SS:いい風呂の日
夕飯を食べ終えて一息ついて、ソファーでくつろいでいると洗い物を済ませた楓さんがぽすっと隣に座った。そして、
「勇也君。今日は何の日でしょ―――」
「言わせねぇよ!? というかその話は今月何度目ですかね!?」
「えぇ……と。これで三回目?」
はい、大正解! この出だしで始まる話はこれで三回目ですよ。いい加減飽きませんかね? というか11月はどうしてこの手のイベントが多いのだろうか。
「まぁまぁ、勇也君。ここまで来たら四回も五回も変わらないですよ。というわけでもう一度質問しますね。今日は、なんの日、でしょうか?」
「結局やるのね? えぇ……と。11月26日だから、いい、ふろ? え? いい風呂の日?」
「ピンポーン! 大正解です、勇也君! 今日はいい風呂の日! つまり混浴デーですね!」
わーいと満面の笑顔で喜ぶ楓さん。だが俺からすればポッ〇ーの日やいい夫婦の日以上にピンとこない。何故かって? そんなの今更だからだよ。
「楓さん……喜んでいるところ悪いけど混浴デーって言っても結構な頻度で一緒にお風呂に入っているよね、俺達」
「チッチッチ。勇也君はわかっていませんね。確かに何度も一緒にお風呂に入っていますが、今日という日に一緒に入ることに意味があるんです!」
「……その心は?」
「今日も勇也君とお風呂でイチャイチャしたいです!」
よし。聞かなかったことにしよう。さて、録画しておいたアニメでも観ようかな。
「ちょっと勇也君! どうして華麗にスルーするんですか!? ひどいですよ!」
先週気になるところで終わったんだよなぁ。出来るならリアルタイムで観たいけど翌朝に響くからなぁ……楽しみだなぁ。
「うぅ……勇也君が無視します……これは家庭内別居の始まりです……しくしく」
いや、家庭内別居って。話が飛躍しすぎじゃないですかね? 嘘泣きだとは思うけど上ずった声を出さないでよ。心が痛むじゃないか。
「きっと一緒のお布団でも寝てくれなくなるんです……朝も起こしてくれなくなって、私は遅刻が多くなって留年。勇也君の後輩になるんです……」
「あ、あの……楓さん? 何を言って……」
「勇也君を先輩、って呼ぶのはいいかもしれませんね。やっぱりマンネリを防ぐには新しい風を吹き込まないとダメですね。テコ入れ回というやつです」
あれ? 話がおかしな方向に行ってないか? いい風呂の日から始まったはずなのに楓さんが俺の後輩になって先輩って呼ぶシチュエーションの話になっているんだ? いや、まぁ楓さんから先輩、って呼ばれて甘えられるのは正直そそるけども。
「勇也君もそう思いますか!? それなら先輩の家に泊まることになった後輩ちゃんと一緒にお風呂に入るって想定はどうですか?」
なるほど。積極的な後輩から『一晩泊めてもらうお礼に先輩の背中を流しますよ?』と提案される的な話か。最初は断るんだけど結局は押し負けて一緒にお風呂に入ることになるってか?
「そうです! さすが勇也君、話が早いですね! というわけで今日一日だけ私は勇也君の後輩になります!」
「うんん? 何を言っているの楓さん? 俺にはさっぱり理解できないよ?」
「もう……しっかりしてくださいよ、センパイ」
ぐはぁあああ!!?? 楓さんが枝垂れかかりながら甘えた声で俺のことを〝センパイ〟って呼んだ!? この破壊力はやばい。俺の理性が一掃されてしまう!
「ねぇ、センパイ。いつもお世話になっているお礼に……その……一緒にお風呂、入りませんか?」
上目づかいで潤んだ瞳を向けてくる楓さん。思考することを放棄したいが、何か返さないとこのまま大波に飲まれてしまう。だがそんな俺の必死の抵抗は陸に打ち上げられた魚のようなもので、後輩キャラと化した楓さんの前では意味がなかった。
「センパイ……ダメですか? 私、いつもお世話になっているセンパイにご奉仕がしたんです……いいですよね?」
後輩ちゃんがご奉仕したいなんて発言するはずないとか、そういうツッコミが一瞬浮かんだが泡となって消えた。俺の胸にそっと手を置いて、まるで懇願するかのように見つめられては頷くしかない。
「う……うん……わかった。それじゃ……お願いしようかな?」
そう答えると、楓さんの表情にパァァと綺麗な笑顔が咲いた。そして喜びの勢いそのままに抱き着いてきた。
「えへへ。わかりました。それじゃセンパイのお背中、流してあげますね!」
「アハハハ……お手柔らかにお願いしますね?」
「任せてください! あっ、そ・れ・と……たくさんご奉仕もしますから期待してくださいね、センパイ」
「……あの、ホント。お手柔らかにお願いします」
しかし楓さんはこれには答えず、その代わりにぞくりとするような蠱惑的な笑みを浮かべた。あ、これはダメなやつだ。
「フフフッ。センパイは私だけのセンパイです。骨抜きにしてあげます」
毎年11月は気を付けよう。俺はそう心に誓った。
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