第92話:梨香ちゃんは勇也お兄ちゃんとお風呂に入りたい

 楓さんがポンコツ化してしまったのでこれ以上映画を観ても仕方ないということになり、そろそろ寝る準備を始めることにした。


「えへへ。勇也君とお揃いのパジャマで……えへへへ……」


 ダメだ。俺の彼女は夢の世界から戻ってくる気配がない。きっと楓さんの頭の中では俺ときっとイチャイチャパラダイスを繰り広げていることだろう。ぜひともそれを8割くらいにして現実化してほしいところだ。


「ねぇ、勇也お兄ちゃん。久しぶりに一緒にお風呂入ろうよぉ」

「そうだね。久しぶりに一緒に入ろうか」


 やったぁと梨香ちゃんは喜ぶと、お風呂セットを取りに寝室へと向かった。何度かタカさんの家に泊まりに行ったときにまだ幼稚園生だった梨香ちゃんと一緒にお風呂に入ったことが何度かあったのを覚えていたようだ。『パパとはやだぁ』と言ってタカさんのハートをブレイクしたのは面白かった。


「……勇也君。今のはどういうことですか?」


 ゆらりと。さながら幽鬼のごとく気配を殺して俺の背後を取った楓さんが囁き声で質問してきた。その声音には殺気が混じっており、安易に振り向けば肋骨の隙間から小刀を心臓に指しこまれて声も出せずに命を刈り取られる。かといって振り返らず、質問に答えたとしても楓さんを納得させることができなければ同様の末路が俺を待っている。


「ねぇ、勇也君。黙っていたらわかりませんよ? 今のは、どういう、ことですか?」

「…………」

「梨香ちゃんと久しぶりに一緒にお風呂に入る。そう言っていましたよね? 私が一緒にお風呂に入りたいです、と言ったときは頑なに抵抗していたのにどうして……? ねぇ、どうしてですか?」


 言いながら俺の腰に腕を回して密着してくる楓さん。しかも顎を肩に乗せて俺の耳元で吐息を吹きかけてくるおまけつき。背筋をゾクゾクと震える感覚が奔る。俺は口を開こうとしたがそれに合わせるように耳たぶをはむりと甘噛みしてきた。


「か、楓さん―――!?」

「んぅ……私だってぇ……勇也君と一緒にお風呂入りたいんですよぉ? んぅ……いいでうよね?」


 一転して甘く蕩ける声が俺の耳朶を打つ。甘噛みを継続しながらしかもわざと背中にたわわな果実を押し付けてくるので最悪最高だ。楓さんの体温によって俺の思考力が徐々に溶けていく。


「ねぇ……勇也君。私もぉ……はむぅ……一緒にお風呂、いいですよね? 三人で……ぅふぅ。入りましょう?」

「あ、あぁ……わかった。わかったから……もう、やめて。耳をはむはむしないで」

「フフッ。ありがとうございます。それじゃ私も用意してきますね。くれぐれも、逃げないでくださいね? というわけなので、ちょっと待っててね、梨香ちゃん」


 えっ!? 梨香ちゃん!? その一言で俺の理性が急速に蘇ってきた。ギギギと壊れた機械人形のようにゆっくりと振り返ると、そこにはお風呂セットを抱えながら鬼の形相をした梨香ちゃんが立っていた。


「……勇也君お兄ちゃんの浮気者」

「それはひどくないかな梨香ちゃん!?」


 一言。だが的確なハートブレイクショットを俺に叩き込んだ梨香ちゃんは楓さんの後を追うように踵を返した。がっくりと膝をついて盛大なため息をついた。策士楓に一杯食わされた。


「梨香ちゃんに対する対抗心がまだ残っていたとは……なんて大人げないんだ楓さん」


 密着されて胸を押し付けられて耳を甘噛みされていい気分になっていたので楓さんのことをとやかく言う権利はないのだが、それでも梨香ちゃんがいるのをわかっていてやるのは犯罪ムーブだと文句の一つくらいは言ってもいいよね?


 ―――いや、ダメだね。君に文句を言う権利はないよ。


 じと目で否定してくる伸二の声が聞こえた気がした。

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