ボクが変わったわけ

梔子

『ボクが変わったわけ』

・主人 ルーク(14) 男

・メイド ケイト(24)女


ルーク 「ボクは一人だ。産まれた時からたった一人だ。母はボクの命と引き換えに亡くなってしまったし、父はボクのことなど愛していないから、幼いボクを抱いたこともない。

きっとそういう星のもとに生まれてきたんだ。そう思えば悲しくなんかなかった。人の温もりなど知らなくても生きていけると思っていた……


なのに、アイツはボクの人生を変えてしまった。」


(ノックの音)


ルーク「誰だ。」

ケイト「本日よりお坊ちゃまの身の回りのお世話をさせていただきます、ケイトと申します。」

ルーク「あぁ分かった。入れ。」

ケイト 「失礼致します……」


ルーク「入ってきたのは、前の世話係より若い、毅然とした態度の女だった。次々とメイドたちが辞めていくこの屋敷で、新しい者が入ってくることは珍しくないのだが、ほとんどの者が最初から最後まで怯えているというのに、コイツは違った。」


ケイト「改めて、ケイトでございます。今日からよろしくお願い致します。」

ルーク「ふっ、どうせ長くは続かないだろうが、せいぜいヘマをしないようにしろ。」

ケイト「はい、お坊ちゃまが心地よくお過ごしになれるよう尽力いたします。」

ルーク「お前のような汚らしい者が視界に入るだけで不快だがな。」

ケイト「なるほど……では、今日からお坊ちゃまには同じ服で過ごしていただきましょうか。」

ルーク「は?どういうことだ。その手に持っている服はボクのものだろ!」

ケイト「いえ、汚らわしい私(わたくし)が持って参りましたお洋服など、お召しになりたくないかと思いまして……」

ルーク「はぁ?」

ケイト「ですからね、新しいお洋服は置いていかずにお部屋を去るべきなのではないか、と思いまして。」

ルーク「同じ服でいる方が汚いだろう!そんなことも分からないのか?」

ケイト「あら?私(わたくし)が持ってきたものでもよろしいのですか?」

ルーク「いいから新しい服を置いていけ。」

ケイト「ふふ、かしこまりました。これからも何かご所望がございましたら館内のお電話でよろしくお願いいたします。」

ルーク「うるさいヤツだな。早く行け。」

ケイト「あらあら、失礼いたしました。」


ルーク「ボクにこんなことを言ったのはアイツが初めてだった。ボクが嫌味を言うとほとんどの者が「ごめんなさい」としか言えなくなるのに。アイツは謝る素振りすら見せなかった。むしろボクを煽っているかのようで、初めは何がしたいのか全く分からなかった。」


(ケイト、ドアの向こうから)

ケイト「お坊ちゃま、お茶のお時間です。」

ルーク「ああ。入れ。」

ケイト「いいえ、お坊ちゃまがこちらへいらしてください。」

ルーク「何だと?ボクに指図するのか?」

ケイト「今日はお天気がいいですから、お庭でお茶にするのはいかがかと思いまして。」

ルーク「いやだ。庭なんかには行かない。」

ケイト「お母様の薔薇のお花が綺麗に咲いておりますよ?」

ルーク「薔薇なんか嫌いだ。」

ケイト「そうですか……それは残念です。」

ルーク「分かったか。なら、早くお菓子を持ってこい。」

ケイト「いえお坊ちゃま。」

ルーク「なんだ?」

ケイト「こちらにお菓子は持ってきておりませんよ?」

ルーク「なんだと?」

ケイト「スコーンが焼けたらお庭に運んでほしいとシェフには申しておきましたから。」

ルーク「くっ……お前は余分な事ばかりする。」

ケイト「婆やが申しておりましたよ。お坊ちゃまがなかなか外に出ていかないから、何とかならないものかと。」

ルーク「わかったよ!庭に出ればいいんだろ?」

ケイト 「ありがとうございます。では、先に行ってお待ちしておりますね。」

ルーク「待ってくれ。」

ケイト「え?」

ルーク「……庭園は迷路のようになっている。一人だと迷うかもしれない。」

ケイト「そうですか。」

ルーク「そうですかってお前、ボクが迷ってもいいのか?」

ケイト「お坊ちゃま、そういう時は付いてきて欲しいと素直におっしゃった方がよろしいですよ?」

ルーク「うぅ……」

ケイト「では、私(わたくし)は行きますからね。」

ルーク「ああもう……庭のテーブルまで連れて行ってくれ。」

ケイト「ふふっ、かしこまりました。ご準備ができましたらお連れしますわ。」


ルーク「今までの世話係は必要以上にボクと話そうする者はいなかったし、何か教えようとする者もいなかった。けれどアイツは、ケイトは、ボクができないことをできないと認めさせて、できるようにしてくれていたのかもしれない……」


ルーク「おい、お前。」

ケイト「ケイト、ですよ?」

ルーク「なんで世話係を名前で呼ばなければならないんだ……」

ケイト「私(わたくし)どもにも名前があるからでございますよ。」

ルーク「?」

ケイト「お坊ちゃま、いえ、ルーク様がいつか大切なお人を見つけた時に、お分かりになるでしょう。愛する人の名前を呼ぶことの尊さをね。」

ルーク「でも、ボクはお前を愛してなんかいない。」

ケイト「そうですね、存じ上げておりますよ?ですから、私(わたくし)の名前を呼ぶことが、いつか来る大切な時の練習になるかと思うのです。」

ルーク「お前は何を言っているんだ……」

ケイト「お前ではなく?」

ルーク「……ケイト」

ケイト「何でしょうか?」

ルーク「用があるわけではない!お前が呼べと言うから呼んだだけだ……」

ケイト「お坊ちゃまはかわいいですね。」

ルーク「馬鹿にしているのか?」

ケイト「いいえ。おかわいらしいので素直にそう申しただけですよ。」

ルーク「……調子が狂う」


ルーク「こんな感じで、よくからかわれながらも日々は続いた。ケイトはボクの心に土足で踏み込んでくるやつだ。けれど、それがだんだん悪い気はしなくなっていった。

嬉しかったわけではない。ただ、構われることが嫌じゃなくなったってそれだけだ。

ケイトと関わるようになってボクが変わっていったわけではないが、ボクの周りが変わっていった。

婆やはよく笑うようになり、他のメイドたちはよく働くようになった。シェフはデザートをいつもより素敵に仕上げてくれたりした。

いやでも、やっぱりボクが変わったのか……よく分からない。」


ルーク「そして、」


(ルークの部屋の中で)

ケイト「失礼致します。」

ルーク「こんな遅くに何だ。」

ケイト「お坊ちゃまに、どうしてもお話しなければならないことがあって……」

ルーク「手短に済ませろ。」

ケイト「はい……私(わたし)、明日の朝にはお屋敷を出ていかなければならなくなりました。」

ルーク「えっ……?」

ケイト「お腹に……赤ちゃんがいて。」

ルーク「お、お前……付き合っているやつもいないんだろ?何で……」

ケイト「お坊ちゃまには分からなくていいのですよ……ただ、こんなに早くお別れをしなければならないことが申し訳なくて……」

ルーク「……」

ケイト「お坊ちゃまはそんなお顔をなさらないでください。私(わたし)が悪いのですから。」

ルーク「ケイトが何をした。何故出ていかなければならない……なんで、なんで……」

ケイト「お坊ちゃま……仕方の無いことなのですよ。私(わたし)も寂しいです。」

ルーク「寂しくなんか……」

ケイト「……」

ルーク「さみ……しい……なんでお前も行っちゃうんだよ……」

ケイト「お坊ちゃまをお一人にしたくはありませんでした……でも私(わたし)がいなくてもお坊ちゃまはお一人ではないのですよ。婆やも他のメイドたちも料理人たちも、あなたのことを愛していますからね。」

ルーク「違う……ボクのことなんか誰も……」

ケイト「お坊ちゃま、心を閉ざしてはなりません。皆さん、お坊ちゃまのご成長を見ております。見放すことなどありませんよ。」

ルーク「……」

ケイト「私(わたし)は、少しでもお坊ちゃまのお世話ができて幸せでした。とても楽しかったですよ。」

ルーク「ケイト……」

ケイト「はい、これで涙をお拭きください。よかったら差し上げますわ。」


ルーク「渡してきたのは、ケイトの名前が刺繍されたハンカチだった。」


ケイト「では、お元気で。」

ルーク「待ってくれ!」

ケイト「?」

ルーク「……ありがとう」

ケイト「ふふっ……初めて聴けました。

こちらこそ、ありがとうございました。」


ルーク「ケイトはボクの髪を撫で、部屋から出ていった。」


ルーク「ボクはアイツから、礼儀を、感情を、人と触れ合うことを、愛を……知ったのかもしれない。アイツのせいでボクの人生は変わった。いや、これからもボクの人生は変わり続ける。ボクの行動ひとつで。」

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