第70話:蕩けるホワイトデー

 楓さんが髪を乾かしたりお肌のケアをしている間を利用して、俺は買ってきたプレゼントをベッドサイドに隠しておいた。


「と、突然どうしたんですか勇也君? プレゼント? 私の誕生日はまだずっと先ですよ? 交際記念日は気にしないって話をしたばかりですし……」


 キョトンとした顔で考える楓さん。バレンタインとか自分が渡す側のことはしっかり覚えていて抜かりがないのに自分が貰う側になると途端にポンコツになるのはどうかと思う。まぁ意図せずしてサプライズになるからいいのかもしれない。


「ねぇ、楓さん。今日は何月何日かな?」

「え? 今日ですか? もう日付が変わったんで3月14日……えっ!? もしかして―――!」

「うん、そう。やっと気付いたみたいだね。今日はホワイトデー。楓さんへ感謝の気持ちを込めて選びました。受け取ってくれるかな?」


 俺は震えそうになる声を必死に抑えて、高鳴る心臓の音が漏れ聞こえていないか心配になりながら、小包を楓さんに手渡した。


 楓さんは受け取ってくれたが何故か俯いて言葉を発しない。静寂な夜に沈黙が流れる。緊張で口から心臓が飛び出そうだ。この緊張は星空の下で告白した時と同じレベルだ。


「勇也君……開けても、いいですか?」


 しばらくすると楓さんは声を絞り出すように尋ねてきたので俺は黙ってこくりと頷いた。永遠に続くと思えた沈黙が終わったのはいいが、次に訪れたのは開封を見守るという難行。


 ビリビリと破けばいいのに楓さんは慎重かつ丁寧な手つきで包装をほどいていく。喉が渇く。ごくりと唾を飲み込む音さえも大きく聞こえる。


 そしてついに、楓さんが包装を取り終えた。そこから現れた薄ピンク色の立方体の箱を震える手つきで開けた。


「これは……腕時計……? しかも猫ちゃん……可愛い」

「楓さんは子猫みたいところがあるから似合うと思ってさ。それに腕時計しているのを見ないからちょうどいいかなって」


 子猫のように甘えてくる可愛いときもあれば雌豹のように妖艶になるときがあるのでピッタリだと思った。ピンクゴールドという色には可愛さだけでなく、大人の雰囲気を醸し出す艶やかさもある。楓さんの白磁の肌に栄えるはずだ。


「時計以外にもネックレスとかチョーカーとか色々考えたんだけど……腕時計なら学校とか関係なく着けていけるでしょう? だから、その……いつも俺と一緒というか……楓さんは俺の彼女なんだぞ、ってアピールになるかなって」


 自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。


 いつも時計を身に付けていてくれたら俺のことを感じてもらえるかなとか、俺が贈った時計を楓さんが毎日着けてくれているのを見ることが出来たら嬉しいなとか思ったり。けれど楓さんは何も答えず、腕時計を箱から優しく取り出すてじっと見つめた。


「か、楓さん……? その、どうかな? 気に入ってくれたかな?」


 何も言ってくれないと不安になる。やっぱり無難にネックレスとかバングルとかの方がよかったかな。色も俺は似合うと思ったけどピンクゴールドは嫌いだったかな? ダメだ、考え出したら後悔が止まらない。あっ、泣きそう。


「え? 勇也君? どうしてそんな泣きそうな顔になっているんですか?」

「……だって楓さんが何にも言わないから気に入ってくれなかったかなって思って……」

「どうしてそんなことを言うんですか? 何も言わなかったのは謝りますけど、それは勇也君の思いが籠ったプレゼントが嬉しかったから言葉が出なかったんです」


 その言葉に俺は顔を上げた。楓さんの頬は紅潮し、表情は笑顔だがその瞳には今にも零れ落ちそうになる光があった。


「私のために一生懸命選んでくれたんですよね? その気持ちだけですごく嬉しいです。それに勇也君の言う通り、これを身に付けているだけで勇也君をすぐそばに感じることが出来そうですね。フフッ。素敵な考えだと思います。勇也君は時々ロマンチストなところがありますよね」


 告白も星空の下でしたね、と付け足しながら楓さんはニコリと笑った。


「ねぇ勇也君。時計、着けてくれませんか? 一番初めは自分ではなくあなたに着けて貰いたいです」


 そう言って楓さんは時計を俺に渡して左手を差し出してきた。なんだか結婚式で指輪をはめるような感じがして気恥ずかしいが、楓さんの期待の眼差しを向けられては断れない。よし、本番前の練習と思うことにしよう。


 楓さんの手を取り、時計をそっとくぐり通してぱちりと金具を止める。不安だったサイズ感もピッタリだ。


「ありがとうございます。フフッ。この猫ちゃん顔の文字盤は可愛いですね。色も可愛いですし、すごく気に入りました。勇也君、本当にありがとうございます」

「楓さんが喜んでくれたなら俺も嬉しいよ。もし気に入ってくれなかったらどうしようって思っていたからさ」

「もう! 勇也君が一生懸命選んでくれたプレゼントを私が気に入らないとどうして思うんですか!? 嬉しくて小躍りしたいくらいなのに我慢しているくらいです!」


 小躍りって。そんなになるくらい喜んでくれたならタカさん家に行ってまで相談したり店員さんに楓さんのことを話して助言を貰った甲斐があったというものだ。


「……勇也君のその満足そうな顔を見ているとゾクゾクします。ねぇ、キスしていいですか? というかしますね」


 俺の首に楓さんの腕が回り、引き寄せられるようにキスされた。啄ばむような口づけから自然と楓さんの舌が俺の口内に侵入してきて絡めとられる。くちゅくちゅと音が鳴り、深いキスに身を委ねてどこまで沈んでいきたい。


「はぁぁ……フフッ。大好きです、勇也君。誰よりも、あなたのことが」

「か、楓さん……俺もあなたのことが大好きです」

「フフッ。勇也君、すごく蕩けた顔してる。そんなに気持ちよかった?」

「……あ、あぁ。すごく、気持ちよかった……」


 楓さんの甘い蜜のような唾液と餅ように柔らかい舌の感触を同時に味わいながら絡め合えば蕩けるのは当然だ。


「私もです。なんだかこれ、癖になっちゃいそうですね。でも寝る前にするのはよくありませんね。興奮して眠れなくなっちゃいます」

「……そうだね。寝る前は止めようか」


 ならいつするんだと疑問に思うが俺は口には出さなかった。こんなキスを毎晩寝る前にすれば蕩けることになってしまう。というか寝る前じゃなくてもそうなる。


「でもそれより肝心なのは今後のことですね。いつ勇也君が狼さんになってもいいようにアレを用意しておかなくては」

「……おい、楓さん? あなた何を言っているんだ? アレってもしかして……」

「アレとはアレですよ。決まっているじゃないですか。コンd――――」

「言わせねぇぇぇぇぇよ! !!!」


 深夜の寝室に俺の絶叫が迸る。


 俺だって健全な男子高校生だ。そういう願望が無いわけじゃない。結婚するまでしないとかそんな高尚なことを言うつもりもない。けれど楓さんのことが愛しくて、大切に思っているからこそ、ケジメをつけてからじゃないといけないと思っている。


「もう。勇也君はどこまで私を大切に思ってくれているんですか……嬉しすぎます」

「こんなの当たり前のことじゃないか。ほら、もう遅いから寝るよ。布団に入って」


 楓さんを布団の中へと誘導していつもの体勢へ。胸の中に愛しの人を収めて温もりを感じながら眠りにつく。


 ケジメ。それは男なら誰もが通りお義父さんへの挨拶という通過儀礼。これを乗り越えて初めて、良識の範囲内で楓さんとの仲をより深めることが出来る。


 そのためにももっと頑張らないといけない。俺は決意を新たにして瞼を閉じたのだった。


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