第96話:梨香ちゃんの帰宅と新たな雷雲

 梨香ちゃんと一緒に過ごす時間はあっという間に過ぎていった。


 二日目は宣言通り、楓さんと梨香ちゃんがお揃いのパジャマを買いに買い物に出かけた。俺は部活のため同伴することができなかったが、きっと楽しい一日を過ごしたのだろう。それは帰宅したときに新品のパジャマで出迎えてくれた二人の笑顔を見れば明らかだった。


 初日に揉めたお風呂だがなんとびっくり梨香ちゃんは自ら楓さんと一緒に入ることを選択した。俺としてはありがたい話ではあるのだが、突然の心変わりに何かあったのかと楓さんに聞いてみたら、


「フフッ。その答えは……禁則事項です」


 いつもの答えが返ってきました。ならばと梨香ちゃんに聞いてみると、その答えはなんとなくわかった。


「あのね! 楓お姉ちゃん、すごく優しくてお母さんみたいだったの!」


 うんうん。わかるよ、その気持ち。梨香ちゃんも楓さんからあふれ出る聖母の空気を感じ取ったんだな。買い物でより仲良くなったんだな。


「勇也お兄ちゃん、楓お姉ちゃんを泣かしたら許さないからね!」

「わかってるよ。楓さんを泣かすようなことは絶対にしないよ。俺は楓さんが大好きだからね」


 まさか梨香ちゃんが小姑と化すとは思わなかったが二人が姉妹のように、いや親子のように仲良くなったことは喜ばしいことだ。これで無駄な争いはなくなるのだから俺としても気が休まる。


 三日目はどこにもいかず、三人でまたゲームをしたり映画を観たりしてのんびりと過ごした。この日の夜にはタカさんと春美さんが迎えに来る。どこか寂しさを感じながら目一杯遊んだ。


「あぁもう! 勇也お兄ちゃん強すぎだよ! 少しは手加減してよぉ!」

「そうですよ、勇也君! 可愛い乙女を相手に情け容赦なく吹っ飛ばすのは良くないと思います!」


 2対1の変則チーム戦という大乱闘にはあるまじきハンデのある大乱闘をしているが、それでも俺は一度も二人に負けることはなかった。


 二人の表情から天使のような笑顔から邪悪な笑みへと変化してルールをいじりだした。吹っ飛びやすくしてみたり、降ってくるアイテムを爆弾だけにしてみたりと俺に勝ちたいというよりはみんなで馬鹿騒ぎをしたいだけになった。


「やぁい! 勇也お兄ちゃんが爆弾に巻き込まれて吹っ飛んだぁ! ってキャアアアア! 私も吹っ飛んだぁ!」

「勇也君! 無敵時間を利用して爆弾もって突っ込んでくるなんて卑怯ですよぉ!!」


 ただでさえ地獄絵図な状況なんだから自爆覚悟で突っ込むのは立派な作戦だろうが。おら、死ぬときは一緒だぞ、楓さん!


「もう! そういうセリフはもっと別の時に言ってください! 嬉しいですけどね!」

「死ぬまでずっと一緒だぞ、楓さん! だから俺の爆弾を受け取ってくれぃ!」

「ゲームしながら惚気るなちくしょう―――!!」


 最後は梨香ちゃんの自爆特攻で俺は負けた。


 そして日が完全に沈み、夕飯も食べ終えたころにその時はやってきた。来訪を告げるチャイムが鳴ったのだ。


「パパが帰ったぞぉ、梨香―――!」


 玄関を開けると久々に会う愛娘を抱きしめようと勢いよくタカさんが突貫してきた。突然のことに梨香ちゃんは小さく悲鳴を上げると楓さんの背中に隠れてしまった。


「……お帰り、タカさん」

「……おう、ただいまだぜ」


 手持ち無沙汰になった両手を下げ、前傾姿勢を改めて背筋を伸ばすタカさん。春美さんはニコニコ笑顔で手にしていた紙袋をずいっと俺の前に差し出してきた。


「これお土産。二人で食べてね。梨香は大丈夫だった? 迷惑かけたりしなかった?」

「はい。梨香ちゃんとってもいい子で迷惑なんて全然。すごく楽しい三日間でした」


 背中越しにタカさんとにらみ合っている梨香ちゃんのことを撫でながら、春美さんの杞憂を払しょくするように楓さんは笑みを浮かべて答えた。


「聞いてよママ! 楓お姉ちゃんにお揃いのパジャマを買ってもらったの!」

「あらあら、そうなの。それは良かったわね。一葉さん、どうもありがとう。お金は―――」

「いいえ、気にしないでください。私が梨香ちゃんとお揃いのパジャマを着たかっただけですから。また一緒に着て寝ようね、梨香ちゃん」


 うん! と元気良くうなずいた梨香ちゃんは着た時より少し重くなったキャリーケースを引きずって春美さんの元へ。タカさんが手を繋ごうと差し出した手は無情にも空を掴むに終わり、俺は笑いを全力で堪えた。


「……んっん! それじゃ勇也、一葉の嬢ちゃん、世話になったな」

「全然。むしろ楽しかったよ、タカさん」

「はい、またいつでも来てくださいね、梨香ちゃん」

「うん! また遊びに来るね、楓お姉ちゃん! 勇也お兄ちゃん!」

「もう、わがまま言わないの、梨香。勇也君と一葉さんの時間を邪魔しちゃだめよ?」

「そんなことないもん! 梨香がいてもいなくても二人はイチャイチャしてたもん!」


 梨香ちゃん、余計なことをタカさんと春美さんに伝えなくてよろしい。ほら、タカさんが人の悪い邪悪な笑顔になっているじゃないか。春美さんは目を見開いて興味津々のご様子だし。


「若さゆえの過ちが起きてもおかしくないが、ほどほどにしておけよ勇也」

「なんだよ、それ。大丈夫、言われなくてもわかっているから」

「それならいい。まぁお前たちなら大丈夫だと思うがな」

「一葉さん、攻め続けるのよ。勇也君はあの通りガードが堅いけど連打で押し切るのよ? 押してダメなら殴りなさい。引いてはダメよ?」

「はい! 貴重なご意見ありがとうございます! このまま殴り続きます!」


 そんな女性陣二人の会話を聞いた俺とタカさんは同時にため息をついた。この会話は男女逆じゃないのか? ねぇ、タカさん。どうして俺の肩に手を置くの?


「ご愁傷様だな、勇也。せいぜい食われんように気を付けるんだな」


 それってどういう意味だよぉ! 憐れみを含んだ視線を向けるなよ! そのまま言い逃げのように帰るのは卑怯だぞ、タカさん!


「またね、楓お姉ちゃん、勇也お兄ちゃん!」


 春美さんに手を引かれて梨香ちゃんも自宅へと帰っていった。楓さんは微笑みながら手を振ってその背を見送った。俺は最後の最後でどっと疲れたよ。


「フフッ。とても楽しい三日間でしたね」

「そうだね。楓さんと梨香ちゃんが仲良くなれたみたいで俺も嬉しいよ。最後の会話は余計だったけど」

「あら、余計なことはありませんよ? むしろとてもいいことを聞けました。今夜は覚悟してくだ―――っあ、電話です。お母さんから?」


 ポケットに入れていた楓さんのスマホが振動した。どうやら電話のようで、その相手は顔母さん―――一葉桜子さんからのようだ。何の用だろうか?


「もしもし、お母さん? どうしたの? うん、うん……明日は特に用事はないけど……えっ!? あぁ……そうだよね、わかった。勇也君にも伝えておくね。それじゃ、また明日。おやすみ」


 手短に電話は終わった時、楓さんから笑みは消えており真剣な表情になっていた。俺は思わず背筋を伸ばした。


「勇也君。突然ですが、明日お父さんとお母さんがここに来ます」


 一難去ってまた一難とはまさにこのことだ。


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