部活の大会がなくなると聞いて思いを語る

たんつ

部活の大会が中止らしい

 全中、インターハイとその地区予選が中止になったと聞いて、今更だが少し語りたい。完全に自分語りですが、どうしてもどこかに発散したいため書かせてもらいます。


 僕が中学の陸上部(駅伝)だった時の話。中学二年の市内大会であと順位1つのところで県大会出場を逃してしまった。でも、戦力的に来年は絶対県大会行けるなって話をした。そこから、陸上を本気でやりたいなと思うようになった。


 んで中三になって、今年は絶対県大会行ける! って雰囲気でみんなその目標に向かってて。でもそんなこと言いつつなんだかんだで日々の練習はダルくて楽な練習にしようとしたり、練習始めずに砂場でダラダラしちゃったり。

 でもやっぱ頑張ってて、なんやかんや余裕で市内大会突破して初めて念願の県大会出られること決まって最高に嬉しくて。県大会までの練習が雰囲気最高でめちゃくちゃ楽しくて。県大会の前泊が初めての部活メンバーとのお泊まりでめっちゃおもろくてアホやから風呂の時アホほどシャンプー使ったりして(迷惑行為ごめんなさい)。次の日大会やのにお泊まり楽しくて夜なかなか寝られなかったり。んで結果、自分らに行けるかなんて一回も考えたことのなかった地区大会(県大会の次の大会)が意外とめちゃくちゃ惜しくて。俺ら自分で思ってたよりスゴかったんやなって。県大会で満足せずにちゃんとその先も見据えて目標設定しとけば良かったかなとか、ちゃんと寝とけば良かったかなとか今更思ったりもして。県大会出場という目標は達成してるのにちょっと悔しくて。


 あの中三の部活動、緩さ雑さと真剣さが中学生らしい未熟さによって共存してて最高の思い出やなって思えるし、この思い出は一生大切にしていきたいと思ってる。


 高校の部活だってそう。高三なんかは受験もあるけど部活もやりきりたいって葛藤して、ピリピリして周りの人を不用意な発言で傷つけたりもしてしまって、決して良い思い出ばかりではなくてむしろ嫌なことばっかやった気もする。でもあの時の自分はめっちゃ葛藤とか、その末の決断をして。もちろん今振り返るとその決断は稚拙なんやけどそのときの自分にとっては考え抜いたもので。月並みな表現やけど、その葛藤や決断のおかげでいろんなものを得て、成長して、大人に近づいた。今の自分を形成するのに必要不可欠な経験やったと思ってる。


 そういった思い出や経験を授けてくれるものが、社会情勢によってなくなってしまうのは、ほんまにかわいそう。どうしようもないけど、どうしようもないからこそ。


 一部のアスリートは、部活の大会がなくなって残念だが未来の目標に向かってモチベーションを保って一緒に頑張ろう、と言うようなメッセージを発信している。

 もちろんそれは素晴らしいことだし、確かにこれから先、アスリートとして活躍しようとしている人たちにとって励みになるだろう。

 けれど、部活をしている人は全てが生涯そのスポーツに取り組もうと思っているわけではない。むしろ中学三年間だけ、高校卒業まで、という人の方が多いはずだ。でもそういった人たちが競技に情熱を注いでいないわけではない。他の夢、進路にと折り合いをつけて、限られた競技人生の中で、学生の大会という競技人生最後の集大成に向かって、短くも熱い情熱を確実に注いでいる。


 その情熱は、プロとして未来の目標に向かって、という言葉では、行き場がない。受験勉強など、他のものにぶつけることはできるかもしれないが、それで完全に消え去るものでもない。


 誰も悪くない。どうしようもない。もうスポーツとは無縁で部外者の僕が語ったところで何の意味もない。でも、だからこそ、モヤモヤしてしまう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

部活の大会がなくなると聞いて思いを語る たんつ @tantsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ