第72話:恐竜パニックは膝の上

 学校で盛大に「勇也君のことが大好きですから!」と叫んでしまったことで穴があったら入りたい状態になってしまった楓さんは帰宅するや否や速攻でただいまのキスを要求してきた。


「勇也君。ちゅーは? 蕩けるような甘いちゅーはないんですか?」

「……お帰り、楓さん」

「はい! ただいまです、勇也君!」


 お互いの腰に腕を回し、身体を密着させてキスをする。行ってきますの時とは違い、深く甘く、脳が蕩けてしまうほど濃密な口づけ。もう普通のキスでは満足できないとばかりに、楓さんは積極的に絡めてくる。もちろんそれは俺も同じで。


「ふぁ……もうダメです……勇也君、キス上手すぎです……」


 楓さんの目がとろんとしてギブアップを宣言して口を離した。その時垂れた透明な糸が行為の深さを物語っていた。


「ひとまずこれで夕飯の料理は頑張れそうです! 勇也君は寛いでいてくださいね!」


 あっという間に元気になった楓さんは帰りに立ち寄ったスーパーの買い物袋を手に取って台所へと向かった。そして部屋着に着替えて調理を開始して、俺が作ると話したポトフも手際よく完成させてしまった。俺はただその様子を眺め、洗い物をしただけだった。情けない。


 そして楓さん特製のローストビーフを食べ終えて現在何をしているかと言えば、俺と楓さんはソファでいつものようにネットで映画を見ていた。


 今日のチョイスはジュラシックなテーマパークで巻き起こるパニック映画の記念すべき第一作。最近になってワールドとして新作が作られた。賛否はあるが俺はしてはどれも好きだ。


「だ、ダメです! そんな安易に飛び出したら! ほら! きゃあぁぁああ!! 出たぁッ!」


 タイトルは知っているが見たことがないと楓さんが言っていたので鑑賞することにしたのだが予想通りの反応をしてくれて嬉しい限りだ。ただ叫ぶたびに俺のお腹を締め上げるのはやめて欲しい。


「こ、怖いです……予想以上に怖いです……勇也君、騙しましたね!?」

「締まっているから。締まっているから力を緩めて、楓さん……」


 下から覗き込むような形で俺にジト目を向ける楓さん。どんな体勢でいるのか説明すると楓さんは俺の膝の上に頭を乗せて横になっている。つまり膝枕だ。さらに劇中の物音に反応して俺に抱きついてきて力を込めている。そんな状態だ。俺は落ち着いてもらうように頭をポンポンと撫でるが効果は薄い。むしろ画面の向こうではTレックスがトイレ休憩中の男性の頭から丸かじするシーンだったからだ。


「きゃああぁあああああ!!!」


 この映画の中でも有名なワンシーンだからな。俺は何度も観ているからある意味安心だが、初見の楓さんは驚きの余りパニックになるのは仕方ないな。でも大丈夫かな。この後ヴェロキラプトルという小型の肉食恐竜と厨房での緊迫のシーンが待っているんだけど、耐えられる?


「こここ、こんなの見たら夜一人でトイレに行けませんよぉ! 勇也君、着いてきてくださいね!?」

「ホラー映画を見ているわけでもあるまいし……大袈裟だよ、楓さん」

「じゃ、じゃぁ今夜は絶対に私のこと離さず寝てくださいね!? 私、絶対に離れませんからね! くっつき虫になりますから!」


 それはいつものことじゃないのか? という野暮なツッコミはせず、俺は笑顔でうんと頷いた。楓さんを抱きしめて寝るのは俺としても幸せだからな。季節を問わず年中抱きしめて眠りにつきたいね。


「あ、あとあと! 膝枕ではなく別の体勢になっていいですか? その、これはこれでいいいんですけどもっと勇也君にギュッてしてもらいたいというか……怖いのでしてくれませんか?」

「うん、わかったよ。俺はどうすればいいの?」

「勇也君はそのままで大丈夫です。私がそこに―――うんしょっと。はい、これで大丈夫です! 勇也君、ギュってして下さい!」


 楓さんがとった行動は単純明快。柔らかいソファに腰掛けるのではなく俺の膝の上に乗っかってきたのだ。楓さんのむちっとしたお尻の感触を意識すると変にドキドキするが、俺は要望通り楓さんの腰に腕を回してがっちりホールドした。


「エヘヘ。実はこの体勢で映画を観たいと思っていたんです。これならどんなに恐竜さんが怖くてもへっちゃらです! さぁ、かかってきなさい!」


 膝の上で暴れないでよ、楓さん。滑り落ちないようにしっかりと抱きしめるとその魅惑のマシュマロボディの感触をいつも以上に感じるのでむしろ映画に集中できなくなる。


「に、逃げて……あぁでもそっちはだめです! あぁ……そうです! そっちなら大丈夫です! さぁ急いで!」


 まるで子供のようにはしゃぎながら映画を楽しむ楓さんを抱きしめていると邪な考えは吹き飛んでいく。俺は映画が終わるまでの間ずっと優しく楓さんのことを抱きしめた。


 年不相応な色香を漂わす楓さんも好きだけど、無邪気にはしゃぐ子供のような楓さんも好きだ。梨香ちゃんと遭遇したらどうなるんだろう。案外仲良くなるかもしれないな。


 そんなことを考えながら、映画鑑賞を楽しんだのであった。

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