない日の方が明らかに多い。武藤さんにとっては、生徒同士の会話なんて、きっと入学式の翌日以来かも。


 「こちらこそ、よろしくお願いいたします。

 今日は顔合わせと、班分け、テーマとポスターの募集の説明くらいかな」

 武藤さんは、小振りな弁当箱を机に置くと明るい声で返した。どよっ、と回りのふいんき、おっと、雰囲気が動いた。


 まともな会話になっている。まずは、それ自体が驚きのようだ。

 もちろん、俺も驚いた。


 「そだね。明日のホームルームでみんなに繋がないと」

 偉い、表面上だけでも、驚きを隠して立て直せた俺、偉い。自分を褒めてあげなくては。

 「じゃ、よろしくー。

 すごく美味しそうなだし巻きだね、うらやましー」

 と軽口を叩く。

 流石に武藤さん、驚いた顔をした。

 それに軽く手を振って、自分の席に戻る。


 武藤さんの母親の作か、武藤さん自身の作かまでは判らない。

 けれど、まだ蓋を開けていない弁当箱の中身にだし巻き卵が入っているのは間違いない。だしの香りとごま油の香り、焼いた卵の香ばしさとの調和、それから察するにプロレベルの腕だ。もっとも、香りからでは塩加減までは判らない。

 あとはほうれん草のおひたしかな。ご飯は、玄米じゃないけど、七分きか八分搗きかな。メニューとしちゃ王道というより古風な弁当だけど、質は極めて高そうで好感が持てる。


 俺の嗅覚はクラスで既に知られていたから、周囲の連中は少し驚きながらも「またか」とニヤニヤするだけだ。それもごく短い時間で、おのおのの弁当箱と格闘を始める。みんな健康だなぁ。


 まぁ、俺自身は今日は、つうか、今日もパンなんだけれど。奇跡的に変なものを入れないベーカリーが学校近くにあって助かっている。

 嗅覚が鋭すぎることの不幸の現れかもしれないけれど、業務用の香料入りマーガリンなんか使われると食えん。酸味のある防腐剤とか、酸化した油の臭いとかも、文字どおり「鼻につく」。だから、俺は、調理パンのほとんどが食えない。

 けれども、朝から弁当を自分で作るのはおっくうだし、働いている姉に作らせるのもなぁと。

 あ、親の保険金もあるから、姉の稼ぎを食い散らかしている訳でもないぞ。


 机に戻り、目はスマホを追いながら、プレーンな短めのフランスパンにかぶりつく。これが飽きなくて一番いい。人間ってのは、いや日本人ってのは、かもしれないけれど、体の基本が米や麦を食う穀物食なんだなぁと思うよ。

 

 と、目の前に弁当箱のふたに乗った、だし巻き卵が差し出された。

 で、見上げると武藤さん……。

 ヒトという生物は、認識してからギョッとするんだな、と自覚したよ。

 もう、驚いたのなんのって。

 俺だけじゃないぜ、クラス中がしーんとした。

 誤差、二秒ってとこで、一番遠くのグループが最後までしゃべっていたけど、シチュエーションを理解するなり、やはり静止状態に追い込まれた。


 「食べる?」

 こくこく。機械仕掛けみたいに頷く。


 頷くのが精一杯。口の中のフランスパンが喉に降りて行かない。驚きで口の中が乾いて、フランスパンが唾を吸い取って、で味がしねぇ。

 ようやく、ペットボトルのミネラルウォーターで流し込んで。

 武藤さんに、俺の慌てぶりが不自然に見えなきゃいいんだけど。


 「いいの?」

 「うん、うらやましいって言ってくれたから、敏感な人でも食べられるかなと思って」

 「いただきます」

 おい、お前ら、少しは元の状態に戻れ。なんだ、この水を打ったような盛り上がりは。


 おお、焼いた後に、巻きで形を整えるところまで手を入れているのか。ところどころ、狐色になったその姿が美しい。

 指でつまんで、おっと、出汁が多めで柔らかい。

 崩さないように、そっと口に放り込む。


 口の中で一瞬でほぐれ、胃に落ちる。

 「旨いわー、これ」

 響き渡る、俺の声。別に大声でしゃべっている訳ではない。頼むから、オマエら、普通の状態に戻ってきてくれないかな。

 「ずいぶんきちんと作ってあるねー。どこも手を抜いていないみたいだ」

 「手を抜くって?」

 「偉そうでごめん。

 だしの素とか使っていないね。北海道産利尻昆布、タイミング良くお湯から上げているから、海藻臭さが出ていない。鰹節は厚削り。それも高級な方の背節だな。鯖節とかのブレンドはしてない。追い鰹が泣かせるねぇ。この出汁でうどんを喰ってみたいよ。

 ごま油も良いなあ。玉絞りだね。あと、銅のフライパンで焼いている。鉄のフライパンより焼き上がりの香りが優しい。でも、テフロンみたいな香ばしさが足らないというものでもない。美味しくするために、掛けられる手は一つ残らず全て掛けてある感じだね」

 任せろ、俺の嗅覚はチートレベルだ。そこらの美食家や評論家なら、束になってかかって来ても撃退できる。


 武藤さん、さすがに驚いたらしい。

 「匂いで、嗅覚だけで判るの?」

 「なんでもお見通しさー」

 俺が能力自慢したところで、クラスが時間と音を取り戻す。


 武藤さんは、目元に微笑みらしきものを浮かべると、さっさと自分の席に戻って行った。俺は、それ以上の会話のタイミングを上手く外された気がした。

 その上手さのせいで、だし巻き卵を作ったのが武藤さん本人かということを聞きそびれた。もしかしたら、そこには触れられたくないのかもと思った。



 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


同級生を彼女にしたら、世界最古の諜報機関に勤務することになりました


第三話、 だし巻き卵って、マジですか


から、美岬です。


もー嬉しくて嬉しくて。


そして、描いてくれたのは、

久水蓮花 @ 趣味小説書き(@kumizurenka22)さま


ぜひ、ご覧くださいませ。


https://twitter.com/RINKAISITATAR/status/1333001002702684160


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